事務局長の大野浩です。10月を思わせる陽気から一転、冬型の天候となり東京では積雪(11月では史上初)を観測しました。体調管理には十分お気をつけくださいね。
ところで、この原稿を書いている11月25日は私たち社会福祉協議会にとって記念すべき日であります。1947(昭和22)年11月25日「国民たすけあい運動」として第1回共同募金運動が始まりました。僅か1ヶ月で5億9,000万円の浄財が寄せられ、戦後の資金難にあえぐ民間社会福祉施設の復興などに役立てられたそうです。この金額は現在の貨幣価値で1,200億円に相当すると言われ、今年度の全国の目標額199億円と比較しても、いかに大きな盛り上がりであったかを窺い知ることができます。
70回目を迎えた共同募金運動。近年の社会情勢から神戸市のみならず全国の募金実績は伸び悩んでいますが、10月24日・11月17日のブログでご紹介したように様々な工夫を凝らして募金額アップに努めていますので、引き続き皆さんのご協力をお願い申し上げます。
さて先日、あるシンポジウムで神戸を代表する活動家・ナミねぇこと竹中ナミさんがこんな言葉をつぶやかれました。
『悩み、コンプレックスの中にこそ、社会を変えていくためのヒントがある』
私はこの言葉を聞いてある少年の姿を思い浮かべました。名前を太郎君としておきます。太郎君は引っ込み思案で動きのゆっくりした子どもでした。
小学校4年生の時、学校で習っていたそろばんが覚えられず、家でお母さんにも教わっていました。お母さんは気が短く、太郎君の「とろい」ところが気に入らない。同じ間違いを繰り返す太郎君に我慢できなくなり、
『あんた。何回同じことを言わすんや』
そろばんを取り上げたかと思うと、太郎君の頭めがけて力一杯振り下ろした。バキッと鈍い音がしてそろばんは真っ二つに折れた。太郎君は殴られた痛みよりも、自分のふがいなさが悲しくて大声で泣きました。
同じ頃、小学校のクラスには太郎君に似て気が弱く、手を上げて発表できない生徒がいました。担任の先生(50台の女性)は彼らの臆病なところが気に入らない。授業中いきなり太郎君を含む6名を立たせると、こう言い放ちました。
『どうして手を上げないの。先生はこれから君たちを唖(※おし)と呼びます』
6名は障がい児ではありませんでしたが、この『唖』という言葉は太郎君の胸に突き刺さりました。自分はものが言えないダメ人間だと思い、やがて人前に出ると異常な緊張感を覚えるように。
高校3年生の最後の授業。英語の教科書を読むように言われ、立ち上がると心臓がバクバク、脂汗がたらたら、読みかけて間もなく声が出なくなってしまった。教室の真ん中で「二宮尊徳像」と化した太郎君に先生が声をかける。
『おい。どうした。身体の具合でも悪いのか』
『す、す、すみましぇん。緊張で声が…』
大学生となった太郎君。ひょんなことから地域のボランティア活動に参加しましたが、人前に出るのは相変わらず大の苦手でした。ある日、ボランティアグループの仲間が彼に個人的な相談を持ちかけます。難しい問題でどう返事をしたものか。太郎君は黙って頷き、時々相槌を打つのみ。30分、1時間…ひとしきり話し終えた仲間は彼にお礼を言いました。
『ありがとう。すっきりしたよ。それにしても君は聞き上手だな』
何も言わずに話を聞くだけで感謝され、ほめられた。太郎君は過去に経験したことのないとても清々しい気持ちになったのです。喋るのは嫌いだけれど、話を聞くことなら僕にだってできる−それならば聴く技術を磨く学問、「福祉」を専攻しようと決めました。
もうお気付きですね。太郎君とは私のことです。自分がちゃっちゃと動けないから、困って身動きの取れない人の気持ちが分かる。うまく話せないから、話すよりも聴くことに集中できる。幼い頃からの悩み、物凄いコンプレックスがあったからこそ、私は福祉(対人援助)の仕事に適性を見出せたのです。児童虐待と呼べそうな母親の行動や担任の発言も、弱さと向き合い掘り下げるためのやむを得ない過程だったと今なら理解できる。
私が変えられたのは自らの価値観や生き方だけですが、いつの日かナミねぇの100分の1でも社会を変えていくためのヒントにできたら…そう考えています。
※唖(おし)とは、かつて聴覚・言語障がい者に用いられた呼称で、差別的な響きがあるため現在は使われません。私的な文章とはいえ気分を害されたならお許しください。