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チーム3ミニッツは、日本をより元気にするために、1日3分間「ありがとう」を考えていこうという活動をしています。私たちは、チーム3ミニッツを通じ、明るい社会を創造し、未来の子どもたちの元気な社会をサポートしていきます。

「ありがとうのはがき」の応募方法など、詳しくはチーム3ミニッツのホームページをご覧下さい。 

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明大ベンチャー企業論 [2008年07月04日(Fri)]
昨日、「明治大学ベンチャー企業論」の講義に潜り込ませてもらった。そこで、若い人たちからのパワーをもらった。

講師は、久米信行さん。「ブログ道」などの著作で知られるIT業界のご意見番だ。

この講座では、ブログを活用しながら起業論を学ぶ。その講義内容は、明大ベンチャー企業論ブログをご覧いただきたいが、その講義を受けながら、私がいま行っている「チーム3ミニッツ」にも通じるものが多くあると思った。

この日の講義は、学生たちが経営者会報ブログ・オフ会に参加した後に、どのようにフォローをしたか、するべきかという人間関係論が主であった。それは、「企画(人間)の回転性による効果測定論」でもあった。

話は突然変わるが、水も空気もタダでなくなった時代である。現代は、ペットボトルの水を買うことが普通のことになったが、こんな状況になるとは20年前には誰も想像をしていなかった。

私たちは、直接的に空気に金を払っていない。だから、空気はタダだと思っているが、CO2削減のために企業は設備投資を行い、それは原価に組み入れられている。政府も、その削減のために税金を使っているが、その出資に対し誰もクレームをつけることをしない。つまり、私たちは間接的に空気に金を払っているのである。

金で空気や水を買う時代になったのは、それらの循環サイクルが壊れたためだ。

今日の明大での久米講師の授業内容も、人間の循環サイクルを形成するために、必要なメソッドとは何かというものであったが、そこに、人の循環を円滑にするためのソフトがあった。

私が「チーム3ミニッツ」をスタートしたのも、「ありがとう」の循環がなくなってきたと思ったからだが、これも、地球の環境破壊や昨日の久米講座の「人の循環論」と同じフィールドにある。

チーム3ミニッツは、「ありがとう」が循環する社会を再構築するためにスタートをしたことは多くの方が知っている。

明大の久米講義も、経営者会報ブログ・オフ会に出た学生が、オフ会後にブログ独自のコミュニケーション・ツールを使いこなしていない、という内容であった。ここに、ご縁の輪が高揚するための対応の大切さが見える。

人は出会うことで縁が始まると思っているが、縁には「増上縁」と「不浄縁」がある。「増上縁」とは、出会いにより心の循環が生まれそれが大きくなっていく「縁」である。「不浄縁」とは、出会いがあっても、「縁」の循環が少なくその「縁」が遠のいていき、やがて消滅していく「縁」である。

人も、企画も、社会も、循環をすることで活性化していくが、若いころから多くの経営者と出会い、そのハートを感じ、その「縁」を循環させる機会を持つ学生は幸せである。心が循環をすることで、「増上縁」が育まれていくことを早くから知ることは、今後の人生の宝になるからだ。

そんな講座に参加できたことで、昨日は若いパワーを吸収できたのだが、これは私にとっても、新鮮な経験となった。

久米さんとは、その講座が終わった後にすぐに別れた。次の打ち合わせを、錦糸町の東武ホテル・レバント東京で行うことになっていたからだ。

お茶の水から錦糸町まで、電車で10分ほどで着くが、このホテルの15階にチェックインし、カーテンを開けると東京の夜景が飛び込んできた。その中に、大きなネオンサインが、ここはワシの城だというように輝いていた。



そのネオンには、「KUME」という文字が光っていた。そのビルは、久米さんが代表をつとめる久米繊維工業ビルに掲げられているものである。それを眼下に眺めながら、久米さんとは「縁」があるな、と感じいっている私がいた。

その打ち合わせが終わったのが深夜2時すぎである。それからメールをチェックすると、明大の学生たちからのメールが飛び込んできた。それを見た私は、新しい「縁」の循環が始まったと確信した。メールをくれた学生たちのブログをひととおり見ると、なかなか新鮮である。

廣瀬勝也さんのブログ http://blog.canpan.info/creative/
大石絵美莉さんのブログ http://blog.canpan.info/emiri/category_1/
松尾英一さんのブログ http://blog.canpan.info/nagoya/
明治大学村田ゼミナール幹事長 久保耕大さんのブログ 
http://blog.canpan.info/kattenicm/

