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2018年07月07日

麻原彰晃の死刑執行の臨時ニュースが流れた

地下鉄サリン事件。今から23年前、1995年(平成7年)3月20日の朝、都内で発生した同時多発テロ事件を今更ながら、思い出しました。都内に勤めるサラリーマンなら、一歩間違えばあの事件に巻き込まれていてもおかしくなかったのです。
当時、私は47才の建設エンジニアでした。
担当していたのは、今は観光名所となっているお台場開発の第一歩、新橋からの交通手段「ゆりかもめ」全13駅の空調システムの全自動化と、一括中央監視システムの構築と施工でした。

お台場地区は今でこそ、レインボーブリッジで繋がれ、新木場方面からも行ける、近未来的な地域ですが私が担当し始めた時は、この地区への足の便が全く存在せず、ほとんど道路もない、泥道を歩いたりタクシーで通うような状態でした。
東京都は無人運転の「ゆりかもめ」の各駅も出来るだけ駅員を少なくして、その当時の技術力を集結して管理運営する方針でした。

asahara.jpg1995年(平成7年)3月20日朝8:30、ある駅を施工するゼンコンの早朝会議に、全駅の空調自動化を設計を担当したものとして参加を要請され、新橋駅に降り立ち、営団地下鉄に乗り換えようとしたら、停まっているとの掲示板を目にしました。
最寄駅は日比谷線の茅場町なのですが、停まっているなら仕方ないと、運転している都営地下鉄浅草線で宝町まで行って、そこから歩くことにしました。
宝町の駅を一歩外に出ると、廻りが何かあわただしい雰囲気です。
上空には、数台のヘリコプターが旋回しています。
裏通りを、会議のあるビルに向かうと、茅場町方面には、ハリウッド映画のように赤い点滅灯が無数に廻っており、赤い消防車両が何十台もいます。

人込みを避けて会議の行われるビルに行くと、「毒ガス大丈夫でしたか?」と聞かれました。
エー、毒ガスですか?、私は何ともなかったのですが・・・
会議はこの電車事故で30分以上遅れて始まり、何もなかったように終わりました。
その2日後、3月22日、鳥かごを持った警察の機動隊が、上九一色村のオーム真理教のサティアンと呼ばれる施設に入っていく映像が流れました。

この時初めて、オーム真理教の仕業であることを知りました。
この事件の5年前、わたしが勤める会社近くの駅前がやけに騒がしいので見に行くと、あの怪しげな宗教のリーダーの被り物を被った若者が大勢、「ショーコー・ショーコ―」と叫んでおり、清純そうな白服の綺麗な女性数人に囲まれた、麻原本人がいました。

働き盛りのバブルの頃の自分の生活、仕事、あの当時仲間を思い出す今回の松本智津夫の死刑執行のニュースでした。
posted by 西沢 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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