栃尾在住の郷土史研究家・深滝純一さんによる郷土史講座「長谷川泰と外山脩造」の2回目、前回の事前学習を受けての現地学習に参加いたしました。(いきいき県民カレッジ登録講座)
長谷川泰と外山脩造、そして少年時代の2人の師である井上五蔵にまつわる史跡を巡ります。
むせるような真夏日でしたが、郷土史に関心のあるたくさんの方が集まりました。
見附市の「ふぁみりあ」を出発して先ず向かったのは耳取町に残る井上五蔵顕彰碑。耳取村の庄屋・井上五蔵が自宅で開いた漢学の私塾、青鬣館(せいりょうかん)があった付近に建てられています。碑には建立の発起人である長谷川泰と外山脩造の名前が刻まれています。
ここでは、みつけ伝承館学芸員の今井さんに井上五蔵の功績を教えて頂きました。若き日の五蔵は藩学校崇徳館で秋山景山に学び、当時長岡藩の一部で用いられた徂徠学を修めていました。
長じて庄屋を継ぐと、そのかたわらで青鬣館を開学。越後の片隅の小さな私塾で、明治日本を代表する偉人を育てたことに五蔵の偉大さを感じます。
長谷川泰と外山脩造は同い年であり、後には共に河井継之助を尊敬することになりますが、この耳取は因縁を感じる場所です。
青鬣館を開く以前の五蔵の偉業に、耳取村の全戸移動があります。生活用水を求めて平地から山際へ住居を移し、空いた平地を農耕地に当てたのでした。
写真左手前の浄水場辺りから右奥の林までの地域を現在の耳取町まで移動させましたが、この大区画整備は五蔵の政治力と統率力と財力があった成されたものだと今井さんが解説されました。
(青鬣館があったと思われる写真の高台からは、かつての八丁沖越しに福井村が望めました。)
八丁沖跡の田園を抜けて、次に訪れたのはお馴染みの長谷川泰生家跡です。教育委員会が設置した案内板を前に、深滝さんから長谷川泰の事績を聞きました。
越後に生まれ育ち、北越戊辰戦争に参加、東京で済生学舎を開学し活躍するも、長岡を攻めたあの山縣有朋に再び行く手を阻まれる。
郷土史ファンを暑くさせる戊辰の因縁の歴史です。炎天下のもと、深滝さんのお話しにもさらに熱が入りました。
続いては、中之島から分水を越えて粟生津の長善館史料館へ。見附市〜長岡市〜燕市を股に掛けるツアーとなりました。
長谷川泰が長善館で学んだ当時は粟生津も長岡藩に含まれており、長善館館長の鈴木文臺は、城下から遠方まで藩の教育を行き渡らせる任を果たしていたと言われます。
全寮制の長善館では武士の子も農民の子も寝食を共にしました。そうして交わることで価値観を深めて行ったのではないでしょうか。
こちらでは長善館史料館のガイドの方に案内して頂きました。現在燕市では長善館を教育のシンボルとして活用し、児童を招いての催しを多数企画しているそうです。
ブログ管理人もお話しさせて頂きました。良寛の慈愛の教えと鈴木文臺の孝教が、後の長谷川泰に与えた影響を話したのですが、どうにも拙い喋りで、深滝さんを前に大変に恐縮でした・・・。
長善館には長谷川泰先生のコーナーが作らせていました!今年の春に日本医科大学に寄贈された長谷川泰像と、新組地区で作った御当地伝記マンガ「長谷川泰ものがたり」も紹介されています。
地域を越えた横の繋がりに感謝です!
2回に渡る深滝純一さんの講座「長谷川泰と外山脩造」の参加報告でした。
新しい知識を得られたのはもちろん、たくさんの郷土史好きの皆さんに出会えたことが喜びでした。まるで修学旅行のように皆さんとても楽しんでおられるのがとても印象的。私たちが生きる故郷を知ることは、そこで生きることをより楽しくしてくれます。
※深滝純一さんは現在、井上五蔵、外山脩造、長谷川泰をテーマにした本を執筆中です!