若いということは、新鮮な水を吸収できる知力と体力を持っていることだが、そんな彼らとこれからも循環していきたいと思う。

この世代に、素晴らしき世界を歩んでもらうために、彼らの循環の差し水になりながら、社会の中で循環の潤い水を飲ませていただきたいと感じている。

最後になったが、明治大学村田潔教授、久米信行講師、未来を歩む若い彼らに感謝である。(多謝)

Posted by チーム3ミニッツ at 12:43 | チーム3ミニッツ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(2)
「食育」と牛肉偽装について 1 [2008年07月01日(Tue)]
「食育」と牛肉偽装について


岐阜県養老町の食肉卸販売業「丸明」(吉田明一社長)が、等級の低い肉を岐阜のブランド和牛「飛騨牛」として販売していた。

またまた、食品偽装である。

これらの行為をする企業は食品市場から退場してもらわねばならない。このような業者はまだ多くあると予想できるが、この偽装の背景を知ることで、私たちも反省しなければならないことが、多々あるのではないかと思う。

これらの事件は、いまに始まったのではない。太古の昔から今日に至るまで、多くの食品偽装が行われてきた歴史が世界にはある。ひと昔前と比べれば、現代は食品偽装が少なくなったといえるが、いつの時代も、自己の利益だけを求めるヤカラが多いのもまた事実である。

かつて、魚は鮮魚店で買い、肉は精肉店で買うことが当たり前だった。その時代は、対面販売が主で、消費者は店員の顔と商品を見ながら、あそこはよいものを売っている、という判断することが普通のことだった。だから、店主もお客に満足してもらう努力を怠ることを忘れなかった。

対面販売により、消費者は肉や魚の善し悪しを学ぶことができた。また、料理の仕方を店員に聞くこともできた。そこに、店がお客を育て、お客が店を育てるというコミュニケーションがあった。その時代には、消費者にも店主にも「目利き」と「良心」があった。

しかし近年、スーパーの大型化が始まり、対面販売で魚や肉を買うことが少なくなった。その傾向は、バブル景気以降に著しくなり、いまや対面販売で肉や魚を買うことは、まれなこととなってしまった。

肉や魚を売る店の顔が見えなくなった時代は、その生産者や仕入れ会社が全国展開を始めた時期でもあった。

私たちは、店頭での食の学びの機会をなくした結果、顔が見えない食品関係者に、偽装に走る機会を与えた、ということもできる。

食の偽装を取り締まるために、日本農林規格(JAS法)があるのだが、その法律に頼りすぎると、食品衛生法上では問題にならないのに、JAS違反で摘発されるケースが今後増大することもある。

食の安全とは、食品を安全に食べられることであるが、そこに適正な表示が伴うことで、初めて食の安全を語ることができる。しかしそれは、食品衛生法とは、別世界の法律であることを理解しておきたい。
Posted by チーム3ミニッツ at 18:20 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
「食育」と牛肉偽装について 2 [2008年07月01日(Tue)]
ブランド牛ってなに

私たちは、岐阜県の食肉卸販売業「丸明」が、等級の低い飛騨産の牛肉を偽装したことに怒っている。しかし、はたして本物の飛騨牛を見抜く力を持っているといえるのだろうか。

あなたが牛肉を買うとき、どのような判断をして購入をするかを、ここで質問したい。

下記から、あなたが牛肉を買うときの優先順位をあげて欲しい。
A ブランド・・・ 佐賀牛 松阪牛などのブランド
B 価格・・・ 肉の適正価格
C 見た目・・・ 肉の良し悪しを目で確認する
D 部位・・・ ロース、サーロイン、肩などの牛の部位

日本人の答えは、1位がブランド、2位が価格、3位が見た目である。4位の部位という答えはあまりない。

私たち日本人は、まずブランドを確認し、値段を見てから、最後に、肉質を見て買い物をしている。これが今日の日本の消費者の購買行動である。つまり、肉質を見る前に、ブランドを確認しているのである。

日本の牛は、霜降り肉で確かにうまいが、それは高級な肉であって、普段の家庭で料理に使うことはあまりない。しかし、消費者は、肉質とは関係ないブランドを見つめているのである。

