バイオグラフィ
| 出身地 | 兵庫県伊丹市生まれ。 |
| 放浪時代 | 高校卒業後海外を放浪。
天安門事件の半年後の北京、ゴルバチョフ大統領時代のモスクワ、東西ドイツが統一した年のベルリン、湾岸戦争が始まった頃のパリ、いまよりもっと緑が多かったタンザニア、アパルトヘイト末期の南アフリカ、世界先住民年のころのアンデスなど。 |
| 職歴 | バイト魔でした。お好み焼き店員(いまも得意です)、中元・歳暮の配達(自転車で1日120件配達してました)、家庭教師(高校生が中学生を教えてました)、アルバイト情報誌の広告取り(バブル末期でまだ1冊が分厚かった時代でした)、花博の場外警備(会場には入ったことがありません)、ユースホステルのお兄さん(朝食200人分を5人でつくってました)、長距離トラックの運転(いまも時々乗りたくなります)、海外引っ越しの営業・通関・梱包(大きな家では荷造りだけで1週間かかりました)、フィリピン人向けレンタルビデオ店員(多文化共生への入り口になりました)ほか。 |
| 多文化共生 | 阪神・淡路大震災で被災した外国人への情報提供を行う活動を友人たちと立ち上げ。その活動を元に、95年10月に「多文化共生センター」の設立し、事務局長に。97年4月から04年3月まで、代表として同センターの成長に居合わせました。
>多文化共生センターのホームページ http://www.tabunka.jp/ 05年度は(財)自治体国際化協会で多文化共生促進事業担当参事として、災害時に多言語情報提供プロジェクトなどに従事しました。 >自治体国際化協会のホームページ http://www.clair.or.jp/ 同じく05年度は総務省の「地域における多文化共生推進に関する研究会」のメンバーとして、同省の「多文化共生推進プログラム」の策定に参加しました。 |
| IIHOE | 正式名称は「人と組織と地球のための国際研究所」。多文化共生センター時代に代表の川北秀人さんと知り合って、『NPOマネジメント』の編集協力委員となる。04年4月から研究主幹として本格的に活動に参画し、現在は客員研究員です。>IIHOEのブログ
http://blog.canpan.info/iihoe/ |
| 大学 | 01年から複数の大学で非常勤講師を務めてきました。09年度からは甲南女子大学で「社会起業論」を、関西学院大学で「起業演習」を、大阪市立大学大学院で「NPOの事業計画」を、それぞれ担当しています。 |
| NPO | 現在、田村太郎が理事を務めているのNPO法人は次の団体です。
>多文化共生センター東京 >多文化共生センター大阪 >神戸まちづくり研究所 >プラスアーツ >チャイルド・ケモ・ハウス >外国人就労支援センター >多文化共生マネジャー全国協議会 >edge >多文化共生リソースセンター東海 >サリュ |
| 小児がん | 03年の夏に当時2歳の息子が転移の進んだ小児がん(神経芽細胞種)と診断されました。入院と治療に付き添うために、半年間、ほとんどの仕事をキャンセルさせて頂きました。1年間の入院を経て息子は元気になりました。そこでの経験を社会に還元しようと、現在、関西で小児がん治療のための専門施設「チャイルド・ケモ・ハウス」の建設運動に力を入れています。 |
| 社会起業家 | 多くの方々に支えられた自分の経験から、新しく社会に役立つ仕事がしたいと考える若者を支援するビジネスプランコンペ「edge」を04年にスタートしました。
>edgeのホームページ http://www.edgeweb.jp/ |
| 復興支援 | 東日本大震災直後に発足した「内閣官房震災ボランティア連携室」の企画官に就任。現在は復興対策本部でボランティアと男女協働参画を担当しています。(非常勤国家公務員です) |




