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まち、商店街

今高齢化・人口減少の時代を迎え全国のまちや商店街は、特に地方都市の中心市街地や大都市でも近隣型、地域型と呼ばれる商店街は疲弊が激しい。かって都市の顔と呼ばれていたが見るもない中心市街地や商店街が増えてきた。それは、地域や都市そのモノが疲弊しているからに他ならない。それに追い討ちをかけるように郊外に大型店が出店している。全国の商店街やまちづくり団体は懸命にこれらに対処しようとしています。これらの取り組みを紹介してゆきたいと思います。


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阿佐ヶ谷わがふるさと館 [2008年09月29日(Mon)]
阿佐ヶ谷わがふるさと館
杉並区の阿佐谷商店街振興組合(パールセンター)に「阿佐ヶ谷わがふるさと館」が開館した。ファサードには阿佐谷七夕まつりをイメージした竹林と、月を仰ぎ見るかぐや姫が描かれている。
 同ふるさと館は、2階建ての旧商店街会館を4階建てと建替えた。都の地域連携型モデル商店街事業の指定を受けており、阿佐谷地域の16町会と14商店街からなる「マイタウン阿佐谷協議会」との連携事業と位置づけられている。総事業費約1億円は、都と区が3分の1ずつを助成している。マイタウン阿佐谷協議会の小川勝久会長(阿佐谷商店街相談役)は、我々の元気なうちに何か残したかったと。
 館内1階には、ベビーシート付きの車椅子対応型トイレと休憩スペースを整備した。また入口カウンターでは毎週土・日に、まちの案内人「まちのコンシェルジュ」が常駐して情報提供をおこなう。商店街を網羅した防犯カメラ管理ステーションやAED(自動体外式除細動器)も配備しており、買い物空間としての安全・安心を支えている。
 地域交流拠点としての、2階ギャラリーコーナーは、市民団体の作品発表の場として使用。1階では地元15の障害者団体と連携しての、手作り品のワゴンセール「コミュニティショップ」障害者も年間50日程度開催予定である。生活教室を企画中、館内での店と消費者との出会いの場としたいと考えている。
 1階奥には商店街事務所を設置、4階にはマイタウン阿佐谷協議会や「阿佐谷ジャズストリート」の事務局も入居。まちづくりの活動拠点を提供することで、既存地域イベントの継承やスムーズな運営を支援する。館内での新イベントとしては、季節ごとの「ふるさと祭り」も企画を進めている。これは2階ギャラリースペースを市民の芸術作品発表の場として活用するもので、阿佐谷の新たな風物詩として定着させたい考えである。地元市民との連携に加えて、現在6割超を占める商店街のテナント店が、まちづくりに参画するきっかけにもつなげたい。



入口のアーチ


商店街通路


ねじめ正一のお店がある


ふるさと館の玄関
第18回 品川宿場祭り [2008年09月28日(Sun)]
第18回 品川宿場祭り 9月28日(日)開催
今日、宿場まつりの様子を拝見してきました。その前に、品川区商連の綱島副会長にお話しをお伺いすることができました。

写真は、28日の様子です。










立石 仲見世商店街 3 [2008年09月26日(Fri)]
立石 仲見世商店街 3
関東大震災後、工業化も進み、大正3年(1914年)には現在の渋江公園の位置で、千種セルロイド工場が創業を始めた。これがこの地域における玩具産業の走りとなり、その後多くのセルロイド工場が立石、四つ木地域に集まってきた。現在でも、玩具産業の割合が高いのがこの地域の工業の特色の一つとなっている。更に中川の水が利用できたことから染色工業なども発達した。
昭和7年(1932年)10月の東京市への編入、葛飾区の誕生により本田町は近隣の4町2村と合併した。そしてそれまで本田町内にあった各地域(以前の大字)はそれぞれ本田立石町、本田梅田町などと「本田」を冠して呼ばれるようになった。区役所は当初、現在の立石図書館付近にあった旧本田町役場を使用していたが、昭和12年(1937年)、本田中原町の現在のかつしかシンフォニーヒルズの位置に新築移転した。この区庁舎は昭和20年(1945年)2月の空襲で一旦消失、戦後同地に再建されている。
立石の戦後復興は早く、ほどなく駅周辺に闇市が自然発生的に現れた。これが現在の仲見世商店街につながっている。仲見世内には、行列ができる飲み屋があり、休日であれば午後には行列が出来ていて、遠方から京成で訪れる人たちもいる。また低湿地帯に属する立石地域は過去幾度もの洪水に見舞われる地域でもあった。その災害史の中でよく知られるのが昭和22年(1947年)に起こったカスリーン台風による被害であり、このときは町域の多くが水没した。
昭和35年(1960年)になると、京成電鉄が都営地下鉄1号線(現・浅草線)との相互直通運転を開始し、念願であった浅草や国鉄駅(浅草橋駅)への鉄道での直接アクセスが可能になった。また、翌昭和36年(1961年)には区内初のスーパーマーケットであるイトーヨーカドー(立石店)がオープンしている。