肉食文化の海外では、1位は見た目で、ここで肉質を判断する。2位が価格で、それが適正か判断する。3位は部位で、その肉の特徴を吟味する。

海外では、日本で1位のブランドの回答がないのは、海外にはブランド牛はあまり存在しないのだから、当たり前である。

海外の消費者は、肉の部位をよく見るが、それは、部位の肉質により料理に使う肉が変わるからである。ここに農耕民族の我々との違いがある。

さて、今回の「飛騨牛」の偽装だが、その肉は確かに「飛騨産の肉」であった。しかし、それは偽装された牛肉であった。この表現の違いが、JAS法に触れるのである。

日本でこれほどブランド牛が騒がれたのは、アメリカのBSE問題と関連している。アメリカ牛との差別化を図るために、各地の生産者がブランド牛を立ち上げたからだ。

日本にはブランド牛が約300種いるが、各地のブランド牛の基準は国が定めたものではない。その土地独自の基準があり、それに合格すれば、地元のブランド牛として出荷することができる。

ブランド牛は、牛肉の格付けによって決まる。格付けは、「おいしさの目安」だが、それは日本食肉格付協会によって行われる。格付けの等級が高ければ値段も高く、おいしい牛肉といえる。

牛肉の格付けには2つの等級がある。1つは歩留まり等級、もう1つは肉質等級だ。歩留まり等級は、A、B、Cの3段階で、Aが最もよい肉となる。肉質等級は5、4、3、2、1の5段階に分かれているが、5が最もよい等級である。

実際の表示では、2つの等級を組み合わせてA−5、B−3などと表示をする。 最高ランクのA−5の牛肉は、ほぼ和牛だ。しかしそれは、総生産数の約15%しかなく、選び抜かれた牛だけが最高のランクとなる。

一般的に和牛はAクラスになることが多く、他の牛はBクラスに評価されることが多い。それは、和牛1頭から多くの肉を得ることができるからで、肉用牛として最適な牛であるといわれている。

しかし、先に書いたが、どの格付け以上の牛肉をブランド牛として認めるかは、地元の判断に任されているのが現状である。

ある地方では、等級の他に、牛を育てる地域を定めているため、道の手前の牛はブランド牛になるが、道の向こうで飼われている牛は、例えA−5の格付けをとっても、ブランド牛と認定されない。

今回の飛騨牛偽装事件では、等級の低い肉は「飛騨牛」として認められていなかった。だから、「飛騨産の牛」と表記されるべきであった。これが、等級偽装である。その肉は「飛騨牛」として認定されていないのだから、明らかにJAS法違反である。

北海道のミートホープ社の社長は、いまは刑務所に収監されているが、当初社長は「消費者が求めているものを生産してなにが悪い」と発言した。

その言葉は、消費者を馬鹿にした言葉であったが、ある意味で真実を語っているものでもあった。消費者は、その価格を支持し、偽のミンチ肉を見抜く力を持っていなかったからである。

日本の消費者は、ブランド牛肉を求めているが、その肉を前にすることで、味覚が惑わされ、おいしく感じる人種になった。その一例として、日本人はうまい牛肉を「この肉は軟らかくておいしい」と話すのである。

私たちは、肉の見た目を判断する力、「目利き」力を持つべきである。それを持つことで、安くてうまい肉を誰でもが手に入れることができるようになる。

食品偽装のニュースが多い時代は、その企業を非難する前に、自分たちの食の姿勢をあらためるよい機会である。

300種のブランド牛がある社会は、別の意味で、一部を除き「ブランド牛の価値がない」社会といえる。だから、消費者が牛肉を見る目がより大切になる。

いっそ、ブランド表示よりも、生産地と肉の等級を表示する方が、消費者には理解しやすいと思うのだが、それが実現すれば、安価でおいしい牛肉を食べる消費者の知恵を育てることになるのではと思う。

真の牛肉の味覚を、子どもたちに伝えていくことも、また大切な「食育」なのである。

Posted by チーム3ミニッツ at 18:12 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
福岡での残飯論争 [2008年06月16日(Mon)]
6月14日付の朝日新聞の報道によれば、
http://www.asahi.com/national/update/0613/SEB200806130015.html

福岡市教委が今年度から市立学校で給食の食べ残しの持ち帰りを禁じたところ、廃棄される残飯が昨年の残飯総数1383トンより、月に約9トン(年間約100トン)増えたことが分かったという。

これについて市議会では、「食育の点から大きな疑問。見直すべきでは」という意見が出たが、市には「衛生面の配慮なら仕方ない」「食べ残しを活用できないか」「ものを大切にする流れに反する」などの電話やメールが相次いでいるという。

