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2019年10月18日

国民健康保険高額医療費の支給申請書類が届いた

table00.jpg先月のある日の朝、新聞を取りに階下のメールBOXに、市からの封書が届いていました。
又、何かの請求書かと思って開封すると、高額医療費支給申請書です。
高額医療費請求の解説では、図のように、自分から書類を整えて請求するようにかかれていますが、そんなことはなく、行政のほうで自動的に、請求して下さい、と云う書類が郵送されてきます。
でも、そんなに入院も大病もしてないし、大金を払った記憶はないのですが、何でと内容を見てみると、6月分、支給金額258円とあります。
私は、高齢者であり低所得者二類の認定なので、1か月に実際支払った金額が8,000円をオーバーした分、市から自動的に、高額医療申請請求書が送られてくる仕組みです。
71才ですから、医療機関の負担は2割です。

申請書に6月に受けた医療機関と実際に払った金額の詳細が明記されています。
table01.jpg実支払い 8,258円 -高額医療限度額 還付金 258円
この月は、顔面帯状疱疹だった月で、眼科・皮膚科に二回行っていました。
それで、還付金が258円。
もうどうでも良い金額なので、放っておこうと思いました。

昨日、再び高額医療の請求申請書が届きました。7月の分です。
table02.jpg実支払い 11,928円 -高額医療限度額 還付金 3,928円
この月は、確かに胃の調子が悪く、胃カメラをやったのを覚えています。
6月、7月合計の還付金の合計は4,186円
これはちゃんと貰わなければと、2ケ月分、申請書を書いて請求しました。


改めて、日本健康保険制度について考えさせられました。
71才の高齢者に属する私の健康に関する費用、医療機関に払った金額は2ケ月で約10万円です。
そのうち、私の負担は高額医療費還付込みで、16,000円、つまり国民健康保険から84,000円支払われているのです。
でも、それが健康保険制度、月々それ相応の保険代を払ってはいるのですが、高齢の低所得者ですから夫婦二人の年間国民健康保険料は、5万にも満たない金額なのです。

高齢の、少ない年金だけが収入の低所得者ですが、正直、申し訳ないと思っています。
日本の社会保険制度、国民皆保険制度の恩恵に預かっている身ながら、世界でも稀な、前例のない、「低成長、少子化、高齢化社会」に突入した日本と、それを支えなくてはいけない、子供たちの未来にたいして、今何が出来るか。なるべく、医療費を抑え、健康でいる・・・なんて個人の力だけでは、問題は解決しないでしょう。
高度経済成長時期に構築した、社会保険制度が、未来永劫続くと過信し、そのまま、何もせずに現在に至った、私たち日本国民全員のせいなのか?

私が20才で海外に出た理由は。
小学校入学から中学・高校・大学受験を通じて、考えたことは、私たちベビーブーマー世代の大きな塊は、づっと競争の時代が続くのだろうと、考えました。
就職・結婚・持ち家、そして老後の病院・墓場まで、日本ではベビーブーマー世代の競争、生き残りが続く。それを避けるために、私は海外に逃避したのです。
しかし、私は戻ってきてしまいました。
日本の高度経済成長の波に乗り遅れまいと。
もう、この現実から逃げることは出来ません。
71才、あと7〜8年、現実の日本の「低成長、少子化、高齢化社会」と向き合っていかねばならないのです。
タグ:高額医療費
posted by 西沢 at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月16日

台風19号、生まれ育った故郷の街、長野市の大水害

日本列島は災害列島と云う、いつも何処かで、台風や地震の災害が発生している。
しかし、首都圏の温暖な街に住んでいると、それは何処か知らない土地、縁のない場所であり、
大変だろうな、とは思うが、それは全く見知らぬ他人の上に起きた災害と捉えているのも事実である。

しかし、今回の台風19号の災害は、私の生まれ育った場所で起きた。
私は、長野県長野市、善光寺の境内を遊び場として育った。
生まれ育った家は、長野市の大繁華街、盛り場のど真ん中でした。
県一番のアーケード街があり、小学校の頃から、すでにスーパーマーケットで日常的に買い物する環境、小学校への通学路は、赤い灯青い灯の歓楽街の裏小路でした。
ここで18才まで育ち、上京し、若くして海外にで、帰国した時には、商売をしていた両親は、市内西側の新興住宅地に家を建て、引っ越していました。

そこは、母の実家近く、近くには犀川と千曲川が合流する箇所から1.5Kほどの、当時は長野市の規模からする郊外の田舎でした。

台風19号の長野市水害のニュースを聞いて、両親亡き後実家を継いでいる兄に電話して状況を聞きました。
テレビで報じている浸水場所の地名は、18才まで暮らした私には全く知らない地名でした。
千曲川堤防決壊現場から5km離れた場所でも、床上浸水と聞いていました。
確か、兄の住む、今では唯一帰る故郷の家は、たしか千曲川に近い、と云う事は知っていたからです。電話先の兄に聞くと、実家は周辺、全く問題ない、決壊したのは、昔、自転車で遊びに行っていた、村山鉄橋の先、「穂保」と云う名の地区だと云います。



