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【報告】「第10回卒後を考える全国交流集会in石巻」で講演をおこないました [2016年09月15日(Thu)]
講演報告

「第10回卒後を考える全国交流集会in石巻」で
講演をおこないました


卒後1.jpg


卒後2.jpg



〈 はたらく 〉について

佐藤 順子

1.サトウジュンコ54歳・障がい歴53年
2.幼稚園・小学校・中学校・高校・宅浪・大学
3.カテキョー・赤ペン・ECCジュニア
4.障がい者自立生活センターCILたすけっと
5.ちいき・ともだち・つながり


1.サトウジュンコ54歳・障がい歴53年

皆さんコンニチハ!

仙台市太白区長町にあります障がい者自立生活センター〈CILたすけっと〉障がい当事者スタッフのサトウジュンコと申します。

今朝、4時28分に出来あがったばかりの文を読みます。宜しくお願い致します。

本日〈CILたすけっと〉では自立生活センターとしての重要な活動であるピアカウンセリングの一環として、ピアカン集中講座という、宿泊をしながら障がい当事者同士お互いをエンパワメントするという講座を開催しています。当事者同士で話しをしながら自分自身の自己信頼を取り戻していくピアカウンセリング、略して、ピアカンについては、ご存知の方も多いのではないでしょうか??私はつい最近になって知ったのですが。

そんな訳で、ピアカン集中講座のほうに、今日は〈CILたすけっと〉から多くのスタッフが出向いておりますので、ピアカン得意でないワタクシが今日こちらでお話しさせて頂くことになりました。お仕事バリバリの若手の障がい当事者スタッフの話が聞けなくて、皆さん今日はザンネンでした。

しかし、ワタクシ54歳・障がい者歴53年。長い歴史がありますのでお話しするネタは尽きません。その中から、本日もよりすぐり、ワタクシの〈はたらく〉意義について体験談を語らせて頂きます。本日のテーマに合っているのか少々の不安もありますし、多少ズレていくところもあるかも知れませんが、宜しくお願い致します。

前置き長くなりましたが、まず、私の障がいについてお伝えします。私は生後1歳半で脊髄性筋萎縮症を発症いたしました。進行性の病気で身体がふにゃふにゃしております。体幹装具を着けていないと座位を保つことはできません。首・手・足など末端の部分もふにゃふにゃしておりますので、2人制で座位を保てるまでセッティングして頂いて、こうして石巻までも電車に乗って来ることが出来ます。


2.幼稚園・小学校・中学校・高校・宅浪・大学


次に私の社会との関わりをお話ししたいと思います。始まりは幼稚園です。ワタクシは、はじめに紹介し忘れましたが、仙台市青葉区S地区に現在85歳の認知症の父と2人暮らしをしております。どんと祭で有名な八幡宮のすぐ近くです。生まれてからほぼずーっとその場所に住んでおり、地域生活にドップリつかっております。

生まれた時から今も変わらぬ場所の自宅ですが、徒歩1分ほどの所に、当時は、私立の小さな幼稚園がありました。園長先生のご家族にも障がい児がおられたので、私の入園にも積極的に考えてくださり、とてもご理解があり、ご協力も得て、私はこの幼稚園によって社会デビューを果たしました。

以降、地域の公立小・中・高でいわゆる普通学校の普通教室に通うことが出来ました。小・中学校や教育委員会との就学交渉については、私の見えないところで大人達が静かにおこなっていたようで、本人は至って普通に、近所の友達と同じ学校・同じ教室で学校生活を送っていました。学校帰りは友達の家で暗くなるまで遊んでいました。

時代を感じますが小学2年生までは乳母車で通学、11歳の時に電動車イスを使い始め、中学は現在と同じような電動車イスで通学しておりました。

私も小学校までは普通にオバカな小学生でしたが、中学生になると周りの影響もあって成績もかなり伸びまして、高校・大学の進学を考えるようになりました。その頃になってようやく学校に入るって簡単じゃないんだ!と本人も自覚し始め、大きな壁にぶち当たるようになりました。

それまでは、皆んなと同じように勉強してきたと思っていました。皆んなはそうではないのに、まず受験そのものを拒否される!ということが起こります。中学の多感な時期のこの経験で、私も普通にグレました。そして「そんな学校わたしも受けないよ」って言って一緒にグレてくれる友達もいました。

でも、高校までは自宅から徒歩5分、絶好のロケーションであり、それと中学までは成績優秀だったので、受験勉強をしながら、いや、その頃はグレてたんで勉強はしてなかったと思いますが、中学校の先生方や両親が、当時の主治医の先生と校長先生との話し合いも交えながら、高校側との受験交渉を続けておりました。