これも本ブログで書いてきた、世界一の残飯王国の現象だが、新聞では、残った食物を持ち帰るか、捨てるかの論争として報道している。

「衛生面の配慮なら仕方ない」と「ものを大切にする流れに反する」は相反する論争のように見えるが、これは対立するものはない。

児童に食べ残した食物の量を見せながら、パン類など家庭に持ち帰ることができるものは児童に持たせる活動自体が、「食育」活動だからである。

市教委健康教育課の発表による、処理費に換算して4427万円分の食べ残しに食材費を足すと、6〜7000万円という金額になるのだろう。これが、11兆円の残飯を出す世界一の残飯排出国、日本の地方都市の景色である。

記事には、「市教委は、手つかずのパンなどを入れたゴミ袋が子どもの目に触れないよう、学校側に注意を求めている。食べ物を粗末にする意識を植えつけないための配慮だ」とあるが、この発想にも疑問がある。

手つかずのゴミ袋を子どもの目に触れないようにしていることは、「食べ物を粗末しないことは、残飯が少ない社会である」という教育を、教育委員会は拒否しているといえるからだ。

食事を大切にすることは、「食の食べ残しを少なくする」ことでもある。「ごちそうさま」「いただきます」の心を育む教育が、いま求められている「食育」ではないかと私は思う。それが育まれることで、地球に感謝する「ありがとう」の心が子どもたちに浸透していくのではと私は思う。
Posted by チーム3ミニッツ at 00:14 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
また日本で残飯を出す食習慣が始まった1 [2008年06月13日(Fri)]
三輪そうめんの老舗による賞味期限改ざん問題

中元商戦を目前に、三輪そうめんの老舗、奈良県桜井市の森井食品による賞味期限改ざん問題が発覚した。

今回も、「赤福」と同じJAS(日本農林規格)法違反である。JAS法は、農林水産省の管轄の法律だが、農水省は森井食品に「消費者をだます表示は許さない」と改善命令を出した。これを受けて、同社の森井社長が謝罪をしたことは報道されている通りだ。

これを受けて、全国乾麺協同組合連合会は、組合員に適正な表示を徹底するよう通達した。地元の三輪素麺工業協同組合も、農水省担当者を招いて講習会を開いたという。

今回も「食の安全」という宝刀が抜かれたのだが、農水省は「賞味期限などの表示は、消費者保護の立場から、ウソがあってはいけない」と厳しく指導している。

今回の事件は、平成13年から1年半の賞味期限で出荷した商品の返品ものを、商品の品質を確認したあとで賞味期限をさらに1年半に延ばしにして、再出荷していたことが発端だった。これは明らかにJAS法違反だ。

誤解の無いようにいっておかなければならないが、他のメーカーの多くは、返品されたそうめんの品質に問題がなくても廃棄処分をしているという。これは、消費者との信頼関係を保つための措置だが、しかしそれは、ゴミとして処理をされるという意味を持つ。また、家畜のエサや飲食店への値引き販売などにまわされることもあるという。

しかし、今後JAS法を厳守するなら、他のメーカーも行っている、飲食店向けの再販売も違法行為になってしまうことになる。


森井食品の社長は、「そうめんは古ければ古いほどおいしいという世界で育ってきた。食をめぐる不祥事を考えると、業界の常識は通じなかった」といっている。今後、森井食品は、返品された商品は品質に問題がなくても、ゴミとして処理をするほか家畜のエサにするという。

寒冷期に心を込めてつくられた日本の伝統保存食のそうめんは、これからおいしくいただける時期にはいるのに、ゴミとして捨てられていくのである。

何かが違うと思うのは、私だけではないと思うが、日本の代表的な保存食のそうめんは「古いほどよい」、という常識が通用しない時代が始まっている。

消費者保護を声高に農水省は話すが、そうめんは、保存食として日本の風土の中で発展した。そうめんは本来保存食で、「2、3年ものが一番おいしい」と確かにいわれてきたのだ。

そうめん業界は、平成7年3月に、そうめんの賞味期限を3年半とする独自の設定をした。しかし、ほとんどのメーカーは、お客の保存状態が悪いとカビがでる可能性があり不信感をまねくとして、賞味期限を1年半ほどにして出荷している。

Posted by チーム3ミニッツ at 23:01 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
また日本で残飯を出す食習慣が始まった2 [2008年06月13日(Fri)]
古いそうめんがなぜうまいのか

麺はシルクロードを通り日本に伝わった食だが、奈良時代に中国に派遣された遣隋使や遣唐使が、索餅(さくべい)、餛飩(こんとん)餺飥(はくたく)という麺を伝えたことから始まったと考えられている。

