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東日本大震災の体験/佐藤 順子 [2017年03月23日(Thu)]
震災体験・出前講座


東日本大震災の体験

CILたすけっと 佐藤 順子


CILたすけっと障がい当事者スタッフの佐藤順子と申します。
私はここから程近い仙台市青葉区のK地区という所に高齢の父と二人暮らしをしています。

5年前、2011年3月11日午後その日父は外出予定でしたがたまたま遅刻をしてまだ家におりました。

午後2時46分、地震発生。ガタガタガタ、ガタガタガタ、何度も何度も大きな揺れが繰り返し続きました。車イスに座っていた私も車イスごと前後左右に揺さぶられました。

比較的地盤が固く被害が少なかったと言われている青葉区八幡でしたが本棚からファイル類が落ち飾り物の人形などが倒れてきました。

私自身は揺れで首が倒れてしまい声を出すこともできませんでした。頭の上では照明器具も大きく揺れいて地震対策は施されていたものの恐くて私は首が倒れて上を向いたまま足元のようすも見えないのに電動車イスを操作して照明の下から避難しました。

数分後、父も部屋からやっと出て来て首を起こしてもらうことができました。

まず電気が停まりました。テレビや暖房が消えてしまい情報が途絶えました。

普段からどれだけ電気に依存しているのかが良く分かりました。地震のあった3月11日はまだまだ寒く雪も降っていました。

普段、私が一人でいることも多いため我が家の暖房は全部が電気なしには動きません。電動車イスと携帯電話なしで暮らすことは出来ません。

乾電池式のラジオをつけていましたが津波と言われても全く想像がつきませんでした。後になって近所の留学生がiPadで荒浜や仙台空港の津波の様子を見せてくれたのですが現実のことのようには思えませんでした。

暗くなって当時お世話になっていたヘルパー派遣事業所から実際にはケアをしていない主任さんが男性の事務の方を同行していらして避難所に行くかどうかの話をしました。その場でトイレに行きますかと言われましたが普段女性2人でトイレに移乗してもらっているのとその時まだ私が事態の深刻さを実感していなくて就寝前にもいつも通りのケアがあるものだと思いその場ではトイレ介助を断ってしまいました。

外も寒く雪も積もっていて避難所である小学校への道のりは困難だと考えましたし避難所でのトイレの問題もありましたので私は建物の被害がほとんどなかった自宅に留まることにしました。ただ更に大きな余震があって避難を余儀なくされる場合を想定して電動車イスに乗ったままでいることを伝えヘルパー派遣事業所のお二人は次の安否確認のために我が家を離れました。

情報がなかったこともあり他の場所でどんな被害があるかも分からず私はこの車イスに乗ったままトイレにも行けずベッドに横になることも出来ず暖房もないまま何時までこの状態が続くのだろうと不安な一夜を過ごしました。

車イスに座ったまま居眠りを...してたかしてなかったか...その間も余震は止むことなく静かだけれど時より地響きのような音と揺れが続く長い長い夜でした。

朝になってヘルパー派遣事業所からいつもの女性ヘルパー2人が来てくれてやっとトイレに行くことが出来ました。そこで今後のケア体制を話し合い、ガソリンもなくなってきていて自転車で移動できるヘルパーのみ対応になるとのこと。緊急事態でもあり起床時間と就寝時間の変更とトイレ回数の調整を了解しました。

ベッドで動けない時間も長くなり携帯電話の充電も電動車イスのバッテリーの充電も底をつき不安はますます募りました。夜はロウソクの灯りの下でのケアとなりました。

明るくなって色々な事が分かってきました。都市機能がストップしていて普段は会社や学校にいる人々が町のあちらこちらで列をなして食糧をかったり水をもらったりしていました。

この震災で感じたのはご近所の方々と県外や海外から駆けつけてくださった方々への感謝の気持ちです。

高齢の父と障がい者の私が二人暮らしであることを知っているご近所の方々がたくさん声をかけてくださいました。

そして我が家は留学生の家族に部屋を貸しており当時はインドネシアからの留学生家族が2組住んでいました。みんなで情報を共有しながら我が家に集りました。

留学生の一家族に提供していた部屋はプロパンガスが使えたのでその家族や留学生仲間が集まって炊き出しをしたりお湯を沸かしてくれたので私達やご近所の人達もインドネシア料理を数日間たべていました。また新潟県から陸路で震災翌日に駆けつけてれた留学生のネットワークチームが我が家にもたくさんの支援物資を運んでくださいました。

近所の酒屋さんでは自分の店のお酒が大変な被害に合っているのに井戸水を生活用水として誰にでも提供してくれていて遠くからタンクを持った人々が長蛇の列をなしていました。そこにも近所の方々や留学生が並んでくれて我が家は水道が止まっていた数日間も生活用水に困りませんでした。

近所の灯油屋さんが真っ先に灯油を持ってきてくれたり歯医者さんが飲み水を運んでくれたりくれたり隣近所の方々が並んで買った食糧や生活用品を分けてくれたりしました。

2011年の震災では多くの犠牲者が出ました。とてもとても悲しいことです。人間の力をはるかに超えた自然災害でした。それでも私達に出来ることは協力を求め協力を提供し協力しあうことです。小さな力を大きく繋げることだと思います。

もう一度ここで感謝の気持ちをお伝えし今日また新しく皆さんにお目にかかれる機会をいただきお話しさせて頂いたことに感謝もうしあげます。
ありがとうごさいました。

以上
Posted by CIL たすけっと at 12:31 | 3・11東日本大地震 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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