長野市は市町村合併を繰り返し、巨大化しているので、その名前を聞いても全く解りません。
兄は「アップルライン」の周辺と云うのを聞いて、凡その場所の見当がつきました。
JR信越線に沿って、新潟方面に行く国道のバイパスとして、千曲川に沿って出来た、私の遠い記憶の中ではスーパー国道です。しかし、今は高速道路が出来て、この周辺リンゴ園はどんどんと宅地化されているようです。

TV画面の被災者のインタビューを聞いていても、この土地を買い、家を建てた時に、千曲川による災害と云う事は全く考えもしなかった、と答えています。
確かに、長野市で生まれ育った私にとって、台風とは、遠い西日本や海に近い首都圏の話、どんなに大型の台風が日本列島を横断・縦断しても、四方を高い山々で囲まれた長野の盆地にやってくる台風は、勢力を極端におとしたものとしか考えきれないからです。

しかし、浸水災害の後のニュースで知ったことですが・・・
市発行のハザードマップではこの地域は、100年に一度の豪雨があった仮定した場合、千曲川から5KM範囲は最大4mの浸水があると記されているとのことです。
そして、また或る識者によると、自分の住む地域の地図に書かれて地名に注意すべきと云います、今回浸水した地域から「赤沼」「長沼」と云う地名が読み取れるのです。
明らかに、大河に沿った湿地帯、水に縁のある場所なのです。
と、云っても後の祭りですが。
実際、家を建てる時、そこまで考えないでしょう。

nagano19-1.jpg実兄に、「今の家を建てる時、千曲川からの距離や水害について、何か考えた?」と聞いて見ました。
「全く、露とも思わなかった」だれもそんなことを考える長野県人はいない。
「あの堤防が決壊するなんて」
「土地の値段と、会社までの車の通勤経路しか考えなかった」
私は「これからどうするの?」
「どうするって、来年後期高齢者になると云うのに、今更、この故郷を離れるなんて出来ない」
「この災害を機会に、国も県も対策を考えるだろうから、それに期待するしかない」

NHKのニュースを見ていて、ちょっと耳にしたことがある地名がありました。
何処で聞いたっけ、記憶を辿ると中学校の同級生の女性の家がある場所です。
彼女、生涯独身で定年退職してから、あの地名の場所に新築の家を建てたのを、新居の案内ハガキで知りました。
彼女の家、どうなっているのだろう。
しかし、今は連絡を取るのはよそう。
もし、重大な損傷があったら、かける言葉も、手助けも出来ないのだから。
posted by 西沢 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月14日

リタイヤ・定年後の趣味の王道、写真クラブのモデルケース「鎌倉フォトクラブ・ベアーズ」活動20年 元気の源

台風あけの14日、ようやく鎌倉・大船の街も通常どおり、賑わい、人出を取り戻してまいりました。前々から、ご案内のハガキをいただいていました、鎌倉の写真撮影活動、講座を通して、定年後、リタイヤ後のシニアライフをサポートするNPOセンター登録団体「鎌倉フォトクラブ・ベアーズ」の第20回写真展を覗いてみました。
会場は大船駅から徒歩10分の鎌倉芸術館(旧松竹撮影所跡)です。

この台風19号で、12日、13日、鎌倉市は全公共施設の閉鎖を決めていましたのでこの2日間誰もこなかつたのではないかと、お聞きしましたところ、何故か鎌倉芸術館はこの12日の台風の日も、定時まで開館していたとのことです。

この写真クラブは、16年前退職し、鎌倉に越して来た時に、最初に入った趣味のクラブです。
当時はまだ、カメラのデジタル化はされておらず、上級者の一部はリバーサル、ほとんどがネガフィルムの時代でした。
私はまだ50代の半ば、パソコン・ITに通じた若手として歓迎されました。
少しづつ、写真はデジタル化されると、写真クラブであるのだから、とホームページを造ることになり、専門知識を生かして、ホームページを立ち上げました。
鎌倉フォトクラブ・ベアーズホームページ

この頃から、「鎌倉フォトクラブ・ベアーズ」は、会員の写真の腕・レベルは鎌倉の写真クラブのなかでは中程度なのに、名前だけは全国区に、なり次々と新しい会員が増えていきました。
「鎌倉フォトクラブ・ベアーズ」は従来の、デジタルカメラの発達もあり、退職した男性のお金のかかる高度な趣味の世界から、女性も、学生も、誰でもが参加出来る写真クラブへと成長をとげてきました。
私とはと云えば、写真・静止画から動画・アニメーションの世界にスタンスを変えている時期で、10年前ほどに毎月一度の例会作品を提出するプレッシャーに耐え切れず、退会し、裏方のwebサポートに徹しています。

