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上野千鶴子の田中批判についての意見 その2 [2012年01月04日(Wed)]
まず、私は大著『ケアの社会学』を書き上げた上野千鶴子の理論的な構築に敬意を表している。

 なんといっても、本書は「ケア」を理論的に整理した日本最初の書物であろう。ケアという上位概念の下に介護や保育などの下位概念をおき、その共通性を整理している。


 以下、ブログとしては、長文になるのをお許し願いたい。

 ことに上野の本書でのテーマは、彼女の原点であり、社会的にも高く評価されている『家父長制と資本制』(岩波書店)の続編であり、前著がマルクス主義フェニズムの原理の理論的整理とすれば、本書はケア、ことに介護の現場を足で歩いた調査に基づく具体論になっている。こうした作業を成し遂げたのは、さすが上野である。

 その上での私の反論の結論を言えば、私は上野見解に4分の3は賛成だ。4分の1違うのは有償ボランティアの評価についてである。

 まず、一致しているところだが、介護労働の賃金が低いことは私は上野と全く見解であり、その理由が女性の蔑視や男性優位社会=家父長制にあることも賛同する。勤労者の平均賃金が年収420万円程度であるのに対して、介護のそれは300万円程度である。年収のこの差は介護労働が低くしか評価されていないことであり、その低さを規定しているのは女性への家父長的支配に起因していることは間違いない。

 ところがである。介護労働者の賃金がこのレベルであるにも関わらず、報酬が高いと叫ぶ大学教授がおり、それが社会保障制度審議会の何と「委員」をしており、発言量はナンバー1なのだ。いかに日本における家父長制と女性蔑視が国家・社会全体に巣くっているか、ということだ。

 私は介護保険法の成立にNPO側からタッチしたのでその経緯が分かるが、当時の厚生労働省が低い報酬にしたのは、その基準を【家政婦労働】においたからに他ならない。

 ご存知のように家政婦労働は戦後、大量の戦死者の妻(母子家庭)の母親を主な対象にした労働の場であり(このことは大阪でパチンコ屋に景品の現金引換えを公認する代わりに、その労働を母子家庭の母親の就労の場として提供させたことと同様の「政治と行政」の配慮?なのだ)、病院での泊まりを含める低賃金・長時間労働の場としたのだ。彼女たちの仮眠の場はベッドの下であり、1日の労働時間は20時間程度になっていたのだ。

 介護保険報酬は、このような病院や家庭等への泊り込みを含める労働基準法も適応できないような長時間労働形態への時間当たり賃金を基本にしていた(厚生労働省が当時調査した事業者の多くが家政婦派出所である)。この基準で行けば当時の時間単価が1500〜1800円程度が事業主に支払われ、それから差し引かれた金額が家政婦に支払われた。

 介護保険の報酬は、これよりも500円程度高い2200円程度を「家事援助」労働の報酬にし、「家政婦」では対応できない介護労働に2000円をプラスし4000円+αとしたのが、介護報酬の決定の真相である。
 
 私たちは当時、公務員のホームヘルパー(上野は「ワーカー」と呼ぶ)の直接の介護労働への報酬が約1万円だったことに注目し、平均3000円ではあまりに低すぎると主張した。つまり、介護保険制度が提供する労働は公共サービスであり、公務員ホームヘルパーと賃金格差を作る理由は無い、と考えた。

 私個人で言えば、当時厚生労働省の介護保険制度実施に向けての検討委員会のメンバーであったので、介護保険制度のヘルパーは公務員賃金に準拠すべきであることを主張したが、退けられた。つまり、介護保険のヘルパー賃金は公共労働ではなく、「家政婦」労働と同等、ないしはその延長とされたのだ。

 このようになるのは、上野が言うように家父長制の中で虐げられた女性のアンペイドワーク=家事労働と同質と判断された「哲学」が背景に根強く存在するのだ。

 だから、私たちは私の所属しているNPO法人市民福祉団体全国協議会、また、「介護1000万人の輪」(共同代表:樋口惠子ほか)などを通じて当面は勤労者の平均賃金並み(年収420万円)にする努力を続けているわけだ。

 また、介護の世界に「協」(生協、ワーカーズ、NPO等)が登場していいることに上野は高い評価を与えており、私としてはそこに光を与えた上野に賛同するし感謝したい。今回はこの点は取り上げない。

 次に上野と私の意見が異なるのは有償ボランティアの位置づけであろう。上野は、フェミニズムの立場であり、そこから鋭い問題提起をしてくる。しかし、上野の限界は「労働」概念を絶えず、「賃金労働」として捉えるところにある。