そして、いろいろ条件をクリアして受験オッケー!あとは貴女の成績次第ですよ!というところまで交渉は進み、あとは全て私の試験当日本番での実力にかかってますよ!という普通に皆んなと同じ状況に追い込まれ、今、思い起こすとコレもまた楽しい思い出になりました。

そして、そして、もっと楽しい高校生活の始まりです。入学前に先生方がご心配されていたことは、進学校ゆえ、私との関わりが他の生徒の学業に支障をきたすのではないかというコトでした。

先生!生徒のチカラを甘くみないでください!同じ教室で過ごしていればテキストなんかなくたって私に何が出来て何が出来ないか感じてくれてサポートしてくれるのです。普段の教室掃除はサボっても私のために雪かきをしてくれた彼女は学校でもトップの成績で今は麻酔科のお医者様になっています。

私の成績は伸びなかったけれど色んな考えの人に出会えました。天才の勉強の仕方も肌で感じることが出来ました。とてもとても充実して楽しい高校生活でした。

そして、あっという間の三年間。主たる目標もないまま大学受験の時期を迎え、自分の勉強の足りなさも充分な要因であるのですが、今となっては歴史のヒトコマのような5教科7科目の共通一次マークシート試験と二次試験を受けて撃沈! 自宅で浪人生活、いわゆる宅浪時代が始まります。一年間の宅浪時代を経て二度目の大学受験、あこがれのミッションスクールライフが始まります。

この四年間がまた楽しくて、今も気持ちが卒業できないまま、現在も大学の生涯学習講座に通っています。

宅浪時代の一年間も、人生のモラトリアムであるキャンパスライフも、私にとっては全てがお得な体験で、壁にブチ当たればブチ当たるほど皆さんに語れるネタが増えるわけです。


3.カテキョー・赤ペン・ECCジュニア

〈はたらく〉ってなんだろう?? 英語を専攻していたので少々英語で考えてみました。辞書で引くとwork-job-occupation-act-laborなど様々です。workbookという言葉でも分かるようにworkは勉強する時にも使う言葉で〈身につける〉というようなイメージがあります。

中学時代、新聞係をして働きました。小学校時代は掲示係だったかなぁ。図書係もしたことがあります。〈はたらく〉とは役割りがあること。それに賃金が伴うことも伴わないこともあるでしょう。小さな社会でも、大きな社会でも、誰にでも、社会を形成しているパズルの1ピースとしての役割りがあります。

大学受験が終わったら、まず、自分が勉強してきたことを人に教えたくなりました。ちょうど都合よくイトコの友達やイトコ達が中学生で勉強を手伝うことになりました。解らなくてちょっとつまずいた時に、解らなくてつまずいたことのある私が、解決したヒントを示すというのはとてもいい関係でした。

そしてイトコやイトコの友達のカテキョーと平行して、友達から丸つけのバイトがあるから手伝って!と言われました。試験を受けて、初めて、交通費の出る仕事をしました。

さて、大学4年になると周りでは、就職についての話題が盛り上がってきます。私にとっても卒後を考えなければならない時でした。

ずっと地域の学校でいられたことで社会参加をしてきましたが、それからは、自分からアクションを取らなければ引きこもってしまいます。社会からは孤立した状況になってしまいます。

イトコ達のカテキョーや丸つけのバイトをしてる頃から、自分の〈はたらく〉イメージは、塾の先生でした。近所の子を集めて寺子屋みたいなことをしている自分のイメージがありました。周りの同級生たちのように、どこかの会社に通勤して勤務するというイメージはありませんでした。それと、今なら可能である介助を得て勤務というのが、当時の私にはイメージされなかったのでした。しかし、寺子屋はどこからどう始めて良いのか全く分からない時に、新聞で〈ホームティチャー募集〉という広告を見ました。

いくつか似たような募集をしている会社がありましたが、私の障がいについて伝えると「やれるんじゃないですか」と門戸を開いてくれたのは1社だけでした。

その会社が良かったのか、その担当の上司が良かったのか、私はお陰さまで、20年間、自宅で英語を中心とした教室を営むことができました。

開設当初、あまり大きな声の出せない私に、その上司は「オウチではクチの大きなお母さんが多いので(ガミガミ怒ってコドモの話を聞いてあげないから)ミミの大きな先生になってあげて(コドモの話をいっぱい聞いてあげて)ください」と言いました。開眼でした!みんなと同じようなことがしたくて、頑張って、背伸びをしたり、ガッカリしたりしてきましたし、しようとしてました。そうじゃなくて、役割りがあったんだ!と思いました。勉強だけじゃない何かを求めて、私の教室を選んでくれる生徒さん達や親御さん達と共に歩んだ20年でした。