写真展には多くの昔のメンバーが集まっていましたが、半数以上は私の知らない会員です。
驚くことに、私が退会した当時よりも、皆さんの写真レベル・構図・色彩・光の表現が格段に上がっているのです。
明らかに、違う、私の得意にしていた、報道・記録・スナップ系とは違って、時間をかけて撮った「芸術作品」に仕上がっているのに、びっくりしました。

これらの鎌倉の元気な退職・シニアの「文化・市民活動」は、地元マスコミ、神奈川新聞、ケーブルテレビにも取り上げられ、皆さんの励みになっているようです。


神奈川新聞より

それにしても、昔のリバーサル・ポジ・ネガの時代と違って、写真レタッチソフト、デジタルカメラ、レンズ、プリンター・ITの進歩が、これだけ多くのシニア、女性の日々の生き甲斐、元気の源となっていることは、喜ばしいかぎりです。

posted by 西沢 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月13日

台風一過の青空、それでも爪痕がここ、かしこ

今回の台風は、雨台風のようでした。
予報どおり夜の9時頃、湘南の上を通過して行きました。
マンションと云えども、我が家のリビングは東南に面しており、凄まじい轟音とともに、ガラス窓が震えるほどでした。
しかし、朝になると前回の15号と違って、目の前の公園広場にも、道路にも吹き飛ばされた枝や、葉っぱは見受けられません。鎌倉の一部では倒木による停電があったようですが、我が家は停電も断水も有りませんでした。

taifu19-1.jpgどうやら今回の台風は雨台風で、関東西北部の山岳地帯にぶつかり大量の雨を降らせたようです。
首都圏平野部の河川に幾らか影響でているようですが、この時間帯ではまだ分かりません。
が、朝のTVニュースをみると実家の長野市は千曲川の氾濫で大変なことになっているようです。
18才まで過ごした、長野市は、廻りを山々に囲まれているので、どんなに大きな台風がきても、長野に達するに時にはもう、弱小化されている、との認識でした。

ましてや、あの大河、河川敷の広大な千曲川が氾濫するとは、誰も想像したことはないでしょう。NHKのTV画面をみながら、まずは大丈夫だろうと思いながら、実家の兄に電話すると、川からはだいぶ離れているので、全く問題なく、今浸水しているのは、千曲川(信濃川)沿いに走る東北新幹線沿線地域だと、話していました。
そう云われても、故郷を離れてから、50数年たっている今、その地名を云われても、解るのは林檎畑だけの思い出の地なのですが。

taifu19-2.jpg朝のTVニュースを見終わった後、カミサンから今日のお昼の買い出しに、駅前商店街の西友に行って、と、買い出しメモを渡されました。そのなかには、百均でベランダのガラスを拭くシートがありました。
昨夜の強烈な風で、ベランダ側のガラスは潮風で真っ白に汚れていました。
外に出ると、ご近所の戸建て隣組の知合いが数人集まっているので、何事かと聞くと、TVが映らないというのです。
原因は、ケーブルTVの断線のようです。TVがダメならネットっというと同じ契約をしているので、ネットもメールもダメ、と云う事て、最悪、スマホのデザリングを使ったら、と云うと、何それ、初めて聞いた言葉・・・そっかカンタンスマホシニアにはちょっと解らないかもしれないな。

taifu19-3.jpg駅前を流れる一級河川の水量はいつもとさほど変わっていませんでした。
雨台風は、関東平野部ではなく、北の山岳部に集中して降ったようです。
駅に着くと、構内アナウンスが流れています。
動いているのは、根岸線だけで東海道線、横須賀線の運転開始のメドは立っていないようです。
そして、改札口には手書きで、今日のワールドカップラクビー「日本・アイルランド」戦がある、新横浜への乗り換えルートが大書されていました。
駅ビルにある「ルミネ」は昨日12日は終日営業せず、台風一過の青空の日曜日は、午後12時から営業のようです。
カミサンから頼まれた買い物。と西友に行くと、ここも同じ、午後12時から営業のでした。

今日のお昼は、買い置きの「冷凍肉うどん」ですまそう。
タグ:台風19号
posted by 西沢 at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月12日

団塊世代のノーベル賞受賞者吉野彰氏は同じ71才同学年

旭化成の元サラリーマンの吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞した。
同じ団塊世代、1948年昭和23年生まれ、71才。
全く私と同じ同学年世代、それもお隣の藤沢市にお住まいとのこと。

