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長谷川泰の葬列 [2011年06月30日(Thu)]

 長谷川泰の生家跡のお宅には、長谷川泰の葬儀の写真が残されていました。当時、長男の保定氏から福井村へ贈られたものです。
 一枚目は湯島天神の坂を下る葬列です。
 二枚目は自宅のあった湯島でしょうか、それとも墓地のある谷中の町でしょうか。
 大勢の関係者と儀仗兵が並ぶ写真が、個人の偉大さを思わせます。





※当ブログ関連記事
「長谷川泰の望郷 」
「盲目者への労り」
漫画の売り上げを寄付 [2011年06月28日(Tue)]

 「長谷川泰ものがたり」を販売している個人サークル泰友堂が、同人誌の即売+交流イベント「ガタケット」そして「コミティア新潟」での売り上げ等を、東日本大震災の義援金として寄付するとお伝えしておりました。
 昨日、日本赤十字社への振込が済みましたのでご報告いたします。



 長谷川泰先生の「済生救民」の志を思えば、大変に大変に微力ではありますが、復興への願いと共にお届けするそうです。
 今後もイベント参加の機会ごとに寄付を行なうそうですので、関心のある皆様は会場で見掛けましたらご購入をお願いいたします!
TBSドラマ「JIN-仁-」最終回 [2011年06月27日(Mon)]

医師の心得「仁」に基づき東西に別れた内戦の間に立ち、東西の医療を繋いだ新しい医療をもたらした医師。
南方仁という人物名には、そのようなメッセージが込められているようです。

御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の制作開始が、ちょうどドラマの前編の放映中であり、原作漫画にもグイグイ引き込まれて行きました。
史実の長谷川泰と南方仁が生きた状況はとても重なるのです。



「JIN-仁-」劇中の仁友堂は、順天堂をモデルとしています。長谷川泰は20歳の頃「泰一郎」と名乗り佐倉順天堂で学びました。
師「佐藤尚中」の志をよく理解し、養子として、順天堂に後継者として期待されています。(尚中の娘・志津に失恋してしまいましたが。)
その後は幕府の医学所で、順天堂創始者佐藤泰然の実子「松本良順」の元で学びます。しかし間もなく戊辰戦争が勃発、昨晩のドラマにも描かれたように良順は幕府軍の軍医として会津へ向かい、長谷川泰も長岡へ帰藩して河井継之助の抜擢の元軍に属しました。

「JIN-仁-」では明治の時代まで描かれることはありませんでしたが、維新後の日本で医の文明開化を支えたのは、仁友堂の面々のような、動乱を生き残った若き医師たちでした。
漢方医を父に生まれ、西洋医としてその狭間で苦悶した長谷川泰。そして「済生救民」(広く民衆を救う)のテーマのもとに開いた医学校「済生学舎」。
「JIN-仁-」の世界を重ね合わせて楽しませて頂きました。

個人的な話ですが。
ドラマの最後では南方仁が現代の橘医員を訪れ、古い写真から仲間たちの足跡を知る場面がありましたが、僕自身が昨年の漫画の取材で生家を、墓地を、済生学舎の今を訊ねたことを思い出して泣けてきました。
歴史の延長上に自分が生きているという実感得ることは、今の自分たちが未来に繋がると実感することだと思います。

※当ブログ関連記事
「JIN-仁-最終回 村上もとか」(漫画)
慶應義塾と長谷川泰 [2011年06月23日(Thu)]

御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」の初版の、大きな修正箇所の報告です。

p111の資料編で、長谷川泰の学歴として慶應義塾(福沢諭吉)と記載されています。
その後、日本医科大学医史学教育研究会に調べて頂いたところ、泰は福沢諭吉から個人的に外国語を学び、後に共に北里柴三郎を助けているように大変に親しい仲だったようですが、学んだ年代が確かではなく慶應義塾を直接の学歴とするのは正確では無いので、第2版からは修正しています。
版を重ねるごとにブラッシュアップし行きましょう!

