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長谷川泰先生の胸像 [2010年07月20日(Tue)]

この胸像は、新組町お隣の学区、黒条地区で開業医を務められていた、織田さん宅に所蔵されたいました。
長岡新聞での西片正栄さんの連載を織田さんがご覧になられたのを切っ掛けに、長谷川泰を語る会のメンバーである、井上道弘さんのご紹介で巡り会う事ができました。



織田医院初代の織田冬一さんは、明治7年生まれ、長谷川泰が創設した「済生学舎」の卒業生です。
ご家族には泰先生を尊敬する言葉を残されています。
とても背が高く優しいお人柄で、往診の時には人力車に乗り、老眼鏡を掛け新聞を広げて移動する姿が、子どもたちにも大人気だったそうです。

胸像は済生学舎の卒業生に贈られたもののようです。
この石膏の胸像は、晩年の泰先生の写真と共に保管されていました。
胸像の裏には作家の名前が彫られていますが、牧野國助?でしょうか、判然としませんが、湯島天神にあった銅像の作家、武石弘三郎とは違う方のようです。
城主と同じ牧野姓という事は、長岡藩縁の人物かもしれません。

また織田さんからは、長岡藩医の織田斎、その弟の池野汀の日記を元に、昭和42年に編纂された「戊辰戦争日記」を提供していただきました。
戊辰戦争には長谷川泰も軍医として従軍していますから、その時の様子がまた一つ分かると思われます。

織田さん、貴重な資料をありがとうございました。
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