このニュースで、島津製作所のサラリーマン技術者、田中耕一さんのことを思い出しました。
彼はのことで一番印象に残っているのは、「これで東京出張のさいに、のぞみに乗れるのが嬉しい」と、サラリーマンらしい言葉です。
私の現役時代所属していた業界と、島津製作所では一部競合する部分があって、出張のさいの「のぞみ」と「ひかり」使い分けの言葉に、とても親しみを受けました。
そして今回も旭化成のサラリーマン技術者、それも同じ同学年です。



同世代の吉野さんノーベル賞発表から一日経って、我が家でも、地元の団塊世代が多いスポーツクラブでも、そして、一部のマスコミでも話題になっているのは、71才にしては老けすぎていない?でした。
このような、栄誉ある受賞に、まるで女性の井戸端会議のような話をネット上で交わすのは、ご本人には大変失礼かもしれませんが、確かに、我が家のカミサンの最初の一言も、
「71才、貴方と同い年よ、ちょっと老けすぎていない、80台のご老人に見えるわ」でした。

私は今、所属しているボランティア団体で、70才定年について改革を進めています。
10年以上前に、60才団塊世代の一斉退職がありました。
その頃から、退職して地元に戻ってきた団塊世代の男性が、市内の市民活動団体に増えていき、
徐々にリーダー的役割を負ってきたのですが・・・

古稀、70才を過ぎても、自分は年寄りではなく、生涯現役であること主張し始めてきています。
入った当時に、先輩諸氏の「老害」を叫んでいた人々が、自分がその年齢になると、もう忘れてしまうのです。
経験・知識・人脈はありますが、如何せん、体力・気力が衰えてきます。
幾ら72才、まだまだ若いと思っても、商店街のウィンドーに写る、自分の姿をみて、愕然とするのを経験しているのです。
リタイヤシニアの付き合いは、仲間は全て同い年、或いは年上の先輩諸氏が多く、ご自身はまだまだ若手と思っている団塊世代、1948年昭和23年生まれ、71才。は多いのです。


月に一度は湘南のビックショッピングモールにあるシネコンに映画を見に行きます。
見る映画と云えば、同じ昭和世代が好む邦画の話題作が多いので、観客は圧倒的にシニア・女性です。映画の余韻に浸って、外に出ると、そこは巨大ショッピングモール、歩いているのは映画館の中や、自分が所属しているコミュニティとは全く違う、若い世代、子供たちの世界です。
こんな時、はっきりと、世代を感じ、自分が日本の高齢者社会の一員であることを自覚するのですが、内心は71才はまだまだ若いと思っているのです。

この話を同じコミュニテイに属する、81才の知り合いにすると、それは理解出来る。でも俺は若い、まだまだ家に閉じ籠るような年齢でもなく、クラブの代表、会長は俺でなくては出来ない、と云います。
それがシニアの思い違い、「老害」なんだと云っても聞き入れません。

でも、確かにカミサンや、一部のマスコミが云うように、TV画面からみる吉野彰さんは、同じ団塊世代、71の同学年から見受ける印象は80才オーバーと云っても不思議ではありません。

「俺って、外部からみればあんな風に年寄りに見られるのかな」
posted by 西沢 at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月10日

日本一早い紅葉の絶景、大雪山旭岳の動画

昨年、古稀を迎えた一年目の暮に翌年の行きたい所リストを作りました。
そろそろ、だんだん、気力・体力・好奇心の低下も激しいので、自分自身を奮い立たせる意味もあり毎月一度は、夫婦二人で宿泊付き旅をするようにしています。
この「日本一早い紅葉・大雪山・旭岳」はその中でも、絶対に外せないものの一つでした。

退職してから通い出した、京都の神社・仏閣の作り上げられた紅葉美には感激しました。
そして、今回の自然林の紅葉の美しさもまた別格の美しさでした。
日本の紅葉の美しさを愛でられるのは、後、何回残されているのか。




posted by 西沢 at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月08日

初秋の北海道の旅三日目 札幌滝野霊園の頭大仏と二条市場の海鮮丼

今回の札幌の宿は地下鉄「中島公園」のJALシティーホテルです。
泊まった29日の10日前、9月20日開業したてのホカホカ・ピカピカのJAL系のセカンドブランドホテルです。
最寄駅・地下鉄から徒歩5分以内でツイン、21平米以上のお部屋、2泊ので私たちの予算25.000円内に納まったので、決めました。
北海道のシティホテルの多くは、大浴場があるのが助かります。

10月の初旬に旅する札幌ですから、大雪山ではないにしろ、ある程度の寒さに備えた用意をして行ったのですが、私たちが旅した3日間の北海道は、ピーカンの天気の上、温度は8月下旬から9月初旬の温度で日中は25℃と暖いと云うより、暑いが続いていました。
札幌と云う大都会のホテルから見る、東の空は、冬の東京の澄んだ朝のように、とても綺麗でした。

