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幸せマネージメント 太田空真(生活デザイン研究所)

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沖縄漂流パート3ー4 [2007年10月03日(水)]
沖縄の集団自決と三権分立

 高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」の日本軍強制の記述が削除・修正された。

 軍部強制による集団自殺はなかったという新しい教科書の記述に対し、沖縄の人たちは抗議集会を開いた。その数11〜12万人という。沖縄の人口137万人の1割弱の人々がその集会に集ったのである。

 それを見た政府は、集団自決の記述に対し適切な対応を図るとの答弁書の作成を決定した。12万人の沖縄の人が、この問題に立ち上がったことで、政府がこの措置をとったのは事実である。

 しかし、沖縄からの抗議により政府がその記述を変えるという事実が、私には恐ろしいものに見えてくる。沖縄の集団自決の真実が政治的バランス感覚で処理される現実は、逆の見方をすれば、いつでも元に戻すことができるという意味を持つ。

 これが、最新の沖縄のニュースである。沖縄は政治に翻弄される歴史をいまも背負っている。そのほとんどの要因は、「政治バランス」である。

 このニュースを聴くことで、もうひとつの政府筋のニュースが私に見えてきた。

 鳩山邦夫法相は25日の閣議後の会見で、死刑執行に関し「法務大臣が絡まなくても自動的に執行が進むような方法を考えたらどうかと思うことがある」と述べ、死刑執行に必要な法相の署名がなくても自動的に執行が行われるようなシステムをつくるべきとする考えを明らかにした。

 日本国憲法には、三権分立が明記されている。この三権分立こそが、民主主義の基本となるものであることは世界の常識である。

 ここで、死刑の是非を論じるつもりはないが、死刑囚だけでなく全ての被告は、他の権力から介入されない独立した司法制度の下で判決が出される。だから、行政機関の政府も、立法機関の国会も、裁判に関与することはできない。これが三権分立である。

 しかし、司法の裁判で判決を出された死刑囚にだけ、行政の法務大臣が死刑執行命令書に署名をすることでその刑が執行される。ここに、憲法で明記している三権分立の精神があるのかという疑問が私にある。

 なぜ、死刑囚だけに行政府が介入するのか。この法律ができたころは、戦前の思想犯を取り締まった歴史を繰り返さないという意識がありこの制度にしたのかもしれないが、死刑の執行が法務大臣の意識ひとつで左右されるという事実は、三権分立の精神を根本から崩す制度ではないかと私は思う。

 この死刑執行制度と沖縄の集団自殺の問いかけが、ダブって見える意味は他にもある。

 現在、大阪地裁で「大江岩波沖縄裁判」が行われている。太平洋戦争の沖縄戦で、渡嘉敷島では村長の発声で「天皇陛下万歳」が三唱され、手榴弾による「集団自決」がなされた。その歴史的事実を争う裁判が「大江岩波沖縄裁判」である。

 慶良間諸島で住民の「集団自決(強制集団死)」がおこった。この集団自決は、旧日本軍の戦隊長が住民に命令を出したことによるという記述が、大江健三郎氏の著書に書かれている。

 この記述により名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の戦隊長とその遺族が、作家の大江健三郎氏と岩波書店に、出版の差し止めや慰謝料などを求め、大阪地裁で争っているのである。

 渡嘉敷島で「集団自決」を経験した78歳の金城重明氏は、兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ、「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」と訓示があったと、後になって当時の兵事主任から直接聞いたと証言した。自身の経験とも併せ、戦隊長指揮下の軍命令なしに「集団自決」は起こり得なかったと証言した。

 しかし、戦隊長側は、金城氏自身は手榴弾が配られた現場に呼ばれていないとして、兵事主任の話の信用性に疑問を提起し、何を軍命ととらえ、具体的にどう伝えられたか証言するよう求めた。

 座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏は、自決命令は出してないと証言している。

 この訴訟は、今年の11月9日に原告と被告の本人尋問が行なわれる。座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏や大江健三郎氏らが証言した後、12月21日最終弁論で結審し、来年3月までに判決が出る見通しだ。

 裁判で沖縄の歴史の真実が争われている。三権分立の独立した司法機関でその結論が出されるのだが、この裁判は最高裁まで行くだろうから、まだまだ時間がかかるだろう。しかし、この裁判が結審となったとき、政府は司法の独立性をどのように考え、それをどのように教科書に記載していくかが注目できる。

 戦後に本土に生まれた私は、沖縄のこの現実を思いやることはできても、その歴史の真理を問うための基礎知識をまったく持っていないといっても過言ではない。

 しかし、沖縄の人たちのいまの生活の中に、戦争の真実の重さが問われているという事実を忘れたくない。裁判だけでなく、多くの視点からの歴史検証も必要である。

 同時に、真の三権分立の独立性が保たれる民主主義国の日本が、正しい歴史教育をする国家であって欲しいと願っている。


*この記述に当たって、沖縄タイムス、沖縄新報の記事を参考にしました。


Posted by くう at 12:43 | 沖縄漂流 | この記事のURL