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2018年02月27日

古稀70才を迎えました、還暦の時とは大違いです

太平洋戦争が終わった三年後、昭和23年1948年に生まれ、今回で70回目の誕生日を迎えました。父親が6年の長きに亘って結核療養所に入院していましたので、昭和20年代世間一般はまだ貧しいなか、 特に私の家では、4人の子供たちの誕生日を祝う余裕は全くなく、誕生日のお祝いには全く無縁の生活でした。
長じて上京し、まもなく二年後にはアルゼンチンに渡り一人の生活をしてきましたので、誕生日を祝うことも 、祝ってくれる身内も友人もなく、青春時代を過ごして帰国・結婚しても、子供がいない二人の家庭では、 特別お互いの誕生日を祝うこともありませんでした。

60才の節目の還暦も特に意識しませんでした。
家庭があり、子供或いは孫がいたりしたら、還暦の祝いを家族がするのかも知れませんし、元会社のように 家族的な雰囲気を残す建設業の現場では、部署・課・現場で還暦の祝いもしていたましたが、私の場合、 60才時にはすでに職を離れ、隠居生活に入っていましたから、廻りで祝うという事は有りませんでしたし、 仮に、祝いの席を設けると云っても遠慮したと思います。

60才は昔のような「おじいさん」さんではないからです。
還暦を迎えるころ、いつも頭の中で童謡「船頭さん」の歌詞・メロディを思い起こしていました。 自分は年寄りではない、おじいさんではないと。

村の渡しの船頭さんは、ことし六十のおじいさん
年はとってもお船をこぐ時は、元気一ぱい櫓がしなる
ソレ ギッチラ ギッチラ ギッチラコ

しかし、70才・古稀は非常に強く意識しています。
先月、実兄が72才で亡くなりました。ガンです。
父親は、71才で亡くなりました。動脈瘤破裂です。
姉の夫は70才で亡くなりました。心筋梗塞です。
妻の父親は72才で亡くなりました。食道がんです。
妻の姉の夫は50代で亡くなりました。クモ膜下出血です。
どうひいき目に見ても、私の家庭環境・血液環境は長寿家系ではなく、 平均寿命以下の家系と勝手に思っています。

70.jpg定年退職後の第二の人生・青春は終わりです。
古稀を迎えてこれからの人生は「残された人生」と考えるようにします。
この思いを強くしたのが、誕生日前日に届いた市からの書類でした。
国民健康保険高齢受給者証です。
遂に、医療費は2割負担になるのです。もう立派な高齢者、お爺さんと、行政が云っているのです。 この保険証が届き、誕生月2月末日に予定していました、定期健康診断検査と2ケ月に一度の通常受診を 3月に延期しました。
誕生月の翌月一日から、二割負担になるのですから、もったいない。
カミサンの誕生日は私の誕生日と一週間しか違いません。
結婚してから40年一度も、二人の誕生日は祝っていませんが、今年は特別です。
退職後の13年間は、海外ロングステイごっこは生き尽くし、その後は毎月国内を旅していますが、常に 年間旅行予算に縛られての旅ですが、今回だけは、料理が自慢の温泉宿にしました。
春の訪れを告げる、早咲き河津桜は過去に3回行っていますが、何れも日帰りでした。
今回は、伊豆稲取の雛祭りを見て、東伊豆・北川の温泉に早めに入り、翌日、河津桜を見て帰ってくる予定ですが・・・相変わらずの貧乏性故に、スーパービュー踊り子ではなく、東海道線・伊東線・伊豆急 乗り継ぎ各駅停車の旅です。

せっかくの古稀の誕生日記念の夫婦の旅なんですから、少しは贅沢しても・・・とも思うのですが それが出来ないのが、リタイヤ団塊世代シニアの特徴なのかもしれません
posted by 西沢 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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