札幌に泊まるのは、退職してから16年で4回目です。
札幌以外にも、函館・釧路・登別・稚内・旭川と数えてみると、2年に一度は北海道に来ているのです。
今回は、札幌市内で特に観光する予定もなく、朝は目の前の中島公園を散歩して歩きました。
流石、北海道の大都会、街のなかなのに、こんな大きな公園があるなんて、羨ましい。
定年後の国内移住先人気でも、札幌が沖縄についで二番目の人気地であることは、解ります。
但し、冬の寒さ、訪れの早さを除いては、という条件ですが。

札幌市内の主な観光地は行き尽くした感の私たちのこの日の目玉・目的地は、「滝野霊園の頭大仏」です。
何処かの雑誌か、TV番組で見て、直ぐにネット検索しました。
日本にこんな所、こんな仏様があったのか!
場所は地下鉄南北線終着駅、自衛隊や競技場のある郊外の「真駒内」から路線バスで30分ほどにある滝野霊園です。
平成28年8月、3年前に開園した墓地・霊園です。
この霊園内に、建築家 安藤忠雄氏の設計によるラベンダーの丘のもとに安置された、大仏様があるのです。

その姿SNSで世界に発信されると、外国人観光客の間で評判になりました。
確かに、インスト映えする世界が広がっています。
それと、何故か、イースター島のモアイ、イランの獅子像、イギリスのストーンヘンジまであるのです。
この新しい霊園の人寄せ、メモリアルなのでしょうが・・・
それにしても、大仏の設置方法・見せ方は、流石、安藤忠雄の作品です。
何度かの札幌滞在で半日ありましたら、絶対お薦めの場所です。
JR札幌駅から地下鉄・路線バスで1時間以内で行けます。
私たちは、初秋の10月でしたが、ベストはラベンダーの咲く季節、7月初旬から、中旬でしょう。


3日目の午前中は真駒内滝野霊園で済ませ、昼食は予定していました、二条市場内の「どんぶり茶屋」です。
ここも、インパウンド外国人観光客のSNSで超有名になったお店です。
私たちは、札幌にくる1週間前のTV番組「ユーは何しに日本へ」でこの店を知りました。
番組では「うに丼」を食べたくて、北海道まで旅してきた女性がねネツトでこの店を知り、入るのですが、メニューに「時価」と書かれているのを見て、時価の意味を調べ、その日の値段が5,000円と聞き、自分が泊まっているゲストハウス二泊分というので躊躇して一旦、お店の外に出て考え、再び入店して注文する云う、興味深い映像でした。

その時のこのお店のTVに映ったメニューの値段に惹かれました。
ほとんどの海鮮丼はある程度の大きさ、ボリュウームで税込み1,380円なのです。
安い!、私は何時もこのような海鮮丼の値段基準は、大都会の大手居酒屋チェーンと比較してしまいます。
旅先の観光地の有名「海鮮丼」は小さすぎるし、高すぎる、確かに新鮮なのでしょが。あんなものに、3,000円も、私たちは払えないのです。
この店の値段なら、北海道へ来た記念的に食べてみようと、やつてきました。
お昼時なので、市場内のお店の外は、全て待っている外国人観光客が15人ほど並んでいました。
20分程度待ちまして入れました。
私が注文したのは、少し大きめの1,980円・・・確かに安いのかも知れませんが、若い時ほどの食欲はなくこの程度のものでしたら、自宅近くの廻るお寿司「くら寿司」で、一人2000円分好きなものを注文して食べたほうが私には合っています。
とにかく、旅先での名物料理に興味がなく、蕎麦の美味さも、香りも解らない人間ですから。

夕方17:30発のフライトで羽田に戻り、自宅には20時前に戻りました。
確かに、北海道は近くなっているのを実感した今回の旅でした。
posted by 西沢 at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月06日

初秋の北海道の旅 二日目 多言語ツァーで洞爺湖・支笏湖巡り

2-01.jpg一日目、早朝の鎌倉から旭川に飛び、大雪山旭岳の紅葉を見てから、宿泊ホテルの札幌へ20時着と云うシニア夫婦にはちょつとキツイ個人自由旅行日程を組んでしまいましたので、二日目は、何も考えずに済む定期観光バスに乗って、54年ぶりに「支笏湖・洞爺湖・昭和新山」を廻ることにしました。

54年ぶりです。
高校2年の夏休み、東京発券の北海道均一周遊券が5,000円でした。
15日間の有効期限で、東京・青森間の一時下車もあり、北海道内は何回乗り降りしても、急行もOKの学生向けの国鉄のチケットでした。
1965年、東京オリンピックの翌年、日本経済が戦後混乱期からテイクオフし出した頃、高校三年生早生まれ17才の
私は、まだその当時高校生のアルバイトが珍しかった頃、日給500円のスーパーのアルバイトで貯めた12,000円を握りしめ、北海道に旅たちました。

