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邪馬台国・国家の成立 [2011年10月08日(Sat)]
 邪馬台国が九州にあったのか、近畿にあったのか、という問題は日本人の多くが関心を持っている。私も歴史好きで何冊も九州説、近畿説の本を読んだことがある。

 『古代国家はいつ成立したか』(都出比呂志、岩波新書、2011年、202頁、720円)を読んだ。本書は近畿説に立つ。

 私が読んだこれまでの本は、「魏志倭人伝」の南東水行七千余里」「南渡海千余里」、そして、「千余家」があり、「南水行二十日五万余戸」などと続いていく。地理的な方向性の論理を元に推理している論述が多かった。

 素直に読むと南にいくので邪馬台国九州説が正しいように思える。だが、本書は当時の日本列島の位置についての中国の理解が九州から下(南東*台湾方面)に中国、近畿、東北があったという理解をしていたことから邪馬台国は近畿という理解が正しい、という。

 これよりも説得力があるのは、魏志倭人伝が「宮室、楼観、城柵」、そして「邸閣」と描いている卑弥呼の館から創造するに単なる大きな楼閣があっただけではなく、それらを支配していた権力=国家の形成時期が存在していたはずだ、という理解だ。

 だから佐賀県にある「吉野ヶ里」のような巨大遺跡があってもそれだけでは国家ではない、
というわけだ。つまり、吉野ヶ里レベルは1つの豪族、地方政府の館なのであって、「国家」の形成と言うことで言えば、より多くの豪族を支配していた形成があるはずだ、というのだ。

 こうしてみると近畿説となり、方角は違うのだが、「陸行一月南水行十日」が合致し、「邪馬台」七万余戸が近畿に存在したという説が正しいように思える。

皆さんは、どう思う。
Posted by 田中尚輝 at 23:03
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