三田商学研究会編/明治42年(1909)発行の『慶應義塾出身名流列伝』の序盤に長谷川泰が紹介されています。これは特別待遇として出身者の中に名を連ねられたということだそうです。

「慶應義塾入社帳」の筆頭に記されている小林小太郎は、長谷川泰の妻・柳子の兄です。
伊予松山藩士の子で後に文部官僚となりましたが、政界の長谷川泰との関係も気になるところです。

※当ブログ関連記事
「慶應義塾出身名流列伝」
「愛媛偉人まんが伝」
第2回タイ・カップ結果 [2011年06月18日(Sat)]

 長谷川泰翁杯親善少年野球大会【タイ・カップ】
 6月18日の結果報告です。

 優勝は2大会連続の地元「新組ホワイトソックス」
 やはりホームの意地を見せてくれました、2試合3ホーマーを含む猛打が爆発です。
 準優勝は初出場の「和島ベースボールクラブ」です。



 昨年の第1回大会は、再三の雨で秋の開催になってしまいましたが、今回は予定通りに開催されました。
 先取宣誓は、第1回大会の優勝チーム新組ホワイトソックスから久住キャプテン。
 長谷川泰を語る会理事長からは、郷土の偉人を冠した大会の主旨が語られ、新組学校長池田先生からは、ふるさとの偉人に学びましょうというメッセージをご挨拶として頂きました。

 そして昨年に引き続き、新組町の花火屋さん「安藤煙火店」さんによる打上げ花火でプレイボールです!

 今年から新組ホワイトソックスはお隣の上通サンダースと合併し、高学年の多い充実の戦力となりました。新組町在住の北原監督の元に、一致団結して戦います。北原監督の明るい指導が、新組ホワイトソックス伸び伸びとしたプレースタイルを生んでいるようです。
 また、北原監督は話されていました。「どんなにやられても粘り強くプレーさせ続けることで、近い将来に化ける子がたくさん居る」と。参加した4チームすべてがそうでしたが、投手が打ち込まれても、打者が見逃しの三振をしても、監督・コーチの叱咤と声援はとても真摯でした。


 決勝戦の最終回を3人でピシャリと締めたのは、この日キャッチャーとしてチームをまとめ上げた久住キャプテン。1本塁打で攻撃にも活躍!


 抜群の成績を残してのMVPは福田海人選手。
 2試合8打数7安打、内2本塁打。先発も務めて決勝戦は無失点の大活躍でした。


 試合終了後は参加全チームで記念撮影をし解散。相互に帽子を振り健闘を讃え合いながら分かれる姿に感動しました。
 新組地区の皆さん、新組小学校の先生方、各チームの保護者の皆さん、今大会にもご協力をいただきありがとうございました!
 来年の第3回大会もよりパワーアップして開催したいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。



○今回の参加チーム

 ・新組ホワイトソックス(新組地域)
  ご当地偉人「長谷川泰」
  〜明治時代に1万人の医師を育てた医学者

 ・刈谷田少年野球クラブ(栃尾地域)
  ご当地偉人「外山脩造」
  〜阪神タイガースの生みの親/泰の幼馴染

 ・信条フェニックス(中之島地域)
  ご当地偉人「池田謙斎」
  〜日本初の医学博士/江戸幕府医学所での泰の先輩

 ・和島ベースボールクラブ(和島地域)
  ご当地偉人「良寛」
  〜慈愛を教えた心優しい僧侶/泰が尊敬した越後の大先輩

※参加チーム各学校には、御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」が寄贈されていますので、読んでみてくださいね!
【タイ・カップ】第2回大会 [2011年06月17日(Fri)]

長谷川泰翁杯親善少年野球大会【タイ・カップ】第2回大会が、明日開催されます。



日時:平成23年6月18日(土)
    8:00開会式〜9:00プレイボール〜15:00閉会予定
会場:長岡市立新組小学校グラウンド

参加チームの各地域の皆様、子どもたちの応援を宜しくお願いします!
そして、偉人たちを通して、新潟県のそれぞれの地域の特色ある歴史文化を語り合う切っ掛けにしましょう。

【開催趣旨より】
本少年野球大会では、長谷川泰と交流のあった偉人ゆかりの地域の少年野球チームで、長谷川泰翁杯を争います。
長谷川泰は、同郷の偉人たちと少年時代から交流を深めることで成長した人物です。 そのことに倣い、現在の子どもたちには野球を通して地域間の交流を重ね、見聞を広げる機会を持っていただきたいと思います。
そして、この郷土の先人たちの名を冠した野球大会を回を重ねて行く事により、親と子にその功績を永く伝え遺します。
やがて、先人を誇りとし、彼らと歴史で繋がる郷土と自己への愛着を育んだ子どもたちが、未来の社会で大いに活躍してくれることを願っています。

○今回の参加チーム

 ・新組ホワイトソックス(新組地域)
  ご当地偉人「長谷川泰」
  〜明治時代に1万人の医師を育てた医学者

 ・刈谷田少年野球クラブ(栃尾地域)
  ご当地偉人「外山脩造」
  〜阪神タイガースの生みの親/泰の幼馴染

 ・信条フェニックス(中之島地域)
  ご当地偉人「池田謙斎」
  〜日本初の医学博士/江戸幕府医学所での泰の先輩

 ・和島ベースボールクラブ(和島地域)
  ご当地偉人「良寛」
  〜慈愛を教えた心優しい僧侶/泰が尊敬した越後の大先輩
米百俵デー [2011年06月15日(Wed)]