カニ族と云う言葉が流行りだしていた頃です。
経済的に少しゆとりが出て来た大学生が、リュックサックを背負って、夜行列車に乗って全国を廻りだした頃です。
今では、リュックサックは、背負い易い縦長が主流ですが、当時は大きなサイドポケットがついた横長でした。
この横長リュックサックを背負って、混雑した列車の中を移動する際に、身体を横にして歩く姿から、カニ族と云う言葉が生まれたのです。
「知床旅情」の唄が生まれたのはこの数年後のことです。

北海道内の列車チケットは確保されていますが、宿代はないので、寝るのは持参した寝袋で駅の待合室か移動の夜行列車でした。
今では考えられないのですが、JR各駅の待合室は24時間開放されていました。
カニ族のほとんどは、大学生でした。
高校生の私は、当時校則の丸坊主でしたので、何回も駅の待合室で警察官に職務質問を受け記憶があります。

当時の北海道の移動は、列車もバス便も今とは比べようもなく・・・断然多かったのです。
時間は十二分にあったので何処へ行くにも、列車・バス・徒歩でいけました。
青函連絡船で函館に入り、東の端根室・納沙布岬から南の端襟裳岬、北の端宗谷岬と青春を謳歌しました。

今回、朝、鎌倉をでて、8時半には旭川に着き、その日のうちに札幌のホテルに入れたのは、ひとえに交通の発達、便利になったからか?
いいえ、54年後の北海道は、当時よりも却って交通の便は悪くなっているのです。
JRは道内の大都市間の列車は有料の特急のみ、各駅停車は短距離のみ、そして本数は朝夕の数本だけですし、観光地へのバス便は、ほとんどは午前2便、午後2便だけしかなく、車が使えない私たちのような個人旅行者にとっては移動し難い場所なのです。

今回の二人の旅で、札幌から公共交通機関で支笏湖・洞爺湖・有珠山を廻るプランをネツト上でシミュレーションしてみましたが、日帰りではかなり難しいことが解りました。そしてそれ以上に料金は意外と高い。
そこで、今回は札幌発の定期観光ルートに乗っかることにしました。
探し出したのは、「多言語ツァー/洞爺湖ホテルでの昼食付/一人7,100円」でした。
札幌バスターミナル発8:35、戻りは19:00の10時間のツァーです。
面白そう、と思ったのは「多言語ツァー」と云う名、どうやらインパウンド観光客相手のようです。

2-04.jpgネット「発車オーライ」で予約、支払いを済ませ、当日窓口でチケットを入手して乗車すると、この日の乗客は30名見回すと、日本人は私たちを含めて6人、後はアジア系の観光客です。
さて、多言語ツァーとは、どういうものなのか?、ガイドが何国語を使い分けて説明するのかと、思っていましたら違いました。
座席には、一つづつイヤフォンが備えつけられていて、言語(日本語・英語・中国語・韓国語)のスイッチで各々が切替るシステムです。ガイドは移動しつつ、その場その場で案内のボタンを押していました。ガイドの女性に、自動イヤフォン案内以外の時はどうするの?と聞くと、取り出したのは「ポケトーク」でした。

どうなの、ポケトークは?
と聞くと、画期的、超使えますよ。といってます。
日本語で話しかけると、対応する言語で相手に伝え、相手も自国語で話すと、日本語になる・・・まるでドラエモンの世界と・・・ガイドさん。
74言語対応、長文もOK、翻訳アプリはクラウド側、世界中で繋がるSIM付で24,800円とは!
参考翻訳例 https://www.youtube.com/watch?time_continue=37&v=UVbZuY3GDM4
定年後、海外旅行に行くので英会話教室へ・・・なんて必要なくなる。

2-05.jpg洞爺湖・支笏湖・昭和新山・有珠山はどうだったか?
54年前の少年だった頃来た土地と比べ物にならないように変わっていました。
何と云えば良いのか・・・全てが綺麗、整備されている、昔のようなお土産物屋さんはなかった。

半世紀も前の旅の地をトレースする旅でした。
最後に帰路、50年も前も、その後何度も来ている北海道で姿を見ることが出来なかった蝦夷富士
「羊蹄山」が夕暮れの車窓から見えました。


posted by 西沢 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月04日

日本一早い紅葉を見に、北海道大雪山旭岳へ 北海道の旅一日目

大雪山の紅葉を見に行くのは、今年の行きたい所リスト一つでした。
1番目は、沖縄慶良間諸島のホエールウォッチング
2番目は、福島喜多方の枝垂れ桜並木
3番目は、あしかがフラワーパークの大藤
4番目は、長岡の花火
5番目は、三陸リアス線列車旅
そして、今年最大の目的地は、日本中で一番早い、絶景の紅葉の地、北海道大雪山系、旭岳の紅葉です。

