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政治改革より、経済破たんが先か? [2016年01月24日(Sun)]

先般、ある官僚OBに会った。


私が「W選挙の様ですね」というと、「そんなことより、経済が行き詰まり大変ですね」という答えが返ってきた。


これは対のようなことを意味する。


政治を変えると言っても、ビジョンや政策がない、それ以前に経済がぐちゃぐちゃになり、それに政治が対応せざるを得なくなるのではないか、ということだと私は思う。


官制相場の株は、あるところで暴落するだろうし、生産の場は正常に機能せず、労働は非正規雇用で賄われる。


ここから、急速な所得の分解がおこり、低所得者の圧倒的な増大と少数者への資金の集中がおこっている。


これはあちこちで、現象しているが、国民全体が生活実感で感じるところまでには行っていない。こういうことは数か月できまる。


参議院選挙(7月)までにはっきりすると私は思っている。


このことと参議院選挙(あるいは衆議院とのW選挙)の候補者調整が間に合うのかどうかは関係がない。


果たして、どうなるか?

Posted by 田中尚輝 at 13:16
アメリカNPOのロビー活動 [2015年08月27日(Thu)]
アメリカNPOのロビー活動

アメリカのNPOはロビー活動を熱しにやるが、その1つのNPOであるAARPについて紹介しよう。

現在の安保法案に対する行動についても参考になるはずだ。

1.政策立案について、200人程度のスタッフを置き、ロビイストを20人前後雇用している。これによって、高齢者問題については最も正確で、素晴らしい政策提言ができる団体として定評がある。

2.3000万人近い会員の中から「政治委員」を選び、政治教育を常時実施している。

3.自分たちがとおしたい法案、つぶしたい法案があると、一斉に居住地の議員に面会を求めたり、пAfaxで意思表示をする。
Posted by 田中尚輝 at 13:47
日本の社会福祉政策とNPO [2015年08月19日(Wed)]
本日は、市民協・政策研究所の発足・勉強会をした。

九州大学の安立清史教授の問題提起に基づいて熱心な意見交換をした。内容の細かくは別にお知らせするが、ポイントは次の点。

@「小さな政府」への、ことに福祉に関しては移行が激しく、NPOはその大きくできた間隙を担う有力な存在として期待されている。⇒小さな福祉政策国家の担い手としての期待。また、NPOが描いた当初の夢は生きているのか?発展しているのか?

A介護保険制度だけではなく、年金制度、医療制度と合わせた全体政策をつくる必要がある。⇒介護保険制度は10兆円、全体の社会保障費は109兆円。

B制度で仕組めるところと、人間個人の想いを発揮、繋ぐ部門があり、これはシステムではない。「有償」と「有料」、「無償」と「無料」という金価値至上型と人の心をカウントする考え方が混在して現実の社会にはある。これをどのように組み合わせるのか?⇒NPO論の組換え。

以上、3点の原理的な課題が抽出された。市民協としては研究を重ね、年度末には、政策提言をしたいと思っている。
Posted by 田中尚輝 at 12:50
新しい公共の行方 [2013年09月14日(Sat)]
私は、個人的な政治サロンとして「梁山泊」という場を持っている。東京以外では長野県で1回やった実績がある。16日に2回目をやるが、どうも梁山泊というのはいまの若い人には会わないらしく「みらい基金塾」。名前はどうでもいいのだが、つぎのようなレジュメをつくった。

新しい公共と社会保障
〜今後の日本の行方

田中尚輝
認定NPO法人市民福祉全国協議会 専務理事


≪第1部≫
1.「新しい公共」は消えたか?
 1)2009年 自公×民主党 政権交代
  新しい社会哲学として「新しい公共」の提起:金子郁容、平田オリザなどの
  ブレーン
 2)鳩山内閣、民主党の意志統一があったわけではない
 3)菅首相が88億円の予算をつけた(長野県1億9千万円)⇒社会的な動き

2.実在としての「新しい公共
 1)社会構造として「新しい公共」なくせない
    ・行政による公共提供能力の低下⇒社会保障制度のスリム化
    ・市民のニーズの多様化⇒ますます、行政対応ができあてない
 2)税⇒高くなるが、財政立て直しに役にたたない
  租庸調ではないが、身体での提供が必要になる
   ⇒このためには、市民の社会参加が絶対的条件になる
 3)政治哲学としての「功利主義」と「社会契約論」
  「社会契約」をいかに高めるか⇒新しい公共の極地
   ⇒功利主義をいかに収めるか
    ⇒政治選択が可能か? 