 労働概念は賃労働が中心にあるにせよ、人間として親が子どもに対する労働、一般の人々が高齢者や障碍者に対する内発的行為=ボランティアというものもあるのではないか。

 上野がつき合っている生協やワーカーズコレックティブと私は「出自」が違い、ボランティアの側からケアの世界に入っている。ワーカーズは経営と労働を一致させた事業体であり、ボランティアでrはない。新しい「働き方」なのだ。ところがボランティア活動としてケアに携わったわれわれの発生はもともとは無償の内発的行為としてサービスを実施してきたのだ。つまり、隣の奥さんが介護で困っているので手伝う、ということがスタートなのだ。

 ところが、それではボランティアを受ける側が自らの要求を出しにくい、また、事務所の配置などで必要経費が必要だということで経済的な計算抜きに有償制のボランティア活動を編み出した。労働の対価ではなくボランティアに対しての「謝礼」という考えである。これは友人の引越しの手伝いをしたら、ビール券をお礼にわたす、という概念に含まれる。このようなシステムをスタートさせたのは今から30年以上も前の1980年からのことであった。

 そのはしりを行く、1983年から有償ボランティアを始めた高松市の「まごころサービス」(兼間道子代表)の場合も最初は無償ボランティアとしてサービスを提供していた。ところがサービス受給者の側からお金をうけとって欲しいという要求がでて、要介護者からアンケートをとったところ、有償の方がよいというのが全員であった。かつ、その支払い納得額が1時間500円であったことから、500円でサービスをはじめた。

 後に(1993年)、この「謝礼金」を最低賃金以下にセットしたらよいと主張したのは法律家の堀田力である。わが国では「ボランティア基本法」がなく、ボランティアとして謝礼の場合にいくら受けてよいのかは「賃金でない」レベルの報酬は「最低賃金」以下なら社会的に納得を得ることができるだろう、ということなのだ。(この主張は、後に裁判で負ける。)

 だから、もともとホームヘルプ労働の価値を低くするために有償ボランティア活動をやっているのではなく、ボランティアとして参加する人と要介護者の間の関係性をスムーズにするために有償ボランティアのシステムを採用したのだ。

 つまり、上野に欠けているのは女性の社会的地位の低さを指摘し、その基準を現代社会の基本関係である賃金を重視するために労働とボランティアの差をみきわけ分けられなくなったのではないかと私は思っている。つまり、同じケアということであっても親が子どもにたいするケア、家族の高齢者に対するケア(社会的な応援がないと虐待にいたるが)、困っている人を見かねて何とか支援したいという内発的動機にもとづく援助からでてくるケアも存在するのだ。

 この点については上野は、「それなら無償でやれよ!」というだろう。これなら、上野は大賛成なのだ。ケアという制度化(介護保険法)された世界で1時間800円程度の有償ボランティアを実施することが介護労働の賃金評価を低くしている、また、そうした発想の背景に家父長制と女性蔑視が大きく横たわっていると上野は言いたいのだろう。

 だから、上野は「田中はケアの担い手が男性であったら、このような報酬でよいというのか」と私を批判するのだ。

 私に女性蔑視の考えが根深く巣くっていることを否定しないし、素直に認めたい。しかし、私は男性の有償ボランティアへの参加を一所懸命に推進している。ことに年金受給者は、交通費実費だけでボランティア活動に参加するべきだ、ということを実践している。つまり、根深くある女性蔑視を反省しながら、ケアの世界を女性だけで独占させないように努力している。

 私は、ケアという世界において賃労働とボランティアとは形態は似ているが、全く違う世界だと認識している。そして、ボランティアの領域がケアの中で重大な存在になってきていると認識している。

 私たちに整理できていない理論的・政策的課題は、ボランティアに「謝礼」があってよいのだが、それと「賃労働」との相違をどうつけるのか、また、形態が似ているだけに「有償ボランティア」がケア労働の賃金引下げに利用されないようにするにはどうするか、ということだ。

 上野の今後の研究に期待したい。私自身は上野の批判を受けて、理論的に掘り下げて考えてみたい。それは、ブログでは無理なので今年末に発刊予定の出版まで待って欲しい。
Posted by 田中尚輝 at 22:02
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コメント
上野千鶴子さんへのメッセージ、楽しく読ませていただきました。今年末発刊予定の本が楽しみです。

私がなるほど、と思い、労働の意味への答えが少し見えたような文章がこれ。
「労働概念は賃労働が中心にあるにせよ、人間として親が子どもに対する労働、一般の人々が高齢者や障碍者に対する内発的行為=ボランティアというものもあるのではないか。」
私は、労働ということばは概念すぎて難しい。賃労働だけでないので、シゴトの方が自分的にはわかりやすくしっくりいく。シゴトであれば男のする薪作りも水路掘りも入るし、もちろん家事や子育てもシゴト、となる。
シゴトと労働、イコールでないと私は思っています。
Posted by:高橋潤  at 2012年01月08日(Sun) 12:49