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日本に「古代」はなかった。喧嘩を売る本。 [2010年03月12日(Fri)]
『日本に古代はあったのか』(井上章一、角川選書、2008)を読んだ。

 著者の主張は「日本には古代がなかった。古代、中世、近代という分類で言えば、中世から始まっている」という衝撃的な主張である。そして、現代の歴史学に真正面から喧嘩を売っている面白い本である。

 この主張によれば、鎌倉時代から始まったとされる中世の常識的な理解を崩さなければならない。著者は鎌倉の源政権新しい時代を切り開いたのではなく、それまでの「中世」におけるちょっつぃた異物であり、時代を画するものではなかった、という。だから、東大寺とも天皇とも妥協したのだ、と分析する。

 そして、興味深いのは、このような歴史区分の常識が成立したのは「関東史観」と「マルクス主義」ではないか、としている点である。

 まず、関東史観を「京都学派」と比較する。関東史観によれば、京都は、<雅・脆弱・堕落>であるときめつけ、関東の武士は粗野である(武骨)かもしれないが、明確な意志を持ち社会を変えた優位性があったとする。
 したがって、京都という軟弱な地に首都をおかず、鎌倉にしたという整理をする。これが明治時代の京都から東京への遷都につながっている。そして、関東史観が成立するのは明治以降のことだと解明していくのである。
 私は京都生まれで、大学から東京で生活しているのだが、東京には関東優位思想があり、なじめないところがあるが、その根源の1つについてこの論拠は感覚的に理解できる。

 つぎに、マルクス主義の影響であるが、マルクス主義は社会の発展を生産様式を基本的なメルクマールとしてみる。つまり、奴隷制の場合には古代、農奴制になっていれば中世というわけだ。
 著者は、日本において奴隷制が成立していたのか、中世において農奴制になったのか、という問いを発している。鎌倉幕府が配置した地頭によって農奴制が成立したわけではない、地頭などはそれまでの守護の権限を武士が食い荒らすだけのものであり、レベルでいえば「盗賊」のようなものであり、社会転換になっているわけではない、と主張するのだ。
 マルクス主義を観念的に受けとめると、マルクス主義の発展形態に社会を無理やりに合わせていくという「愚」を犯すことになる。このことはマルクスが望んだことではないと思うのだが、愚を犯す人は多い。

 歴史を好きでない人にも、頭の体操になる本であり、一読をお勧めする。

Posted by 田中尚輝 at 10:05
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