CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
プロフィール

田中尚輝さんの画像
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
Redwing
日本の貧困・格差を「なくす (02/16) 高橋潤
ホンダOBが行く (02/14) 江藤清巳
NPOを応援する人材 (02/06) 高橋潤
NPOリーダーの覚悟 (02/05) ふみみん
コミュニティカフェ2題 (02/02) 高橋潤
上野千鶴子の田中批判についての意見 その2 (01/08) 井上貴至
検察の弱さ その2 (01/04) 藤本泰宏
自己肯定 (12/16) さくら
「橋下」勝利をどう考えるか? (12/09) 高橋潤
人間関係学 (12/03)
リンク集
最新トラックバック
http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/index2_0.xml
カウンセリングによる親子論 [2010年05月21日(Fri)]
 高橋和己は希有のカウンセラーである。彼が、そのカウンセリングを通じて『子は親を救うために「心の病」になる』(高橋和己、筑摩書房、2010)を発刊した。

 この書は衝撃的な本である。かつ私のように子育てを全く放棄していた人間にとっては深い反省を迫る著作でもある。

 高橋は、親は自分が育てられたようにしか子どもを育てることができない、と規定する。これは高橋固有の発見ではないかもしれない。私も自分の子どもは自分が生きている背中を見て育つもので、特段に何かをしなければならない、ということは考えていなかった。これは「自分の考え」だと思っていた。

 ところが、自分の子ども時代の親との関係を考えてみるとじつは、このことは親から私が引き継いでいるものだ。私の父親は京都で清水焼の窯元として経営者であった。その忙しさだけではなく、肺結核をわずらっており、子どもを近くに寄せ付けなかった。だから、父親と一緒にいたという記憶は私にはほとんどない。
 昭和27年、私が小学校2年生で父親が死ぬ。会社を母親が引きつくことになり、経営者になった母親から自分が構われた記憶は少ない。
 私の子どもに対する対応は、じつは私への親の態度をそのまま引き写しになってたわけである。

 次には高橋による新しい発見である。
それは母親が「発達障害」などの病気であり、それを自身で気づいていない場合である。この母親の元で育った子どもは母親を感知できないわけだから、正常な発達をしないことになる。自らを「心の病」に追い込む以外にないわけである。

 親と社会は、子育てという主に母親と子どもとの接触を通じて行われる行為に対して、どのように対処すればいいのか。まずは、父親の子育てへの関与についてである。出産、授乳などの生物レベルの区分けにより、子どもは母親との距離が近い。これに対して、父親は生活の安定や社会環境整備を自分の仕事として受け持つわけでる。この自然な社会的分業だけに依存するのではなく、父親は子育てにも手を出すとともに、とくに母親を精神的にサポートするという役割が重要だ。

 次に、多分、これまでは子育ては家族の・個人の行為という観点が強かったが、これからは社会ができるだけ関与できるようにしていく仕組みの開発が必要だろう。こうしたことを子育て手当や子育ての社会的支援が重大な政治テーマになっている今、みんなで考えていかなければならない。

 私個人でいえば、すでに機を逸したようである。

Posted by 田中尚輝 at 10:44
この記事のURL
http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/archive/166
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント