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梅原猛は米寿でも発展する! [2013年05月15日(Wed)]

 最近、梅原は壮年時代の哲学を発展させて『人類哲学序説』(岩波新書、二〇一三年)を出版しました。米寿を迎えようとしているのですが、元気に研究生活を続け、前向きの論理展開をしています。

 ここで梅原が強調しているのは、日本には古来からあった「森の思想」を持続し発展させようということです。また、「草木国土悉皆成仏」ともいっています。悉皆というのは「残らず、すっかり、全部」という意味ですから、 つまり、草や木、そして蛙にも虫にもすべて命があり、生まれ、死に、そして、つぎの世代に引き継がれていくという思想です。

 「森の思想」というのは生命の流転、循環の思想を意味していますし、実際に森の存在と森を守り、育てるところに人間の思想の重要性があるということです。日本では集落には必ず「森の鎮守」があり、そこでお祭りをしながら、自然に感謝し、他方ではそれをマキとしてエネルギー源にもつかっていました。私はこの「森の思想」を体現した生活スタイルが「入会地」の集落での活用方法や「結」や「講」の思想の実践、つまり支えあいの社会ではないかと思っています。

 また、米寿を迎えた梅原が自分の哲学を「人類哲学」というのは西洋哲学を超えたという意味です。彼は四〇歳ころまでは西洋哲学の熱心な学徒だったのですが、それ以降、日本の哲学や思想を追求し、そして到達したのが「人類哲学」なのです。これには仏教の流れが深くかかわっています。

 梅原は、仏教における自利と他利の調和を説く思想に注目し、そこに他の宗教に対する仏教の優位性があるといいます。

 それはつぎのような仏教の考えから判断するのです。人間は欲望の多い存在です。釈迦は欲望の世界に支配されている間は、人間の生活は「苦」であると考えました。そこで釈迦は四諦(四つの真理)を説きます。それは、苦諦(人生は苦であるという真理)、集諦(苦の原因は欲望であるという真理)、滅諦(苦を滅ぼす真理)、道諦(苦を滅ぼす方法についての真理)の四つです。そして、戒律を守り、瞑想して知恵をみがけ、というのです。

 この釈迦の教えにしたがった弟子たちは山奥の寺にこもり、禁欲生活をおくるのです。当然にも妻帯や肉食は許されませんでした。こうした状況が続いていたのですが、釈迦没後五〇〇年程度たったあとに龍樹という人物が現れます。彼はつぎのように主張するのです。「このような仏教では町にいる苦しめる人間は救えない。町に出て苦しめる人間を救う仏教にならねばならぬ。今までの仏教は、自分だけのさとりを開いて安静の生活をすればよいという自利の仏教である。町に出て悩める人を救う利他の仏教でなければならぬ」(サイドラインは筆者)(注◎梅原猛、岩波新書、二〇一三年)と主張したのです。つまり、自分が修行によってさとりを開いたとしても、それは自分がよい=自利だけではないのか、というのです。そして悩める人々にさとりを開かせるのが仏教の役割=利他ではないか、というわけです。

 自利の仏教は欲望を封殺するのですが、利他の仏教は欲望を認めるのです。そして、自利の仏教を小乗仏教、利他の仏教によって人々の悩みを救う仏教を大乗仏教といいます。大乗仏教では欲望について封殺型になりませんから、「煩悩即菩薩」ということがいわれます。このことを梅原は分かりやすい例をだしているのですが、作家で出家した瀬戸内晴海は「煩悩即菩薩」の人だと指摘しています。また大リーガーのイチロー選手は「精進の得を極め」ている「自利」の人だと評価しています。

 私は「超利己主義」の考え方と実践のすすめをしていますが、これは大乗仏教の「煩悩即菩薩」の考え方と共通しています。日本のこれまでのボランティア活動や非営利事業は、あまりに利他を強調しすぎる倫理の世界を超えられませんでした。「一人が万人のために、万人が一人のために」をうたった日本の生協の創設者賀川豊彦の提唱からも倫理性の色を濃く感じます。

 こうした倫理観はあっていいのですが、この倫理観からくる日本のボランティア活動にある「無償性絶対主義」などは、ボランティア活動を狭い分野に押しとどめ、社会活動の影に落とし込んできました。また、多くの公益法人は倫理的な「公益事業」という枠に自らを押し込める対価として、税からの資金援助を確保するという裏取引の世界に入ってしまっています。こうした暗い世界に穴をあけたのがNPO法です。NPOにもさまざまな問題点があるのですが、旧来のボランティア活動や公益法人制度にある陰湿さはなく、自発的・創造的な公益の追求ができる可能性をもっているのです。
Posted by 田中尚輝 at 08:29
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