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タテマエとホンネ [2010年05月18日(Tue)]
『タテマエとホンネ』(増原良彦、講談社現代新書、1984年)を読む。

 タテマエとホンネがあるのは日本人だけだと本書はいう。アメリカやヨーロッパ、中国ではこれにあたる言葉さえない。

 私はタテマエとホンネを考えるときに、憲法9条を想う。9条の「戦力不保持」はタテマエであって、ホンネではない、という理解が横行している。ホンネは「国家であるかぎり自衛権は存在するのだから、戦力は保持してよい」という解釈改憲の発想である。
 このように日本人は言葉のタテマエとホンネを使い分ける。

 これはどこから来たのか。著者は、次のように分析する。
 「国家は必要悪である・・・・。国家論の基本テーゼともいうべきこの思想が、しかしながら、どういうわけか日本になかった。そのために、日本人は、タテマエとホンネといったいかがわしい思考原理によって、この基本テーゼの欠如を補わなければならなかった。」

著者は、「この基本テーゼの欠如が問題になるのは、敗戦後の日本であろう。」「なぜなら、敗戦前の日本には、『大日本帝国』が厳としてあったからである」とする。

これには疑問を感じる。

 日本人が「日本国」という国家を意識し始めたのは明治時代になってからである。それまでは「藩」が「国家」であった。江戸時代で考えれば、普通の人の毎日の移動は半径20km程度で行われていたであろう。自分の集落と隣の集落程度が生活空間であり、藩が徴税などの支配をしており、江戸幕府の存在を感じることもなかったであろう。

 この藩が県となり(廃藩置県)、国家を意識することになった。ところが、明治時代を作り上げたイデオロギーは「尊王」であり、このイデオロギーによって幕府=藩体制を壊し、「日本国」が登場するのである。

 ところで、尊王思想によれば、国家は神に近い天皇が統治するものであって、それが誤謬を犯すわけは無いという理解であった。ところが実際には国家=悪であるから、タテマエの尊王とホンネを使い分けたのではないか。与謝野晶子(孫の評価は別にして)の「君死に給うことなかれ」は、タテマエの時代にあって、ホンネで語ったところに価値があった。つまり、日本人にあってタテマエとホンネは戦後から生まれた思考方法ではないのである。

 タテマエとホンネがあることは必ずしも悪いことではない。その使い分けによって、人間関係やコミュニティが円滑に回ることにもなる。だが、何かことを起こす集団の場合に、タテマエ議論だけではとんでもないことになる。ホンネで語れる「同志」がいなければならない。
 
 こうしてことを起こす人たちは「ホンネ グループ」という中核と「ホンネ+タテマエ併用型」グループを持たなければならないことになる。


Posted by 田中尚輝 at 11:44
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