 4)社会システムの転換
  〜「協・共」システムの強化
  民主主義の限界(間接民主主義)
  直接民主主義の必要性

 5)社会的転機を待つ
  2016年を待つ

≪第2部≫社会保障問題
1.地域実情
1) 少子高齢化の進行
2) 一人暮らし高齢者の増加
約500万人(世帯)〜9世帯に1世帯
高齢者だけの世帯1000万世帯
3) 孤立死の増加(年間3万人)
4) 1か月間一回も口を利かない人が多くなってきている

2.政府・厚生労働省の考え
社会保障制度国民会議の答申 
厚生労働省と自治体の動き

3.歴史的・論理的に考える
1)社会と人間の関係
2) 日本大震災・福島原発事故をどう考えるか
3)人を大切にするというのはどういうことか
〜死ぬときに幸せ、一番大事

4.地域づくりの手法
〜サービスの必要性
5+1
@ 介護サービス
A 食事
B 移動
C コミュニティカフェ、居場所
D 便利屋(生活支援サービス)
+1 在宅医療

5.協働をすすめる
1)「新しい公共」の意味
2)町内会の活性化
3)重要な民生・児童委員の
2)行政と市民・NPOの協働役割

6.市民の自立
1) 精神的自立
2) 経済的自立 (里山資本主義の覚悟)
Posted by 田中尚輝 at 14:23
国・自治体・NPOの関係性・介護保険と [2013年09月09日(Mon)]
国・自治体・NPOの関係性

介護保険制度の改正の議論をしながら基本的な整理をしておかなければ、議論が技術論になったり、相手の問題点をつくだけで終始するように思う。

まずは、国・自治体・NPOの関係である。

国は何によって成立するか?
理念的には「公共善」によってである。国は国家権力をもつ巨大で危険な存在であるが、公共善という理念をベースで持たない限り、成立しないのである。

この公共善に対応するのが、市民による「補完性の原理」である。市民は自分たちでできることは自分たちでする、のだ。安易に行政に依存しない。

ところで、国は大局を見ながら手をうたなければならない。その場合、必要なことは権限をできるだけ自治体に、自分をスリムにすることだ。決定権・実施権をできるだけ自治体に移管することだ。

今回の介護保険の改正は、軽度者のケアを国+自治体の仕事から、自治体に任せようということであって、このこと事体は正しい。ただしい、日本の国は、この場合にいろんな条件を付けすぎる悪癖をもっている。ここは交渉事で闘えばよい。

つぎに自治体だ。自治体は自分たちの権限領域が広がることによろこべばよい。仕事量が広がることに逃げ回ることはない。

そこで、市民だ。
補完性の原理に立って、頑張ろう。自治体への依存主義はやめよう。ここから出発だ。

そして、市民の中核となるべきNPOは、今回の改正でいえば、コーディネーターや協議体の軸になればよい。しっかり考え、暴走しよう。
Posted by 田中尚輝 at 14:10
一人看護師・廃止へ [2013年08月23日(Fri)]
8月22日に衆議院第二議員会館において「被災地における【一人開業】訪問看護ステーション 第二回院内報告会」が開催された。

被災地特例として「一人開業」が認められ、石巻市と南相馬市で事業を実施していたが、これを廃止するということが社会保障制度審議会・介護給付費分科会で認証された。

これは、なんとも残念で、かつ不当な決定だ。

そもそも看護師の一人開業は認められるのが当たり前だ。医者の一人開業だってOKなのだから、当然のことだ。

そのうえ、今回は被災地特例として認めたのだから、復興が済むまで事業を展開していいだろう。現実に二事業所の顧客は増えてきている。ところが、これにNOとした。

なぜ看護師の一人開業をみとめないのか。「一人だと風邪をひいたら、どうする」「夜間対応ができないではないか」などというありふれた批判があるが、個人医の開業を認めている以上理由にならない。

なぜか。そもそもこの看護師の一人開業は民主党政権時代の「事業区分け」により、規制をはずすということで認められた。つまり、民主党時代に決めたのだから、自民党政権になってからの意趣返しだ。それ以前に医師会の女性蔑視、看護師蔑視という得体のしれない身分差別制がある。

も一度、戦略を立て直して、再出発をしなければならない。
Posted by 田中尚輝 at 12:29
当面の課題 その3 「共感」の社会へ [2013年07月28日(Sun)]
社会をよくする方向で変えていくためには目標がなければなりませんが、どのような社会にしていけばよいのでしょうか。

