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【泰先生メモ03】湯島天神の銅像 [2010年04月24日(Sat)]

済生学舎の跡地にほど近い、東京の湯島天神の裏に建立されていた長谷川泰の銅像。



明治45年に泰先生が亡くなると、その功績を後世に遺す声が上がりました。
元号は移り、大正5年4月5月の良く晴れた空と桜の花のもと、長谷川泰翁を慕う人々が湯島天神に集いました。神社の境内に長谷川泰翁の功績を讃えるべく銅像が除幕されたのです。
その銅像は、生前お気に入りの羽織袴姿で医学書を片手にした、高さ170cmにもなる堂々たる座像でした。
像はさらに巨大な台座に乗せられ、湯島天神の間近にあった済生学舎の方向を見据えるようであったとされます。

済生学舎初期からの同志であり、銅像建造を指揮した同郷人の石黒宇宙治は後に語ります。
“泰先生は死後に銅像を造られる事を望んだでしょうか?判断に迷います。私は先生の性格を考えるとおそらく反対されたと思います。しかし、済生学舎の出身者たちは日本社会に貢献した功績を永久に伝えるために建造を決定しました。”
自己顕示の苦手なその性格が知られていながら、全国3千人を超える教師・出身者から多額の寄附が集まったというところに長谷川泰校長の偉大さがあります。


昭和に入り日本が第二次世界大戦に突入すると、甲子園にあった外山脩造の像(泰の幼馴染)や全国の多くのモニュメントがそうなったように、長谷川泰の銅像も残念ながら軍備の材料として徴集されてしまいました。
残されていた台座部分も、近年撤去されたそうです。
「長谷川泰先生に親しむ集い」で講師をお願いした西片正栄さんは、「台座だけでも、なんとかして故郷に移してさしあげるべきでした」と語られます。
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