「索餅」は、形が「なった縄」に似ているので、和名を「无岐奈波(むぎなわ)」というが、中国では「索」は細い縄を意味し、餅(ビン)は小麦粉などを練り合わせた食品を意味している。

鎌倉時代に入ると新しい麺の製法が禅僧によってもたらされた。そうめんは、挽き臼で挽かれた粒子の細かい小麦粉だけで作る麺で、それが「索麺(そうめん)」の始まりといわれている。

そうめんは、冬の農閑期に小麦粉の生地に綿実油という油を塗ってつくる麺だ。植物油が塗られているのだから、油臭くてすぐに食べることはできない。この植物油は、「麺実油」というもので、文字通りTシャツなどに使われる綿の実から採る植物油だ。この油は、上品な風味とコクを持つ油で、一流の料亭などで使われているうまい油の代表格である。だから、そうめんを長年寝かせることや、夏の暑さに通すことで、油臭さが無くなり美味しく食べられる保存食になる。

そうめんを長年保存していると、色が変わる「褐変現象」が現れる。油が酸化するのだから、体にいいことはないというかもしれないが、そうめんの綿実油の酸化は「厄(やく)」というもので、これがうまさの秘密である。

冬に製造したそうめんは、長年寝かせることで、麺の水分や塩分が融和した状態になる。これが、麺をひきしめ、よりコシと風味を増してくれる。これが「厄」だが、「1年目厄」と「2年目厄」では、違った現象が起きるのがそうめんの特徴だ。これもそうめんのうまさの秘密である。

1年以上経過した素麺を「涸品素麺」とよび、1年を経過していない素麺を「新物」とよぶが、「涸品素麺」が「新物」よりコシがあってうまい。

そうめんは、現代風にいえば、アルデンテの時が一番うまい。この味をコンスタントに食したければ、3年もののそうめんを手に入れればよい。箱に「蔵囲」などと書かれている「涸品物素麺」と呼ばれるそうめんがそれだが、その箱に書かれたゆで方に沿ってつくると、コシのあるアルデンテ風の美味しいそうめんが味わえる。

かつて、3年物のそうめんは、「蔵囲」「土蔵枯らし」という名前で呼ばれ、高級なそうめんとして高い値段で取引されていた。だから、「3年もののそうめんはうまい」といわれたのである。

賞味期間が3年以上もある保存食のそうめんは、今では、1年半の賞味期間で表示され、売れ残ったそうめんは熟成する時間を拒否されて、ゴミとして捨てられていく。そこにも、「いただきます」「ごちそうさま」の「ありがとう」の言葉を見ることはない。

現代の消費者は、そうめんの賞味期間は1年半と思いつつある。その期間を超えたそうめんは、豚のエサになるかゴミとして処理されるしかないが、そこにも、世界一の11兆円の残飯を出す日本の食の背景がある。

Posted by チーム3ミニッツ at 23:00 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
チーム3ミニッツと「食の安全」1 [2008年05月20日(Tue)]
チーム3ミニッツと「食の安全」1

「ありがとう」の語源と「赤福」

「ありがとう」は、釈尊の語録形式を取る原始仏典のひとつである「法句経」の、「人の生を享くるは難く やがて死すべきもの いまいのちあるは 有り難し」が語源といわれている。

「いま生きている私たちは、数え切れない偶然と無数の先祖の計らいで生を受けて誕生したのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きよう」という経の教えがそこにある。

それが、「当たり前の事を当たり前と思わず、当たり前と思える事にも感謝の気持ちを表す言葉」として、「有り難し(ありがとう)」になった。

チーム3ミニッツでは、「ありがとう」を考える教材として、食をテーマにすることが多い。そのひとつが、食農教室なのだが、食事の挨拶の「いただきます」「ごちそうさま」の言葉を自然にいえることが、「ありがとう」を伝える素材として誰もが理解しやすいものだと考えている。

しかし、いまの日本で食の世界が怪しくなっている。北海道の食肉加工販売会社「ミートホープ」の牛肉ミンチ偽装事件。大阪の「船場吉兆」での牛肉表示偽装、客の食べ残した食材の使い回しなど話題に事欠かない。

これらの事件は、マスコミに大々的に報道されているが、「ミートホープ」や「船場吉兆」の事件は、食よりモラルの問題であって、ここで述べたい「食の安全」のテーマと一致しない。