幼稚園から高校生や大人まで、のべ100人以上の生徒さん達と関わることが出来ました。日曜や夏休みも教室を解放していまたので、それぞれの課題を持って生徒さんが遊びに来ている感じでした。休みの時は、自習室のように使っていて、時々わからないところが聞ける人として私がいたり、私も一緒に調べたり考えたりすることも多くありました。私も、いわゆる見守りをしてもらっていました。小学校は6年間ですが、私の教室には10年以上通っていた子もいました。兄弟3人で通ってる子達もいました。障がいのある子もいましたし、不登校の子もいました。

とても充実した楽しい20年でしたが、後半は私の障がいの進行もあり、出来ないことも多くなって来ました。だんだん少人数のクラスにしたり、母に準備など手伝ってもらうことも増えてきました。

そんな折、母が突然なくなりました。それまでの43年間、はずかしながら家族以外の身体介助を受けたことがありませんでした。といっても、ほとんどの介助は母によるもので、朝まで普通にごみ出しをしていた母が、亡くなったと聞いた瞬間、びっくりして、悲しくて、涙も出ましたが、頭の中では、次のトイレどうしょう…夜はどうやって寝よう…と考えていたと思います。


4.障がい者自立生活センターCILたすけっと

母の死後、教室は縮小。応援してくださる生徒さんのお母様方もいて、しばらくリビングでほそぼそとカテキョー的なことをしていましたが、やがて父も倒れてしまい、そこで初めて制度を使っての生活が始まりました。といっても1日2回のトイレと起床と就寝介助、週に1度の訪問入浴、日中はほとんど動かずにテレビの前でじっとしている生活が続き、私も遂に入退院を繰り返すようになってしまいました。

そんな生活を同級生が心配して色んなところに連れ出してくれるようになりました。もっとも私がグズグズ泣き言をこちらから発信していたと思います。同級生自身も親になり、子ども達も大きくなり、今度は、自分達の親の心配をする年齢になっていました。自分の子どもにも障がいがあったり、親の介護をしながらだったり、友人達がいろいろな情報を持ち寄ってくれて、私もこのままじゃいけない!という気持ちになりました。その中の一人が、長町のCILたすけっとの近所に住んでいて「昔のジュンコみたいに車イスでグルグルあるってる人いるわよ」と障がい者自立生活センター〈CILたすけっと〉につないでくれて、今の私があります。

現在は〈CILたすけっと〉でサロンやカフェを担当しています。地域の方々と交流したり、地域生活している障がい当事者や、地域生活していない障がい当事者と、交流したりする場を提供して、情報提供したり、情報共有したり、また、障がい当事者目線で、障がい者支援をする役割りを担っております。

こうして外を歩くこと、私の生活を知ってもらうことも、〈はたらきかけ〉という社会参加のひとつだと考えております。

世の中にはさまざまな障がい者がおり、さまざまな生活をしていることを、どの人にも知って頂き、同じような思いをもち・同じような夢があり・同じような物を食べているけれど、どのように違った考え方をもち・どのように夢へのプロセスが違って・どのような食べ方があるのかを、考えるのではなく感じて頂く!そうすることで、障がい者との関わりに限らず、どんな人との関わりでも、分け隔てなく、思いやりを持って生活できる人が増え、負の連鎖の反対がなくなり、良い連鎖が世界中に渦巻いていく!とワタクシ考えております。小さなつながりが社会を世界を良い方向に変えていくのだと思います。


5.ちいき・ともだち・つながり

長くなりましたが、そうした私の今までの経験から思う〈はたらくの意義〉=〈はたらきかけの大切さ〉をお話しさせて頂きました。

学校という形でも、就労という形でも、買物という形でも、散歩という形でも、地域に溶け込むことは、長ーい未来のために、長ーい時間をかけて、元々あっと大切なことを、普通に取り戻していくために大切なことなのだと思います。

本日は〈はたらく〉というテーマで〈就労〉のお話を期待された方も多いかと思いますが、就労に結びつくにしても、賃金が発生するにしても、その元となるのは社会参加です。まず、地域社会に我々の存在を〈はたらきかける〉ことが、意義あることだ私は思います。

長いお時間ありがとうございました。
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