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他者についてどう考える? [2010年04月05日(Mon)]
『マルクスだったらこう考える』(的場昭弘、光文社新書、2004)を読んだ。

 若いころは、すっかりマルクス・ボーイであった私にとって興味津々の本であり、その期待を裏切らなかった著作である。 その4章で著者はマルクスが生きていたら「他者についてどう考える?」という提起をおこなっている。

マルクス主義のポイントは、資本主義が「労働力の商品化」の必然性をもっていること、弁証法による主体と客体の対峙であり、その相互関連性という考え方であろう。客体は主体にとっての「媒介」であり、「他者」となる。

 資本が主体であり、労働者は他者として扱われる、男性に対して女性も他者である。大国にとってマイノリティは他者になる。

私が興味を持つ高齢者問題についても、最初に「変だな」と感じたのは、高齢者を客体にし、他者とすることであった。高齢者は社会対策の対象者であり、社会構成体からすれば他者であったのである。ここに社会的な「疎外」が現象する。 このような観点から見ると「一人暮らし高齢者」も他者である。社会からも地域からも他者にされ、この人々は自分の口を開く会話さえできないまで「他者」に置かれている。

 いま、諏訪大社の「御柱祭」が7年ぶりに開催されている。こうしたお祭りは地域社会における「他者」をつくらない試みではないだろうか。お祭りのさまざまな共同作業を通じて一体感を醸成していくわけである。女性も子ども、高齢者も、そして、障害を持つ人も役割があり、地域が一緒になって「柱」を切り出し、神社に奉納する作業を分担して実施する。

 そして、「お接待」である。路行く知らない人にもお酒や食事を振りまう。7年に1回とはいえ、1家あたり100万円も使うという(最近では、この接待をする家はめっきり減ったと聞いている)。こうしたことによってかもし出しているのは「連帯感」なのである。

 「他者」にされそうな人々に「連帯」の手を差し伸べることができる社会こそが、われわれの目指すべき社会ではないか。マルクスが今、生きていればどう考えるだろうか?

 「連帯なき社会」をどのように「連帯のある社会」へ切り替えるのか。どうも民主党政権にはこうした骨太の社会イメージができていないようだ。しかし、私たちNPOは政府がどうであっても、連帯を作り出していかなければならない。実際に各地で連帯を作り出しているNPO活動が存在している。ここに日本社会の救いがある。
伊藤みどりさんから、本ブログについてコメントをいただいた。要点は、諏訪大社の連帯の輪に入れる人とそこでも≪他者≫にならざるを得ない人がいるではないか、そこへの心配りが必要なのではないか、ということです。

 一般論でいえば「連帯の輪」をつくると「輪」の外ができることになる。これをどのように≪他者≫を出さないようにするとすれば、別の輪をつくっていくいがいにない、ということではないか。この件は、また時間のあるときに詳しく述べる。
Posted by 田中尚輝 at 09:35
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コメント
祭りは、その心が大切だと思いますが、実際には時間とともに、形式化していきますし、それが誰かの犠牲の上に成り立つということも多いように思います。
一家あたり100万円を使うために、その家の中ではどれほどの苦労があったか、連帯感と裏腹に、役割期待に応えられたなかった人がどれほど疎外されるか、を考えずにはいられません。
「他者」をつくらない「連帯感」の育て方についても、どこかで触れていただけたら嬉しいです。
Posted by:伊藤みどり  at 2010年04月11日(Sun) 07:49