ここであらためて「食の安全」を考えたいのだが、誤解を招くことを承知の上で語らせてもらえば、前記した企業は食中毒などを起こしてはいない。つまり、食に対するあまりにものモラル低さ(表示偽装や使い回しなど)が社会から糾弾を受けたのであり、「ミートホープ」に至っては、その態度の悪さが刑事罰を受ける要因になったといえる。

ここで取り上げたい会社は、「赤福」である。「赤福」事件は、JAS法違反が中心だが、この会社も、食中毒を起こしていない。

「赤福」事件を、あらためて見てみよう。

無期限の営業禁止処分を受けた「赤福」の不正は、二重の製造年月日をつけて販売した違反行為であった。その法的根拠は、「JAS(日本農林規格)法」違反だったが、同法が違反とした二重の製造年月日表示は、「食品衛生法」では問題ない、という解釈もあった。

「赤福」の包装紙には、「赤福本舗〇年〇月〇日謹製」の丸い印があり製造年月日を示していた。「赤福」は、配送車で運んだ商品が(店頭に置かず)工場に戻った段階で冷凍保存していた。

「赤福」は、戻った商品を解凍して再出荷したが、出荷時に最初の包み紙をはがし、再包装したその日を製造日とした刻印をあらたに打っていた。この二重の製造年月日表示は、「JAS法」違反にあたると農水省は認定したが、厚労省が所管する「食品衛生法」の立場から三重県は「赤福」の工場を調査した。しかし、製造年月日の2度づけと消費期限の更新は、「食品衛生法」上問題はないと当初見解を発表した。

「JAS法」と「食品衛生法」で判断が分かれたのは、どこまでを製造工程と見なすのかの、法的解釈がふたつあったからである。

「JAS法」では、1つの商品に製造日は2回ないから、1度目の製造年月日の印字がされた時に製造は終了したと考える。だから、「赤福」の二重の製造年月日表示は違法となる。

しかし、「食品衛生法」では、食品が安全に保たれているかが重要で、微生物試験や工場や配送車の温度管理などの生産管理が重視される。三重県は、最初の製造日と解凍された日を別にとらえることで、2つの製造年月日があったと判断した。結果、二度の製造年月日表示は「食品衛生法」違法ではないと当初判断した。 
                
ここで問題になっている、食品の製造年月日の表示義務は平成7年までの法律で、いまは表示義務はない。平成7年以降は、消費期限、または、賞味期限を商品に表示することが義務づけられた。いまの製造年月日は、消費期限や賞味期限の起点の日としての意味しかもたない。

「赤福」は、法的義務がない製造年月日を二重に表示したために、「JAS法」に抵触してしまった。製造日は問題ないとしていた「食品衛生法」上の解釈も、別の問題があることが分かり同法違反となった。

「赤福」は製造年月日という伝統にこだわったために、社会から糾弾を受けることになってしまった。

製造年月日を偽造したことで、「赤福」は社会から糾弾された。が、製造年月日を記載しなければならない、という法律は日本に存在していないことは理解していただけていると思う。この背景には、製造年月日を記載すると不利になる外国政府(企業)が、その撤廃圧力を政府にかけた経過がある。

「赤福」は、法的義務のない製造年月日を記載せずに、消費期限のみを表記していれば法的にも何の問題もなかった。

マスコミは製造年月日偽造と大きく書いたが、他の会社なら、「赤福」のような製造年月日を記載することなどはせずに、(冷蔵した商品を含めて)消費期限を表示して売りさばいていたはずである。

JR東海パッセンジャーの弁当事件も、自社が規定した消費限度時間を超過したものを販売していていたことで、マスコミに糾弾された。しかし、それを自ら公表するなどの広報体制をとったので、「赤福」ほどのダメージを受けることはなかった。
Posted by チーム3ミニッツ at 02:56 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
チーム3ミニッツと「食の安全」2 [2008年05月20日(Tue)]
チーム3ミニッツと「食の安全」2

消費期限と賞味期限

消費期限は目安として5日以内に傷む食料品を指し、賞味期限は食品として安全に食べられる期間を表している。

消費・賞味期限の記載は、食品製造会社が任意でつけるもので、その期限を決める法的基準はない。強アルカリ・強酸性食品は、実際には10年以上の賞味期限があるものが多いが、それでは消費者にイメージが悪いということで、正規の期間でなく1年以内にする企業も多い。

食品内容の記載は、原材料の多い順から表示することが義務づけられている。また、原産国表示は、消費者利益を優先する趣旨で義務づけられているが、その取り扱いは複雑で、ここで詳しく書くことは難解すぎる。

