沖縄漂流パート3−2
[2007年09月27日(木)]
沖縄の美しい景色は、人間が創造したものではない

沖縄の人たちに会うと、「沖縄の景色は素晴らしいでしょう」とよくいわれる。
たしかに、沖縄の澄んだ海、そして、蒼く透き通ったあの空の色は素晴らしい。しかし、「この自然の景色やその色は、あなた方が創り上げたものではないでしょう」という思いを私は持ってしまう。
私は人間が好きだ。だから、人が生きてきた歴史を垣間見ることで、自分自身が体験できなかった世界に憧れを持ち、その方たちの体験を自分の心に叩きつけたいと思う。私は、人が創り上げてきた歴史に尊敬の念を持つが、自然が創り上げてきたものを自分が創ったように話す人に違和感を強く感じる。
その気色は、沖縄だけでなく奈良にも見られる。奈良の町は活気がない。東大寺の大仏様、新薬師寺、春日神社。その歴史ある建造物は素晴らしものだが、それを尊ぶだけで、それに満足するだけで、それを礎に成長していこうとする心を奈良の街から感じることができない。だから、奈良の人は、「大仏様の足跡を歩いているだけ」という印象を旅人の私は感じてしまう。
歴史を歩くということは、その歴史を礎として心に蓄え、その歴史から学び、いまの自分たちの世界を築いていくことなのだと思う。だから、自然が創り上げてきたものを自分たちが創り上げたような会話をする人たちを私は信用しない。
沖縄の自然の美しさ、特に、慶良間諸島のあの海の清らかさに私は参ってしまうが、そのとき、これを創り上げてきた自然に感謝すると同時に、この自然を守り続けてきた沖縄の人たちへの感謝の気持ちを強く持つ。
美しい沖縄の海には、多くの珊瑚礁がある。そこに暮らす海人は、自然の節理を守り、自然の恵みに感謝しながら、日々を生きてきた。そこに、自然と共生しながら生きてきた沖縄民族の知恵と誇りがある。
自然と同化しながら幸せに生きる知恵を、沖縄の人から学ぶことがたしかに多い。それが、美しい自然に守られ、自然に感謝しながら暮らしてきた、沖縄の人たちの心であり宝だと私は思っている。(空)

沖縄の人たちに会うと、「沖縄の景色は素晴らしいでしょう」とよくいわれる。
たしかに、沖縄の澄んだ海、そして、蒼く透き通ったあの空の色は素晴らしい。しかし、「この自然の景色やその色は、あなた方が創り上げたものではないでしょう」という思いを私は持ってしまう。
私は人間が好きだ。だから、人が生きてきた歴史を垣間見ることで、自分自身が体験できなかった世界に憧れを持ち、その方たちの体験を自分の心に叩きつけたいと思う。私は、人が創り上げてきた歴史に尊敬の念を持つが、自然が創り上げてきたものを自分が創ったように話す人に違和感を強く感じる。
その気色は、沖縄だけでなく奈良にも見られる。奈良の町は活気がない。東大寺の大仏様、新薬師寺、春日神社。その歴史ある建造物は素晴らしものだが、それを尊ぶだけで、それに満足するだけで、それを礎に成長していこうとする心を奈良の街から感じることができない。だから、奈良の人は、「大仏様の足跡を歩いているだけ」という印象を旅人の私は感じてしまう。
歴史を歩くということは、その歴史を礎として心に蓄え、その歴史から学び、いまの自分たちの世界を築いていくことなのだと思う。だから、自然が創り上げてきたものを自分たちが創り上げたような会話をする人たちを私は信用しない。
沖縄の自然の美しさ、特に、慶良間諸島のあの海の清らかさに私は参ってしまうが、そのとき、これを創り上げてきた自然に感謝すると同時に、この自然を守り続けてきた沖縄の人たちへの感謝の気持ちを強く持つ。
美しい沖縄の海には、多くの珊瑚礁がある。そこに暮らす海人は、自然の節理を守り、自然の恵みに感謝しながら、日々を生きてきた。そこに、自然と共生しながら生きてきた沖縄民族の知恵と誇りがある。
自然と同化しながら幸せに生きる知恵を、沖縄の人から学ぶことがたしかに多い。それが、美しい自然に守られ、自然に感謝しながら暮らしてきた、沖縄の人たちの心であり宝だと私は思っている。(空)



