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親子とは [2013年01月03日(Thu)]
 『家族という意志 ――よるべなき時代を生きる』(芦沢俊介、岩波新書、263頁、820円、2012年)


 既成の家族論とは違った「思想的な家族論」とでもいう範疇にはいるだろうか。吉本隆明論から入っている。

 ここでは私の気づいていなかった点について紹介する。


 「生物的な親」「受けとめ手としての親」は一致しないということ。


 「生物的な親」は「親子である」ということであり、「受けとめ手としての親」は「親子になる」という相違だ。


 生物的な親にはセックスをすればなれる。ところが、「親子になる」には親の努力がなければならないということだ。


 人間は動物と人間とを相違したがる。ところが遺伝子では人間とチンパンジーは98.8%まで同じだ。人間が動物と自己の相違を強調したいのは実は動物と同じ面がありすぎるからではないか。

 並行して読んでいる≪現代社会学ライブラリー≫『動物的/人間的』(大澤真幸、弘文堂、146頁、1200円、2012年)を読みながら、考えた。
]

 「親子である」人は多いが、「親子になっている人」は少ないのではないか。
Posted by 田中尚輝 at 21:46
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