「赤福」の原材料で、一番多いのが砂糖だったが、大豆を一番目に表記していた。これは明らかに違法である。

「赤福」は、冷凍保存した後に蒸した商品を出荷したことで、社会から非難を受けたが、その結果、「赤福」は工場から冷蔵設備を撤去したと発表した。

冷蔵した「赤福」を再出荷したのはけしからん、とマスコミは書くが、私を含め冷蔵した「赤福」の方が味はまろやかになるという人は多い。

冷蔵食品には、細菌は繁殖しない。冷蔵保存されるアイスクリームやシャーベットには細菌は繁殖しないので、「食の安全」が保証されている。だから、消費期限を表示する義務はない。

また、「赤福」は売れ残ったあんこを再利用していたとマスコミは非難した。しかし、それもお門違いである。

「船場吉兆」のように、お客に出したものを使い回しにすることは、商人のモラルに反する行為だから糾弾されて当然といえる。しかし、「食品衛生法」上の違法行為でない、お客の手に渡る前の商品を再利用することが、「食の安全」に触れるというなら、残ったあんこはゴミ(残飯)として処理するしかない。

「赤福」の行為を、エコロジスト的にいえば、それは地球環境に優しいことだといえる。「赤福」のあんこ再利用をマスコミが非難する姿勢が、後に書く、世界一の残飯を出す日本の間違った消費者意識を助長する要因になっているともいえる。
Posted by チーム3ミニッツ at 02:55 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
チーム3ミニッツと「食の安全」3 [2008年05月20日(Tue)]
チーム3ミニッツと「食の安全」3

「食の安全」報道にはミスリードが多い

「赤福」の製造年月日偽造などの告発は、昨年夏に伊勢保険所に情報がもたらされたことから始まった。それは内部告発だといわれている。その後、農水省や三重県が、9月に2回、10月1回、本社工場などに立ち入り調査を実施したが、「赤福」は、これを公表しなかった。

その後、読売新聞のスクープで社会に知られるようになったが、記者会見で事実に反する「店頭に並んだ商品を回収した事実はない」と発表するなどの対応の悪さから、マスコミの格好の餌食となってしまった。

私が述べたい、現代日本の「食の安全」の重要なキーワードがここに隠されている。それは、@内部告発によって社会に知られた A自ら記者発表をしなかった Bマスコミの餌食になったである。

AとBは「食の安全」と直接の関係性を持たない。つまり、マスコミ対応、危機管理のミスで、マスコミの餌食になったという事実である。

「赤福」がしっかりと危機管理をしていたら、食の安全を無視した会社のイメージはこれほどまでにならなかったのは事実であろう。つまり、会社広報のテクニカルの問題が、「食の安全」にすり替えられてしまったのである。

@の内部告発についてだが、これも現代社会との関係性があるように私には思えてならない。極端な例だが、テレビで某コメンテーターが、「私は昔から『赤福』は食べない。なぜなら、赤福を手で作っているのを見たから。私はそんなものは食べない」といっていたことにあきれたことがあったが、このような意識の人が「赤福」に入ったら、きっと内部告発をするのだろうと思う。

これが、現代社会に内在する正義という名の「食の安全」のひとつである。私は、ここで内部告発を否定しているのではない。雪印乳業のように国民の健康を無視する企業は告発され淘汰されるべきだが、日本の食を間違った正義で括りすぎることが、日本人の食を逆に危うくしていると思うのである。

「食の安全」のもっとも卑劣なものは、「中国毒餃子」事件だが、これによりスーパーの冷凍餃子は売れなくなった。が、街の中華料理屋では餃子の注文が増えたそうだ。冷凍餃子を買わない主婦は、手作りの餃子を作り始めたという。

街の中華屋の餃子は、冷凍保存されている物もあるし、生であれば、餃子の皮を素手で包む姿を見て客は納得する。これは、今回のマスコミ報道と対比される景色だが、同時に、手作りの食が尊ばれた時代の家庭風景でもある。

「食の安全」を語るとき、日本のスタンダードが、果たして世界で通用するのか疑問を挟む人は少ない。

日本人は、危険な中国食品を買わなくなったが、逆に世界では、日本に食品を売らない、売りたくない国も多い。そのひとつがベトナムだが、日本の基準に合わせる食品を作るのなら、他の国向けに生産をした方が効率がよいから、日本をマーケットにしないのである。だからといって、中国の毒餃子のような劣悪な商品をその地で生産しているわけではない。
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チーム3ミニッツと「食の安全」4 [2008年05月20日(Tue)]
チーム3ミニッツと「食の安全」4