 まず、政治哲学では「公共善」という言葉がよくでてきます。これは社会を成立させる根本の理念のことをいっています。人間が社会を構成することができるのは誰もが認識できる共通の善があるはず、ということです。そうでなく人間が目先の自己利益ばかりを求めて、殺し合いを繰り広げるとすれば、社会自体が成立しません。ただ、公共善は具体的な国家や社会の形態をいっているのではありません。公共善は社会をなりたたせる根幹にあたる理念なのです。

 また、別の角度からいえば、社会が社会として成立するには、その根底に公共の善という理念が不可欠であり、簡 単にいえば社会は人と人の助けあい、支えあいが基盤にあり、それによって成立するということです。

 そして、公共善を職業化したシステムが国家機構であり、自治体です。そもそもこうした公共事業体は人々の共通の仕事、公共の事業を推進するという約束で税金を確保することができるのです。

 ところが、組織と個人との間にある一般法則とでもいうべき事態があります。まず、個人が組織をつくるけれども、できあがった組織は自分を維持するという論理によって、個人を逆に支配する絶対的な傾向をもっています。これと同じ法則が個人と国家の間においてもおこるわけす。ですから、人間は公共善という理念を公共機関という組織機構としてつくりあげるのですが、時間を経て、それ自身だけで「公共」を代表しているかのような存在になります。そして、この国家が個人に命令・支配をするという逆転現象になってくるのです。

 ことに日本の場合には、明治維新によって封建制から資本主義と民主主義への転換がされたというのですが、これがきわめて不十分なものでした。生半可な「革命」であり、政治体制としては封建制以前の帝政=天皇制に議会制民主主義をつぎたしたような奇妙なシステムが一九六八年から一九四五年の第二次世界大戦の敗北まで続きます。

 そして、第二次大戦後の改革においてもアメリカ主導による民主化であって、広範な市民が参画する革命として民主主義を獲得したものでなかったために、戦前からの政治システムと社会システムを根強く踏襲していくことになるのです。

 ですから、日本国憲法にもとづけば、論理的には市民・国民が主人公であり、官僚と行政機構はその指令によって動く機関であり、「公僕」です。憲法一五条ではつぎのように規定しています。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とありますが、現実にはまるで国家の主人公のような態度と役割を果たしてしまっているのです。

 こうした流れは、市民・国民の多くがもつ依存主義が重なって、官僚の主導権が磐石の体制として成立することになります。市民が自分の責任で行動せずに、官僚に、役所にお任せしてしまうのです。こうして、日本において公共善は国家と行政によって独占されたようになり、市民の「協・共」としての連帯の活動が遅れることになるのです。

 「公共」を独占してしまったのは国家ですが、「公」と「共」はそもそも異なる概念です。「公」は人々が国家や自治体へ権限を委譲した分野をさし、「共」は人々の支えあいの部分をさすものです。たとえば、集落の共同所有地である「入会地」や「講」「結」などは共の分野に属するものです。ですから、国家は「公」を独占できても、「共」はその主体である市民が自立した行動をすれば国家に隷属したり、その範疇に入ることはありません。したがって、「公共」を国家に独占させないためには、少なくとも「共」を市民がになう自立性こそ問われているのです。 
 
Posted by 田中尚輝 at 11:27
課題解決の方法 その2 どのようにして解決するか [2013年07月27日(Sat)]
前回述べた少子高齢社会と若者・女性の問題、コミュニティ崩壊の根は同じところにあります。

それは、国家財政の窮迫が進み、かつ経済成長を見込むことができず、他方、少子高齢化の進行により、財政負担の増大が予測され、また税収の増加を見込めないということです。どういう政権になっても、つぎのような選択肢から逃げることができないでしょう。

 【第一の政策選択】増税をつづけ、社会保障・福祉政策を現状維持ないしは改善する。
 実際の政治過程としては、この手法はとれないでしょう。増税はつづきますが、それは現状からの悪化を少しだけ止める程度のものでしょう。
 なぜなら、現状では国民は政治と官僚制度を信用しませんから、増税には猛烈な反発があるからです。また、現状の政党の能力からすれば「功利主義」から離れられず、社会契約論にもとづき社会を再編していく能力に欠けるからです。

 【第二の政策選択】公的な社会保障・福祉制度を切り下げざるを得ない。
 こうして年金、医療、介護、障碍者福祉などの制度は、現状よりも給付を少なくする方向になるでしょう。これを補完することについて、自民党は≪個人の自立≫と≪家族の応援≫を期待していますが、時代錯誤もはなはだしい現象でしょう。
 なぜなら、個人の自立を求めても、現在の個人は多くは高齢化しており、すでに五〇〇万世帯にもなってきている一人暮らしの人々に自立を迫ることは、結果として「孤立死」の薦めになってしまうからです。家族が支援するにも、いまや「家〈族〉」ではなく、家の中には自分しかいない「家〈個〉」の時代なのです。

