• もっと見る
« 2017年07月 | Main | 2017年09月»
海はあくまでも青く。何も語らなかった。 [2017年08月23日(Wed)]
この8月、私は沖縄の摩文仁ケ丘を訪ねた。
訪れる動機となったのは、沖縄最後の官選知事島田叡氏のことを沖縄の人が忘れていないということを知ったからだ。
 ここに簡略に島田知事のことを記す。神戸市須磨区出身の島田知事は1945(昭和20)年1月に着任。4月1日に米軍が読谷、嘉手納に上陸してからも住民保護に最後まで奔走し、県民20万人以上を疎開させ食糧確保に尽力。
 それにも拘わらず、首里方面の最終防御線を米軍に突破された5月22日、沖縄32軍は首里から多数の県民が避難している沖縄南部での玉砕戦を選択する。沖縄戦の軍民戦没者の24万1336人のうち、約半数が5月22日から6月23日の間に戦死を余儀なくされた。このときの島田知事の心中はいかばかりだっただろう。6月9日島田知事は県及び警察組織の解散を決定し、自らは6月18日に摩文仁の壕をでたきり消息を絶った。
 2015(平成27)年、那覇市の奥武山(おうのやま)公園に島田叡氏顕彰碑が建てられた。この顕彰碑設置のために多くの沖縄県民から募金が寄せられた。また野球を愛した島田氏にちなみ「兵庫沖縄友愛グランド」が顕彰碑の横に整備されている。
 神戸出身の島田氏への沖縄の人の思いを知った時、心を動かされたのは私だけだろうか。
 多くの慰霊碑のある平和祈念公園の平和の広場から、海を臨む。米軍に追いつめられ数万人が命を落とした慶座絶壁(ギーザバンタ)の端にたち、しばし黙とうした。真夏の太陽の元、海はあくまでも青く何も語らなかった。
DSC_ギーザバンタ.jpg
Posted by 垂水区 at 16:26 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)