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「公共性」を問う [2010年08月16日(Mon)]
 「新しい公共」が新政権によって提起されてから、「公共」についての関心が高まっている。私は、新しい公共は「古い公共」=行政に対する概念であり、公共の質が変わること、また、公共を担う人々が多様化する、と簡単に説明してきた。これ自体は誤りではない。

 『公共性』(齋藤純一、岩波書店、2000)を読んだ。

 本書を読むと「公共」「公共性」はギリシャのアリストテレス以来の社会の本性を論ずるときの概念であり、カント哲学にも踏み込まなければならず、最近の政治・哲学者の領域でいえば、ハンナ・アレントやハーバーマスの研究にも触れなくてはならなくなる。とんでもなく学究的にならざるを得ない。これに政策論などを組み入れれば、もっと複雑な世界に舞いこまなければならなくなる。

 本書のポイントは、次の点であろう。
1.公共の範囲
 公共は私的以外のことだから、どこまでも広げることができるし、限定的に論じることもできる。また、それ自体に価値観があるとするのか。たとえば「共通善」。ないしは、出入り自由の「空間」と考えるのか。

2.国家とのかかわり
 公共と国家を関係づけて論ずると急にややこしい問題に突入する。国家は何らかの価値観を持っており、これを「公共性」を旗印にして人々に押し付け、支配しようとしてくるからだ。
 極端な例がヒットラーによるゲルマン民族優位思想に立つファッシズムであるし、ユダヤ人の「皆殺し」という究極の排撃であった。
 日本の八紘一宇(『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」から作られた言葉で、大意としては天下をひとつの家のようにすること。転じて第二次世界大戦中に大東亜共栄圏の建設の標語のひとつとして用いられた)もそうだ。

 日本における公共も官の独占という前提があったから評判が悪い歴史を長く持っていたわけだ。

3.排除の機能
 上記の1.2.が重なるとユダヤ人であったり、女性であったり、障がい者、同性愛者などなどを排除する機能も持っている。

 公共や公共性は研究対象としては興味深いが、現実の政治でいえば、「国の形」を明確にし、それへの多様な人々の参加を得られる工夫をしていけばよい。政治家が研究者になることはない。

 現在の政府や民主党などの与党に言いたいのは、「公共を実行する機能が政府には欠けている。市民へSOSを出すことによって『新しい公共』を共に創ろう」と呼び掛けることだ。これまでのような自民党の政府のように「請負型」ではなく、あらゆるエネルギーを調整する能力を持たなければならない。だからこそ、国の形を明確に打ち出すこととセットしなければならないのだ。

 NPO側は公共性について、じっくりと研究する必要があるだろう。少なくとも自己のNPOの実践や主張が「公共性」のどの部分を支えているのかくらいは何時でもはっきりさせる必要がある。いくら頑張っているのか、というような主観を訴えても意味がない。 

 以上の意味で、ことにNPOのリーダーには、少し難解だが本書のご一読をお勧めする。
Posted by 田中尚輝 at 12:53
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