大雪山は富士山のような独立峰ではなく、山系の名称であり、多くの頂の集まり山系であることは、今回知りました。
その中で有名なのが、黒岳と今回の一番交通アクセスのよい旭岳です。

早朝5時起きで羽田空港発6時55分の全日空機にのると、旭川空港には8時30分に到着します。
朝の8時半には、もう旭岳直通路線バスのある旭川空港に行けるのですから、便利になったものです。
JR旭川駅⇒旭川空港⇒旭岳ロープウェ―駅の路線バスが1日4便運航されており、車に乗れない私たちのようなシニア個人旅行客にとってはありがたい存在です。
空港・ロープウェー駅間、所要時間は約1時間、料金は1,000円です。

ロープウェー駅と登山口でもあり、終着駅でもある一般観光客の行く姿見駅往復の料金は、2,900円と高いです。このロープウェー料金は、シーズンによって変化し、9月〜10月初旬の紅葉の季節がピーク料金なのです。ロープウェー駅で鎌倉から着てきた夏服をコインロッカーに預け、冬服・防寒着に着替えました。

旭岳に行くと決めてから、9月第2週あたりからは、TVのニュース番組では、日本一早い紅葉の映像が流れているのを見ていると、観光客の恰好は完全防寒着姿なのを見て、ダウン・帽子・マフラー・手袋・股引を用意してきたのですが
9月最終週9月29日の旭岳は意外と暖かいのに驚きました。

例年よりも、1週間から10日早い紅葉との情報でしたが、ロープウェー駅から姿見駅へのゴンドラから見る景色は
ちょうどピークのようで、こんなに綺麗な自然立って林の紅葉は初めてで、大満足です。
姿見駅は標高1,600mで、流石にこの日は暖かいとは云え、ダウンは必要なくても、ウィンドウブレーカーは必要でした。

旭岳は2週間前に初冠雪がありましたが、散策路には雪は残っていませんでした。
私が無知だったのか知りませんが、大雪山は活火山なのです。
各所に噴煙・蒸気が噴き出ており、散策コースには避難小屋があり、数年前、友人が遭難した木曽御嶽を思い出しました。
ロープウェ姿見駅と散策路には、阪急・クラツーの団体客や、インパウンド外国人観光客で混雑していましたが、意外と軽装なのでびっくりです。

この日は北海道をはじめ全国的に気温が高かく、午後から青空が広がって絶好の観光日和の一日でした。
旭岳ロープウェー駅・旭川空港・JR旭川駅の路線バスは一日4本の為、11時20分に到着した私たちは、帰りの15:30まで、
4時間たっぷりあり、比較的暖かい穏やかの日をここで過ごし、旭川行きのバスに乗車しました。
しかし、ほぼ紅葉のピークの日曜日満員が予想される路線バスのバス停には、1時間前から乗客の列ができ始めています。
路線バスで高速に乗らないので、原則立ち席の乗車も許されているのですが、1時間30分の乗車時間で、ロープウェ駅始発で
奥から座りはじめ、補助いすが満席となると、後のお客さんは次のバス2時間後となってしまうのです。

旭川行きの路線バスですから、途中乗車のお客さんは何とか乗車口付近に乗せ、満員・身動きの取れない状態旭川駅に着きました。
私たちのこの日の宿は、札幌です。
旭川から札幌へは、JR北海道が誇る「特急ライラック」です。
通常料金は5,220円です。
しかし、私たちは、駅ネットで事前購入すると45%引きの2,630となりました。
理由は、JR北海道の都市間交通を高速バスと競合する為、特別価格を設定しているのです。
ちなみに、高速バスですと、2,100円です。但し所要時間はJRの1時間25分に比べ、2時間5分と多少は時間がかかります。

こうして、自宅を早朝5時台に出て、北海道のヘソの旭岳を観光し、札幌のホテルに夜の20時前に入りました。
1日15時間の移動と観光の一日が終わりました。
posted by 西沢 at 07:24| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年10月03日

不正アクセス、ハッカーの侵入に追われた日

hac02.jpg北海道の旅先で自分のメールをチェツクしていましたら、利用しているサーバーから緊急メール
が入っていました。登録されている私のIPアドレス以外からのログインがありました。
不正アクセス、侵入の可能性があるので、至急パスワードの変更、セキユリティチェックをして下さい。というものでした。
と。云ってもここは、旅先北海道、手元にはスマホしかなく、ホテル・フライトをキャンセルして帰るのも・・・と旅を続けて自宅に戻りました。
夜9時頃の帰宅でそのまま風呂に入り、寝たいところなのですが、気になりパソコンをあけると、普段、NPO内でしか使わないメールアドレスに以下のメールが入っていました。