 では、どういう手を打てばいいのでしょうか。私は、共感を広げることを思い切って大きくしてしまうことです。
Posted by 田中尚輝 at 11:23
当面する社会的課題 第1回 課題の整理 [2013年07月26日(Fri)]
参議院選挙が終わり、日本社会をどのように再構築するのかを3回に分けてのべます。
第一回は課題の整理です。

 日本が抱える課題はいくつもあるのですが、まとめると、つぎのようになります。

 テーマとしていえば、国家から捨てられる国民・市民が、国家を変えつつ「共感社会」どのようにつくりあげるか、ということです。以下、整理していきましょう。

 @少子高齢社会の進行からおこってくる課題にどのように対処するか。
 目下、日本の高齢化率は二五%程度(二〇一三年現在)になっています。一九六五年には六五歳以上一人に対して二〇歳〜六四歳は九・一人で「胴上げ型」、二〇一二年には二・四人で「騎馬戦型」、これが二〇五〇年には一・二人となり「肩車型」になります。このように少子高齢化が進みますと年金、医療、介護などの分野において社会的な負担が増えます。私の日常活動の分野は介護保険制度に関連したものですが、その予算だけ取り上げてもスタートとした二〇〇〇年度は三・六兆円であったものが、二〇一三年度は八・九兆円にもなります。
 年金制度でいえば、支給開始年齢を六〇歳から六五歳に延長したものの、それでも足りずに七〇歳からの受給へ向けての準備がされてきています。また、支給額の減額もされていくでしょう。
 医療制度でいえば、自己負担の増額(ことに高齢者)がすすめられ、混合医療の導入がTPP交渉とも関連して進んでいくでしょう。これも保険ではなく高度医療の自己負担をはかっていこうというものです。 
 このままでいけば、現行の社会保障制度は必ず破綻することになります。

 A若者世代が危い
  一九九〇年から二〇一〇年代までの「失われた二〇年」の時代、小泉首相による「新自由主義」遂行による貧富の差の拡大、雇用政策の変更による不安定雇用が推進され、これらから派生する波を若者がかぶることなりました。それは、高校や大学新卒生の就職難、若者の四分の一がパートや派遣労働者という若者の不安定雇用化、年収二〇〇万円以下の低賃金労働者が一一〇〇万人います。その多くが若者と女性であり、国民年金の納付者が、二五〜二九歳が四六.一%、三〇〜三四歳でも四九.六%となっており、納付者が五割をおり、現行の年金制度がつづくとすれば現在の若者のうちに無年金者が多くでてくるということになっていきます。こうしたことで、若者は将来に希望がもてず、沈滞した気分のなかで生活しているわけです。
 この大問題が大きな社会問題として噴出してこないのは、現状では若者たちが親の負担で生活ができているからです。
二〇一三年現在の二五歳から四〇歳までの若者の親の年齢は、五〇歳から七五歳程度だと思われますが、彼らは自宅をもち、所得も給与所得や年金などで比較的に安定している世代です。ですからフリーターの若者が月額一七万円の低賃金としても、また何回も失職したとしても、親の自宅と食事の供給があるから困らないわけです。では、これがあと二〇年の時間を経ると、どうなるのでしょう。子どもの年齢は四五歳から六五歳となっており、これに対応する親の年齢は七〇歳から九五歳になるわけで、子どもへの生活補償能力は相当程度に落ちているでしょう。そして、年をとった子どもたちに年金が支給されないという地獄絵図を想定しなければならないような時代を迎えることになるのです。 
 現実に、この深刻な事態は進んでおり、社会的な孤立者を支援する事業であるパーソナルサポートに困り果てて相談にくる年齢で最も多いのは四〇歳代なのです。四〇歳代では若者といえませんが、二〇歳代、三〇歳代に就業できなかったままに一〇年間以上をすごしてきている四〇歳代がたくさん産まれてきているということなのです。彼らは職業を通じたキャリアアップはしていないし、就業しにくい年齢になっており、社会からスポイルされて生きることになることが多いのです。 
 
