CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
プロフィール

田中尚輝さんの画像
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
Redwing
日本の貧困・格差を「なくす (02/16) 高橋潤
ホンダOBが行く (02/14) 江藤清巳
NPOを応援する人材 (02/06) 高橋潤
NPOリーダーの覚悟 (02/05) ふみみん
コミュニティカフェ2題 (02/02) 高橋潤
上野千鶴子の田中批判についての意見 その2 (01/08) 井上貴至
検察の弱さ その2 (01/04) 藤本泰宏
自己肯定 (12/16) さくら
「橋下」勝利をどう考えるか? (12/09) 高橋潤
人間関係学 (12/03)
リンク集
最新トラックバック
http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/index2_0.xml
マルチチュードを日本においてどう理解するか [2013年04月26日(Fri)]
『革命論 マルチチュードの政治哲学序説』(市田良彦、平凡社、二〇一二年)

 マルチチュードについて政治哲学から書き下ろしたのが本書。だがマルチチュードの説明は難しい。

 日本でマルチチュードに類する人々が現れたのは中世における「悪党」たち。これは楠正成などだ。幕末の志士たち、六〇年安保闘争での「声なき人たち」、六〇年代半ばの小田実たちの「ベトナムに平和を市民連合」(べ平連)、現代の原発反対で毎週金曜日のデモに参加している人たちなどは、これにあたるだろう。

 だが、マルチチュードに最近焦点をあてたアントニオ・ネグリの論理展開を見るとそういう現象をさしているだけではない。国民の各層における変革へむけてのマグマのような状態、そして、それかネットワークされ、社会変革の大きな流れに合流していく状況をさす。

 本書は、政治哲学でのマルチチュードを克明に追っている。さて、本書で注目した言葉。

 「政治哲学の隆盛は冷戦の終結というきっかけがあった。第二次大戦後およそ半世紀持続した世界政治の基本枠組みが崩壊し、国家を超える政治には正義や倫理ぐらいしか適用可能な汎用性の高い原理がなくなってしまったから、それは舞台の上に登場したのだった。」

 そうなのだ。1989年のベルリンの壁の崩壊、決定的には1991年のソ連邦崩壊によって社会主義イデオロギーの権威は失墜した。その反対側にいた資本主義というのも原理がわからないままにうごいている。こうして政治哲学的には現状は無重力状態にある。
マルチチュードが勢いを増して登場するゆえんだ。

 つぎに。
 「革命とは国家を死滅させる国家を建設することだという逆説を実践どおりに解くことができず、その名を冠した国家をソ連では消滅させ、中国では資本の有能な管理者に変えた。」

 これが政治哲学の根本命題の1つだ。人々は改革へエネルギーをだす。そして、改革された国家ができあがるとそれが人々を支配するのだ。これをどう克服するか。それが政治哲学に問われている。
Posted by 田中尚輝 at 10:27
この記事のURL
http://blog.canpan.info/tanaka-naoki/archive/1193
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント