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2018年11月29日

リタイヤシニア夫婦の博多旅行 その2 関門トンネル人道を歩く

旅の2日目は、メインのその2、
門司レトロ地区から、先月のNHK72時間で取り上げられていた、関門人道トンネルを歩くことです。昔、17才の高校二年生の春、当時若者に流行っていた、リュサックを背負ってリーズナブルな旅をする大学生のカニ族に憧れ、少しませていた高校生の私は、昭和39年の春、名古屋発券の九州内二週間乗り降り自由の均一周遊券(当時3,750円)を手に生まれて初めての九州の地は、門司駅でした。
当時まだ寝袋は高価でしたので、毛布一枚をリュックに背負い、初めての夜は、門司駅構内のベンチでした。
その夜、駅員さんと警察官に囲まれました。
何処から来て、何処へ行くのか?
何歳、高校二年生?
先生の名前は?、校長先生の名前は?と立て続けに質問されました。
当時、カニ族が流行り初めていたのですが、丸坊主の高校生だった私は、家で少年と間違われた様子です。
学校はまだ春休みじゃないだろうに。
当時の信州の学校は、夏休みが極端に少なく、冬の寒中休みがあり、春休みは途中、卒業式・終業式に一日でるだけでしたので一か月近い春休みがあったのです。

hakata06.jpg大都市博多から鹿児島本線快速で1時間20分で鹿児島本線終着駅門司港に着きます。
門司は近年、昭和モダンレトロをテーマにした観光町おこしの真っ最中です。
門司港駅も、昔ながらプラットホームや駅舎に現在改装中です。
今回は目的の一つは、NHK72時間で取り上げられていた、関門人道トンネルを歩き、下関へ渡り、帰りは関門フェリーで戻ってくる
プランです。
NHKの番組を見ていると、多くの人が毎日、散歩がてら健康を兼ねて歩いているように見受けられましたが、トンネル入り口は門司港からはかなり遠くにあり、バスの便は、かの松本清張の小説「時間の習俗」の大きなアリバイに使われる「和布刈神社」ですが、本数は極端に少ないのと、廻りは関門水道が見渡せる、美しい地なので、旅行者は皆さん歩きます、

hakata08.jpg初めて、じっくりと関門水道を眺めてみると、潮の速さにびっくりします。海峡はまるで川のような速さで流れていました。対岸の下関側に電光掲示板があり、この日9ノットでした。
1ノットは1852メートルですから、この海峡の潮の速さは時速16kmですから、平均的な自転車の速さなのです。
お天気も良く、途中から門司にお住まいで週に一度は歩くと云う同じ団塊世代シニアの方と一緒に、説明を受けながら、トンネルに入りました。
人が歩ける国道ですから、歩いて渡るのは勿論無料です。長さは780m、歩いて15分もかかりません。海底部(780m)は、海面下58mに位置しています。

hakata07.jpgトンネル内で、九州から本土に入り、エレベーターで上がると下関です。
門司側と違って、下関側は古くから観光開発が進んでいます。
そして、門司側と違って至る所に観光名所が存在しています。
先ず、目に着くのが長州藩の馬関戦争の記念碑です。

1863年、長州藩は、攘夷を実行するため、他藩にさきがけ関門海峡を通る外国の船を2度(第1次・第2次)に渡り、砲撃しました。しかし、翌月、近代的な兵器を備えた列強の反撃にあい、長州藩は、あえなく敗れてしまいました。
さらに、1864年には、イギリス、フランス、アメリカ、オランダ4国の連合艦隊から、17隻の軍艦により下関が大規模な攻撃を受け、長州藩は、関門海峡で戦争を行うこととなりました。
馬関戦争と呼ばれるこの戦いで、長州藩は惨敗してしまいますが、講和後は急速にイギリスに接近し、それまでの素朴な尊王攘夷論を開国尊王倒幕論へと大転換し、幕府との2度にわたる戦争をへて、明治維新へと突き進んでいきました。


これらの幕末の長州の遺跡の他に、歴史を遡って、平家の壇ノ浦があったり、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島があったり、耳なし芳一のお寺があったりして、歴史好きには楽しい所ですが、全くの歴史音痴、大河ドラマ大嫌いのカミサンには、退屈する場所のようでした。

しかし、大観光地なので、お土産もの屋さんが沢山あり、楽しんだ様子でした。
門司港の帰りは、唐戸から対岸まで5分フェリー(400円)で戻りました。
JR門司港から博多への電車時刻表を見ると、直行は少なく、快速は1時間に一本しかないので、小倉まで行くことにして、切符を買うことにすると駅員さんがから小倉で特急ソニックを薦められました。
JR九州の自慢の木をふんだんに使ったデザイン列車です。
しかし、特急料金が発生するので躊躇すると、JR東日本にはない、二枚切符と云う割引率が高い二人で使える回数券なら、快速よりも二人でプラス140円高いだけで、40分も早く博多に着くと説明され、乗ることにしました。
いつも、ネツトで時刻表を調べ、スイカがつかえるかどうかだけの判断でしたが、地方には、お得な切符が沢山あるようです。

hakata09.jpg3日目は、定番の大宰府と博多市内観光です。
博多の大観光地大宰府は、17才の少年の頃は来ていません。
当時の国鉄均一周遊券ではこれない西鉄路線だからでした。
私たちのイメージでは、博多と云えば大宰府なので、市内とばかり思っていましたが、地下鉄を乗り継ぎ、西鉄天神・二日市乗換です。
3つ乗り換えると云う、公共交通機関に不慣れなシニアが多いなか、大宰府の観光客の半分は、アジア系の観光客でした。
彼らは、一様にスマホ片手に、博多からスムーズに乗換てきているのです。
ガラケーの私たちは普段何不自由ないのですが、やはり、旅先ではスマホは便利なようです。
12月、ガラケーのバッテリーが不調なので、ついにスマホに切り替える予定です。

hakata10.jpg博多市内の観光って何処へ行く?
博多は食べ物は名物が多いのですが、では観光って大宰府以外何処に行ったら良いの?
ガイドブックは、ラーメン・水炊き・もつ鍋の紹介や、若者向けのショッピングセンターの案内ばかりです。
最終日、大宰府に行って帰ってきて、15:30のフライトまでの時間つぶしに私たちが選択したのは、博多名物「博多祇園山笠」を展示している中洲川端の櫛田神社周辺の下町でした。
地図で見ると、地下鉄二駅ほどなのですが、私たち歩く派からすると博多駅から徒歩15程度の距離なのです。
ここの博多博多工芸館のおねーさんに紹介された博多最後のランチは、名物博多うどんでした。
ほとんど観光客の来ない庶民的なお店で値段も安く、味もボリュームも満点でした。
しかし、何故かお客さんは、アジア系の観光客が半分ほどいます。
日本のネットではヒットしないのに・・・・「ウエスト 川端店」☆4つの評判店でした。

帰宅して、18時に鎌倉に着くと、この時間の博多と違って駅周辺は真っ暗、やはり博多は大都会なんです。
posted by 西沢 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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