長谷川泰翁像の建立が発起 [2011年08月10日(Wed)]
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来年、平成24年で没後100年を迎える長谷川泰先生。
その功績を讃えるべく、先生の全身を象った銅像を、子どもたちの明るい声溢れ緑多き生地「新組地区」に建立する計画が発起されました。 ![]() 峰村哲也さんのスケッチ(あの湯島天神の銅像を元にされています) 銅像の制作者は、長岡市在住の峰村哲也さんです。 作歴を見ておわかり頂けるように、良寛・河井継之助ら越後の先人に学んだ長谷川泰先生の心を表現するには、二人と居ない素晴らしい作家さんです。 峰村さんは、東京の日本医科大学を訊ねるなどして、既に長谷川泰の精神を探りながら制作に入られています。 (大正5年建立、湯島天神の長谷川泰翁像の作者は、現在の長岡市中之島町長呂出身の武石弘三郎です。詩人・彫刻家の高村光太郎の友人でした。) <峰村哲也さん作歴> 昭和31年生、東京芸大大学院博士課程終了。 「良寛さん遊ぼ」(西大畑公園) 「河井継之助像」(河井継之助記念館) 「生きる−母子像」(長岡戦災記念館) 以下に、銅像建立の趣意書の文面を転載させて頂きます。 各方面の名士・有志に発起人として名を連ねて頂けたことに、長谷川泰先生の功績の大きさと、この銅像建立の意味の大切さが表れています。 <長谷川泰先生像建立の趣意書> 日本の医学の父ともいわれ、長岡が生んだ偉人、長谷川泰先生没後百年を期に、先生の概略を述べ遺徳を偲びたいと思います。 長谷川泰先生の家は、代々医学者としての家柄であり、泰先生も、幕藩時代に江戸医学所に学び、医師になった時に、戊辰戦争が始まり、長岡藩の軍医として従軍し、負傷者や多くの住民達の救済に当たった。 戊辰戦争終了後、東京に戻り、東京医学校々長を始め、数々の医学校々長を歴任した後、済生学舎(現在の日本医科大学)を開設し、医学生の教育に情熱を燃やし、野口英世博士や吉岡彌生先生ら、多数の有名医学者を輩出した。政界においては、伝染病対策として、政府に請願し、日本で初めての下水道法を制定させ、北里柴三郎博士の研究成果を逸早く認めると、伝染病研究所開設の強力な支援者となった。前記の偉業に対し、大正五年に湯島天神の境内に長谷川泰像が建立されたが、太平洋戦争の最中に徴収され、現在に至っている。長谷川泰先生の心底にあった、「広く民衆を救う」 という済生救民の心情が、同意の若者を育てたものと思われる。 この度、特に長岡市民の皆様や、医学界の方々より、先生の出生地に像を建立したいと日々に切望する声が大きくなりましたので、多くの人々にこの偉業を永く伝承して頂きたく、ここに趣意書を作成し、末永く遺徳を偲ぶ糧にしたいと願うものであります。 発起人代表 新潟県議会議員 星野伊佐夫 発起人 長岡商工会議所会頭 丸山智 発起人 長岡医師会々長 太田裕 発起人 中央綜合病院々長 吉川明 発起人 長岡管工事組合長 室橋一司 発起人 郷土史研究家 稲川明雄 発起人 燕市長善館研究家 吉田勝 発起人 新潟県生活衛生同業組合連合会々長 小林弘昌 発起人 長谷川泰を語る会代表 恩田利平太 <主管>郷土の偉人長谷川泰を語る会 新潟県長岡市新組町5331-1 電話0258-24-3123(愛輪商事内/事務局) 長谷川泰を語る会としても、地元新組地区の住人、長岡市民を始め、長谷川泰先生を慕う多くの皆さんから、建立資金の寄付のご協力をお願いしています。 口数や額は定めておりません。どんなにささやかなものであっても、その温かいお気持ちをできるだけたくさん集めたいと願っています。 【寄付金の振込口座】 ゆうちょ銀行 00510-9-84951 加入者名 長谷川泰を語る会 長岡市内の各コミュニティセンターでは、銅像建立のチラシと趣意書、寄付金の払込票を配布されるように用意が進められておりますので、準備が整いましたらまたご連絡いたします。 |





