福祉との出会い@ −瓢箪からボランティア− [2015年11月16日(Mon)]
事務局長の大野浩です。
今日は私が何故「福祉」の仕事を選んだのかについてお話ししましょう。 実は、最初から福祉に興味があったわけではありません。大学入試で福祉系の学部を目指した理由は経済学部や法学部より偏差値が低かったから。福祉との出会い、それは全く予期せぬところからボランティア活動に足を踏み入れたことがきっかけでした。 昭和54年の春、受験を終えた私は時間を持て余し、軽い気持ちで高校の剣道部をのぞきました。夏の合宿で失神するまで打ち込んだ道場。久しぶりに防具を付け後輩と稽古をしていると、身長183pの大柄な男性が現れます。3歳年上のMさんでした。練習が終わるとMさんが私に話しかける。 『大野、大学で何かクラブに入るのか。』 『いいえ。何も決めていません。』 『それやったら、俺がやっているボランティア活動を一度見に来い。次の日曜日、垂水の瑞穂公園に9:00やからな。』 高校の体育会は上下関係の厳しい組織です。『ボランティア』について一切説明がなくても、強面の先輩にノーと答える勇気はありませんでした。当時はボランティア=奉仕活動ぐらいの認識でしたから、公園の掃除でもするのかなと思いつつ、運命の日を迎えました。 日曜日の朝。瑞穂公園には小学生の子どもたちの遊ぶ姿がありました。ブランコに乗る子。ゴム跳びをする子。「どろけい」をする子。1年生から6年生まで、学年も男女も関係なく、みんな元気がよく、表情がいきいきと輝いている。やがて2年生の女の子が二人、私に寄ってきて声をかける。澄んだ瞳がとても美しい。 『新しい先生なん?』 先生とはどういう意味なのか。私は教育学部ではないぞ。戸惑っているところに、あの怖いM先輩がやって来ました。それも全く別人のような優しい笑顔で。 『大野。よう来たな。地域で子ども会をやっとるのや。』 『子ども会…ですか。』 9:00になるとリーダーらしき男性の大学生が集合をかけ、30名ほどの子どもたちが輪になって座る。周りに立つ大学生とともにギターの伴奏で『日曜学校の歌』を合唱。 コンカンコン コンカンコン 鐘が鳴ります日曜日 さあ今日もまた 僕たちの 楽しい日曜学校だ 早く行こうよ集会所 グループの名前は「垂水日曜学校(※)」。後で聞くと、もとはカトリックの教会学校であったが、学生ボランティアが宗教よりもレクリエーションに力を入れ過ぎたため教会を追い出され、地域の会場を借りて独自の活動を続けているとのこと。リーダーの声が響く。 『新しい先生を紹介します。大野先生です。ニックネームは何がいいかな』 髪を三つ編みにした3年生の女の子が叫ぶ。『くま!!』 私の意向など全然お構いなく、またたく間に垂水日曜学校「大野(くま)先生」が誕生。突然、新たな人生がジェットコースターのように走り出したのでした。 つづく ※ボランティアグループ・垂水日曜学校は昭和60年頃に解散。 |