長岡市は、明治3年6月15日の国漢学校の新校舎開校の日にちなみ、6月15日を米百俵デーとしています。(長岡藩の支藩三根山藩から米が贈られたのは同年5月でした。)
毎年6月15日には記念式典「米百俵デー市民の集い」を開催し、「米百俵」の精神を受け継ぎ人材育成に大きな成果をあげた人に贈る賞「米百俵賞」の贈呈と講演会を行っています。

小林虎三郎、小林雄七郎、三島億二郎ら長岡藩の人びとは、復興の礎として人材教育に重点を置きました。この優れた「藩風」は、今の長岡のアイデンティティとしても受け継いで行かれるべきものではないでしょうか。

※当ブログ関連記事
「米百俵〜小林虎三郎物語〜 」

長岡市webサイト「米百俵」
長谷川泰像の台座 [2011年06月14日(Tue)]

「長谷川泰と下水道」の著者・西片正栄さんと同じく、長岡市の行政に居られた木本二郎さんに提供して頂いた貴重な資料です。



写真は湯島天神の境内に置かれた長谷川泰像の台座です。
以前も記事にしたように、銅像自体は太平洋戦争に際して徴集を受けてしまい、主を失った巨大な台座のみが数十年の間残されていました。
写真は1983年に撮影されていますが、その後間もなくこの台座も境内の改装に合わせて撤去されています。

台座は廃棄物として東京湾へ沈められてしまいました。
西片さんが著書に記されていたように、木本さんもまた台座を故郷に持ち帰って差し上げ、銅像の再建を待つべきだったと悔やまれています。
今もまだ、東京湾の水底に眠っているのでしょうか。

木本二郎さんとは、出版された「長谷川泰ものがたり」が切っ掛けで交流を持たせていただくことができました。ありがとうございます。

※当ブログ関連記事
「湯島天神の銅像」
「妖怪博士」井上円了展 [2011年06月11日(Sat)]

少し前の展示になりますが、新潟県立歴史博物館で開催された「井上円了」の企画展に行ってまいりました。

現在の長岡市越路の寺に生まれた仏教哲学者「井上円了」。東洋大学の創始者です。
「妖怪」を科学的に分析し、迷信を仕分けたことで「妖怪博士」とも呼ばれました。
円了が定義した「妖怪」とは、今で言う化け物といった限定的な意味ではなく、自然現象や超常的な現象を広く含むものでした。(とても俗に言うと、オカルト研究とも言えるのかもしれません。)

円了は科学と哲学を用いて、とても理性的に多くの迷信を喝破していますが、祖先や自然に向ける謙虚さを忘れてはいないようです。
妖怪を細分して、その内の1割を「真怪」と定義し、現在の科学では解明しきれない真理としているのです。
その真怪の研究によって、宇宙の秘密を得ることができるとしています。
先の震災による原子力事故に振舞わされる今を省みると、自然と科学に対峙する謙虚な姿勢を井上円了から問われているかのようにも感じました。



長谷川泰先生の周辺に残る井上円了の話題を。
泰先生の親友・石黒忠悳の元で、幼い井上円了は漢学を学んでいます。その時の石黒忠悳はわずか15歳です。
明治の「専門学校令」により、哲学館大学(現・東洋大学)は政府から認可されますが、長谷川泰の「済生学舎」は政治的な諸事情もあり拒絶されます。
その際に泰先生は、僧侶より医師を下に見るのか?!と憤ったそうです。

※当ブログ関連記事
「済生学舎の窮地」
売り上げを義援金に [2011年06月09日(Thu)]

創作(オリジナル)同人誌の交流イベント「新潟コミティア」で、御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」が販売されます。
参加サークル名は「泰友堂」(たいゆうどう)です。

たいへんに微力ではありますが、会場内でお買い上げ頂いた売り上げから、1冊あたり500円が東日本大震災の義援金として、日本赤十字社を通して寄付いたします。(販売価格900円)
漫画の内容はこちらのリンクへ→「長谷川泰ものがたり紹介」

【新潟コミティア】
3月12日(日曜日)11:00〜朱鷺メッセにて開催


下の写真は「ガタケット」(新潟コミックマーケット)での販売の様子です。


「新潟コミティア」webサイト
http://gataket.com/comitia/
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