こんにちは!
私はあなたに悪い知らせがあります。
2019年7月23日 - この日、私はあなたのオペレーティングシステムをハッキングし、あなたのアカウント(XXXXXX@npo-kama.sakura.ne.jp)にフルアクセスできました。

それはどうだった:
その日接続していたルータのソフトウェアには、脆弱性が存在しました。
私は最初にこのルータをハックし、その上に悪質なコードを置いた。
インターネットに接続すると、私のトロイの木馬はあなたのデバイスのオペレーティングシステムにインストールされました。

その後、私はあなたのディスクの完全なデータを保存しました(私はすべてあなたのアドレス帳、サイトの閲覧履歴、すべてのファイル、電話番号、あなたのすべての連絡先のアドレス)を持っています。

あなたのデバイスをロックしたかったのです。
ロックを解除するために、私はお金がほしいと思った。
しかし、私はあなたが定期的に訪れるサイトを見ました, そしてあなたのお気に入りのリソースから大きなショックを受けました。私は大人のためのサイトについて話しています。

私は言う - あなたは大きな変態です。 無限のファンタジー!
その後、アイデアが私の頭に浮かんだ。
私はあなたが楽しんでいる親密なウェブサイトのスクリーンショットを作った (私はあなたの喜びについて話しています、あなたは理解していますか?).
その後、私はあなたの喜びの写真を作った (あなたのデバイスのカメラを使って). すべてが素晴らしくなった!

あなたの親戚、友人、同僚にこの写真を見せたくないと強く信じています。
私は$846が私の沈黙のために非常に小さいと思う。
それに、私はあなたに多くの時間を費やしました!

私はBitcoinsだけを受け入れる。
私のBTCウォレット: 1K9QiwYSU6tmysgQESkb1TZ*********

Bitcoinウォレットを補充する方法がわからないのですか?
どの検索エンジンでも、「btc walletにお金を送る方法」と書いてください。
クレジットカードに送金するよりも簡単です!

お支払いの場合は、ちょうど2日以上(正確には50時間)をご提供します。
心配しないで、タイマーはこの手紙を開いた瞬間に始まります。
はい、はい。それはすでに始まっています!

支払い後、私のウイルスと汚れた写真は自動的に自己破壊されます。
私はあなたから指定された金額を受け取っていない場合、あなたのデバイスはブロックされ、あなたのすべての連絡先は、あなたの "喜び"と写真を受信します。

私はあなたが賢明であることを望みます。
- 私のウイルスを見つけて破壊しようとしないでください! (すべてのデータはすでにリモートサーバーにアップロードされています) - 私に連絡しようとしないでください(これは実現可能ではありません、私はあなたのアカウントからメールを送りました)
- 様々なセキュリティサービスはあなたを助けません。 あなたのデータは既にリモートサーバー上にあるので、ディスクのフォーマットやデバイスの破壊は役に立ちません。

P.S. 私は支払い後にあなたに再び邪魔をしないことを保証します。
これはハッカーの名誉のコードです。

これからは、良いアンチウィルスを使用し、定期的に更新することをお勧めします(1日に数回)!

私に怒らないでください、誰もが自分の仕事をしています。
お別れ。



かなり変な日本語ですが、心当たりがあります。
団塊世代向けのホームページを開設して15年になります。
そのサイトでは、退職後孤立しがちなシニアを対象に、お互いの情報を交流する掲示板を造りました。例の有名「2チャンネル」の大人の団塊世代向けの真面目な掲示板です。
掲示板は双方向性が必須なのでかなり高度なプログラムが必要になります。
双方向と云うことは、かなりしっかりしたセキユリティを構築しないと、簡単にハッカーに侵入
されてしまいます。
hak01.jpgので、一般的には自作CGIによる掲示板は少なく、ほとんどが広告がはいるレンタル掲示板なのですが、デザイン・使い易さに拘ったのと、何処までシニアオジサンのプログラムミングの腕が通用するか?でかなり高度ですが安全なテンプレートほベースにして作ったものです。

あれから15年、セキュリティ対策も進化しつづけるのと、暇な大陸の若者の腕も進歩し続けて
ついに、今年の春辺りからおかしな現象が見られていました。
今回、ハッカーの書かれているメールの半分以上は、どこかのテンプ―レートほそのまま、コピペしているだけしょう。
しかし、確かに私のIPアドレスに侵入した痕跡・足跡ははっきりと残っていますので、そろそろ掲示板を閉めるか、別のもの使用と考えていた矢先なので、思い切って閉鎖に踏み切りました。

さて、すでに50時間経過していますが、中国大陸のお兄ちゃん、次はどうでるか?

posted by 西沢 at 07:46| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