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紋切型社会 [2015年11月26日(Thu)]

現代は紋切型社会だそうです。なるほど(あるいは、なるへそ)。そういえば思い当たる節がいくつかあります。

例えば、クールビズの初日にアロハシャツを着てきた課長。寒風吹きすさぶ大寒の日にふんどし一丁で海に入る男たち。それをニュースで見て我々はびっくりし、そして笑う。

アロハシャツあるいはふんどし一丁の必然性が、「なんでいま?」の喜劇性を持って伝えられるからでしょう。

確かにその日ならではのものではありますが、しかし、それを毎年繰り返している。まるでそれしか選択肢がないかのように。

また、最近はあまり見かけませんが、「全米が泣いた。」も同様です。映画鑑賞が終わったあとのインタビューでは、全員が一様に泣いています。

「本当に全米なのか」、「怒っている人もいるのではないか」、「アジアはどうなっているのか」、あるいは、「ヨーロッパは」。しかし、このような多様な観点からの検討は、無情にも却下されてしまうのです。

多様性を作り出せる場面なのに、誰かから強制されたわけでもないのに、既存の選択肢にすがりつく緩慢さが閉塞感を補強する、これが「紋切型社会」といわれるものです。

フレーズ、キーワード、スローガン。これらの紋切型の言葉が連呼され、最近はやりの「スピード感を持って!」という、これもまた紋切型の言葉のもと、物事がたちまち処理され、消費されていく。

そんな言葉が溢れる背景には紋切型の思考があり、その眼前には紋切型の社会があるのです。グローバリズムのこの時代には、時間のかかる熟議、熟考などという言葉はあわないのです。

なるほど(あるいは、なるへそ)。続きは、「紋切型社会(言葉で固まる現代を解きほぐす)」(2015、武田砂鉄著)をご参照ください。

ちなみに、わたくしは、「自分のなかで一番ラッキーと思う時は?」との紋切型の質問に対しては、「ずぶ濡れの子犬に餌をやっているところを、学園一のマドンナが通りかかった時です!」と紋切型に応えることにしています。(露)

紋切型社会写真.JPG

Posted by 垂水区 at 17:49 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)