B女性の能力がもったいない
随分昔から指摘されている割には、女性の活用は遅れています。世界経済フォーラムが毎年出している、「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告」、つまり男女格差の通信簿ともいえるレポートがあるのですが、そこで、日本は135カ国中101位なのです。
何をやっても女性の方が男性よりも評価が高くなるのですが、女性が出産と子育てに時間がとられているということは社会的にはもったいないことです。これをただしていくのは男性の育児参加は、当然のことですが、根本的には「同一労働同一賃金制」にしてしまうことです。

 Cコミュニティの崩壊、限界集落の増大
 コミュニティの崩壊が指摘されて久しいのですが、最近では、このことが社会の危機に直結してきています。もともとコミュニティの崩壊とは、日本では一九六〇年代の前からの高度経済成長により、農村からの労働力が都市に大量に流れました。こうして、農村には神輿の担ぎ手がなくなり、都市では大量に流入した新住民による「隣は何する人ぞ?」という状況の町が形成されていくことになりました。こうして、都市においては旧住民と新住民の融合もすすまず、またサラリーマンたちの長時間労働により家には寝に帰るだけということになり、日本は全国的にコミュニティが崩壊してしまいました。

 この象徴的な例が、一九六〇年代に大量に建設された団地の現状です。一九六五年に三五歳で入居した人は二〇一三年に七三歳になっています。だんだんと高齢者二人住まいから一人家族・「家個」へと変化しています。そして、孤立した人々が誰にも見取られずに亡くなることがあちこちで起こっています。いわゆる孤立死です。

 また、地方の限界集落(六五歳以上の人が集落の五〇%をこえたところ)については深刻な状況です。私が訪問した新潟県のある集落は、六五歳以上が五〇%どころか一〇〇%であり、最も若い人が六五歳です。そして、六戸ある家は三戸をのぞいて、それぞれ一〇〇メートル程度離れており、八〇歳前後の女性三人は一人暮らしです。この集落の場合、山すそに支えあいのNPOが存在しており、週に二回の送迎付のデイサービスを実施してくれています。このときに買い物などをするのですが、そのような支援組織がないところのほうが多いわけです。
Posted by 田中尚輝 at 10:59
山脇教授の主張 昨日に続いて [2013年07月11日(Thu)]


昨日の山脇教授の見解の続きです。

 「開公」にするためには、「支えあう力や場としての人々の公共的活動や見解を開花させる」というレベルと「政府の公的活動を開かせる」というレベルの二つをマッチさせなければなりません。しかし、現実になかなかうまくいかないのはなぜでしょうか。 

 その原因の一つは、政治家や行政と「民の公共」の連携不足でしょう。
 
 あるいは、「官から民へ」という標語(小泉政権、多くの松下政経塾出身者)の問題があります。お上意識をもつ官僚支配を脱却するという点では結構なのですが、この場合の民の意味が不明瞭なのです。民営化を英語で言えばprivatizationであり、むしろ私営化というべきなのです。民間という形容詞も英語で言えば、privateとcivilの二つの意味があることを常に念頭においておくべきでしょう。
 
ですから、「開公」のために重要なのは、つぎのことです。

1.「政府の公的活動のレベルでは、「滅私開公」という公僕意識(憲法一五条)をもった公務員の養成と、市民を顧客としてだけではなく、社会権をもつ主体(憲法二五条)として考えるような公務員の意識変革による行政文化のイノベーションが求められています。

2.「民の公共」のレベルでは、NPOとソーシャル・ビジネスのさらなる活性化が急務です。労働組合活動の公共化の促進。さらに、ステークホルダーを重視する私企業の公共的貢献(CSR、企業市民、グローバル・コンパクトなど)やそれをチェックするようなSRI(社会的責任投資)の進展を進めていくことです。なお、現在の経団連は、経済活動の公共性をほとんど考えておらず論外です。

 山脇は、学問的観点からの整理もしています。

 アングロ・アメリカ型の経済学パラダイムの支配を脱却し、「社会的市場経済」という考え方に基づく「ライン型資本主義」のパラダイムや経済倫理・企業倫理の発展も不可欠です。また、効率という観点だけでなく、「社会的公正」(セン、ロールズ、サンデル)や「社会的包摂」の観点を取り入れた「経世済民の学」の構築が課題になっています。

 そして、メディア論的な観点では、ステレオ・タイプによって世論を操作する商業メディアに対して、ツイッターなどのソーシャル・メディアがどこまで有効かが実践的に問われています。

 そして、最後に「民の公共」に関しては、当事者としての住民と、他の民(たみ)のコミュニケーションをいかに適切におこないつづけるかという課題も切実となっています。現在の福島や沖縄で起こっていることについて他人事にはしないことです。
Posted by 田中尚輝 at 13:37
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