日本の食事情

日本の食料自給率は39%である。この国は、食材を輸入しなければ国民は餓えてしまう地である。しかし、日本人は、食料が毎日食べられることを当たり前に思っている。

フードマイレージは、食料が食卓に届くまでにどれほど燃料を使ったかを示す数値で、遠方から運ばれた食品ほど、フードマイレージは高くなる。また、温室栽培などで、燃料を炊いて温度調整をする作物にも、フードマイレージが適用される。フードマイレージが高い国は、地球環境に負荷をかける国であるという意味をこの言葉は持っている。

日本人の主食の米の自給率は高い。食糧危機になっても、米だけは備蓄されているので心配はないが、食料を輸入に頼る日本は、インフレや輸出国の食料輸出制限などに弱い国といえる。国力はGNPや軍備で図ることができるが、食料を止められたら日本は自滅の道を歩むのである。

では、日本の農業従事者はいまどうなっているかといえば、まことに心細い状態である。近年、農業の法人化が叫ばれることが多いが、それはいままでの農業従事者のイメージを脱皮するものである。

農林水産統計によれば、平成16年1月1日現在の販売農家数は216万1千戸で、前年に比べ4万4千戸(2.0%)減少した。主業(専業)農家が43万4千戸、準主業農家が51万2千戸、副業的農家が121万6千戸で、前年に比べそれぞれ1万4千戸(3.1%)、1万6千戸(3.2%)、1万3千戸(1.1%)減少している。

つまり、日本の専業農業は43万4千戸しかなく、農家全体数216万2千戸の20%しかない。

本年初頭に騒がれた1枚の農業ポスターがある。それは、農水省の東北農政局が作成したもので、そこに、こんなコピーが書かれていた。


「米の作りすぎは、もったいない!」 
「米の過剰作づけは、資源のムダづかいです」

Jcastテレビウウォッチは、下記のようにこれを報道した。

東北地方ではポスター絡みの騒ぎがよく起るようだ。「セクハラか、ワイセツか」で話題を集めた「蘇民祭」ポスターに続いて、今度は東北農政局が40万円かけて3万枚つくったポスターが問題になっている。

「米の作りすぎは、もったいない! 米の過剰作付けは、資源のムダづかいです」と謳ったポスターに、東北の農業団体が激しく反発し、配布の撤回を求めたのである。

佐藤長右衛門・東北農団連会長は「40数年間、米作りをしてきたけど、農政局にタテついたことはない。しかし今回、国産米の生産を減らすために『資源のムダづかい』という過激な表現をしたことは許せない」と怒りを隠さない。

これに対して農政局の言い分は、「過剰気味の米の生産量を減らして、自給率の低い大豆、小麦へと生産調整を図ってほしい。水田農地を有効に活用してほしい。資源と表現したわけですが、水田ですね。今の水田のつかい方はムダづかいではないですか、と訴えた」(田中宏樹企画調整室長)

スタジオ陣も農政局に噛みつく。

森永卓郎「安いお米をもっと食べて自給率を上げるのが本筋。米を粉にすればメンもケーキもパンも作れる」

萩谷麻衣子「水田を減らしても、全部が大豆、小麦につながるわけじゃない」

鳥越俊太郎「日本の農家は米作りで成り立っている。農業の基本だ。余ったらODAの現物支給として、世界中の飢餓地帯に配ればいい。お米作りは食料自給率を保つ最後の生命線だ。それを減らすのは農政の基本精神に反する。ハラたつ」

農業専門記者を目指したというだけあって、鳥越の言は熱っぽかった。
農政局は、今のところ撤去の予定はない、という。

日本の農家は、国の農政に翻弄されてきた。幾度の減反や転作などが繰り返され、農家は効率よい産業ではないというイメージを国民に与えた。

いま農家は、老人世帯が多いが、その家族が帰郷して農業をするといえば、こんな会話が交わされる。

「こんな田舎に帰ってきたら、まともな教育が子どもにできない。だから、帰ってきては駄目だ。まして、まともに食べていこうと思うなら、都会でサラリーマンをした方が、安定した生活ができるに決まっている。帰郷して農家をすることは無謀な考えだから、都会で生活を続けるべきだ」

この言葉は特殊なものではなく、一般的な農家で自然に聞かれる会話だ。そこに、日本の農家の「失われた誇り」がある。農家をここまでにした責任は、国やそれと連動する団体にあるといっても過言ではない。
Posted by チーム3ミニッツ at 02:49 | ありがとうと食 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)