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民主党と権力 [2010年05月10日(Mon)]
  『権力』(杉田敦、岩波書店、2000)を読んだ。

本書の権力論の特徴は、「権力の主体」、その「主体の構成」という論点であろう。たとえば、公式的なマルクス主義国家論によれば、権力主体は階級が担うことになり、ブルジョアジーかプロレタリアートということになってしまう。このように国家権力を理解してしまうと物事は簡単なのだが、実際の政治過程をみてみると違うのではないか、と指摘する。

 著者は、例えば、第二次世界大戦前の日本の国家権力=戦争へ突入させた国家権力について、次のように考える。その権力が維持されたのは、いわゆる政府権力だけではなく、国民の中に戦争の推進を喜ぶ事業家や国民の意識があったのではないか、というわけである。このようにいかなる国家権力でも特定個人や特定の社会的階層だけによって牛耳られるということはなく、「支配されている側」も単純に支配されているという図式でないのではないか。

私は次のように考える。国家権力には「政治責任」があり、その責任を絶えず明確にしておくことは必要であり、責任を分散化させるのはよくない。しかし、権力の構成や権力過程を分析すれば複合的な構成要素で形成されており、杉田の論は説得性を持っていると思う。

日本の場合、天皇の戦争責任もあり、議論がしにくいのだが、はっきりしていることは東条内閣などは戦争の終結について、決断ができずに逃げまくり、天皇の「お言葉」という決済にゆだねるというようなわけの判らないことにしてしまっている。「誰もが責任を取らない日本」であり、依存しあう関係性の社会がそこにはある。

著者は本書の最後を次のような言葉で結んでいる。「権力を一方的に行使されているという考え方をやめ、権力過程の当事者であるという意識を持った時に、すなわち、責任者はどこか遠くにいるのではなく、今ここにいると気づいた時に、権力のあり方を変えるための一歩がふみ出されるのである。」

ここで民主党政権問題を考えてみる。民主党政権のモタモタ振りは目を覆いたくなるが、しかし、ここで市民は評論家になってはいけない。自らも「権力」を担っている一部であると認識し、役割を果たさなければならない。

 たとえば、私が深くかかわっている介護保険制度についても、それによって支えられているNPOが存在し、その資金によって「枠外サービス」のボランティア活動も成立している面がある。だから、逆にNPO側から介護保険制度の改定に積極的に関与しつつ、「枠外サービス」を積極的に担っていかなければならない。

<大>≪追記≫
 このような観点から「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」は、5月12日18時から星陵会館(参議院議員会館近く)において、全政党を招いての意見交換会を開催する。
Posted by 田中尚輝 at 09:25
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