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社会変革の環境と主体 [2013年02月01日(Fri)]

 私は社会を変えようと思っている。

 アントニオ・ネグリは、が面白い。『コモンウエルス(上)(下)』(アントニオ・ネグり、マイケル・ハート、NHK出版、二〇一二年)を読んだ。

 マルチチュードという概念を摘出している。日本語でいえば一番近いのは「民衆」だろう。そして「共」という概念に焦点をあてています。

 次のようことを書いています。引用します。

 ネグりはマルチチュードと『共』との関係性をつぎのように整理します。「マルチチュードの民主主義を想像すること、それを実現することが可能なのは、私たち全員が<共(コモン)>をわかちあい、<共>に参加しているからこそである。」

 「マルチチュードは、他のすべての身体との出会いに対して開かれたという意味で包含的身体であり、その政治的生はそれらの出会いの質によって左右される。喜びに満ちた出会いがあれば、より大きな力能の身体が合成され、悲しい出会いがあれば、より小さな力能の身体に分解するというわけだ。」

 そして、ネグりのいう「共」には二つの意味があります。一つは、物質世界のもので、空気や水、大地の恵みなど、あらゆる自然の賜物のことです。二つは、知識や言語、コード、情報、などの社会的生産の諸結果のことです。この中でもネグりは第二のソフトの共を重視しています。

 「<共>の力能と生産性を追求するためのもうひとつの道筋を提供するのは、愛である。愛は個人主義による孤独から抜け出すための手段であるが、現代のイデオロギーが説くようなカップルや家族といった私的生活のなかで、ふたたび孤立化させられてしまうことをめざすものではない。愛を<共>の生産と社会的生の生産の中心に位置するものととらえる、そうした政治的概念としての愛に到達するために、この語がもつ現代的な意味の大部分から離れ、かつての愛という概念を呼び戻」すこと(注◎〈上))。
Posted by 田中尚輝 at 15:09
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