立石 駅前商店街 2 [2008年09月25日(Thu)]
立石 駅前商店街 2
地名としての立石は、室町時代の1398年(応永5年)に記された「下総国葛西御厨注文」に初めて登場する。江戸時代、西葛西領のうち主に新田開発前から田畑のあった立石地域は隣接する向島地域とともに本田筋に区分されていた。この時代、この地域は米のほかにウリ(本田ウリ)やその他の農産物を江戸に供給する農村地帯であった。現在は、荒川で分けられているが、荒川は大正後期から昭和初期にかけて開削されたものである。
明治に入り、行政上、東京府南葛飾郡に属することとなる。明治22年(1889年)4月、町村制施行によって江戸時代より続く立石村、梅田村、渋江村、四ツ木村などの約十カ村を合わせて南葛飾郡立石村が生まれた。このとき合併前の村名は大字名として存続した。その後立石村は明治23年(1890年)、本田村と改称し、昭和3年(1928年)3月1日には町制を施行し本田町となった。
一方、近代化に伴い、それまでの農村地帯は急激に変貌を遂げていった。大正元年(1912年)、京成電気軌道が開業し、京成立石駅が開設されたことで、東京市部との移動が容易になった。また、大正12年(1923年)9月に起こった関東大震災では本所、深川、浅草などから発生した罹災民が比較的距離の近い本田村へ流入し、以降地域は急速に人口増加・宅地化した。なお現在でも、奥戸街道沿いなど方形に整然と区画整理されている地域がみられるが、これらは大正11年(1922年)頃から昭和初年にかけて、宅地化を目的に行われた耕地整理事業の産物である。



駅前商店街のアーチ(奥戸街道から)


駅前商店街の通路


商店街の老舗


駅前商店街のアーチ(駅側から)
立石 仲見世 1 [2008年09月24日(Wed)]
立石 仲見世 1
立石(たていし)は東京都葛飾区の中西部にある地名である。現在の住居表示では立石一丁目から立石八丁目まであり、人口は21,761人(2005年3月1日現在)。葛飾区役所の所在地でもあり(立石五丁目13番1号)、葛飾区の行政の中心地を担っている。南には東立石が隣接する。また、京成押上線の京成立石駅を中心とした生活エリアをまとめて立石または京成立石と呼ぶこともある。
地名は立石八丁目37番17号にある立石様(道しるべ)という石に由来する。地域の特徴は、昭和時代の情緒ある下町の町並み(レトロ感覚の商店街、町工場など)が現在でも残っている。町内にある唯一の鉄道駅が京成押上線の京成立石駅である。駅前は現在、レトロな雰囲気の立石仲見世商店街の他、立石駅前通り商店街、スーパーマーケット(イトーヨーカドー立石店)などがひしめいているが、主たる道路は奥戸街道であるが、周辺の路地は車の通行が困難なほど狭く、駐車スペースもほとんどない。このため、狭いエリア内で車の進入を気にせずに買い物できる気軽さがある。一方、建物の老朽化などの観点より京成押上線が高架化されるのに合わせた駅前の大規模再開発も検討されている。
町内の商業エリアとしてはこのほか区役所周辺(長崎屋ホームピック・サミット・コジマなど)、奥戸街道沿いなどがあるが、住民は近隣の青砥駅周辺の商店やイトーヨーカドー四つ木店などもよく利用している。



立石駅構内の立石様(道しるべ)の碑


駅前の踏み切り


駅前商店街のアーチ


仲見世のアーチ(奥戸街道から)
荒川線の日 記念イベント [2008年09月23日(Tue)]
荒川線の日 記念イベント
東京都交通局では、10月1日の「荒川線の日」を記念して、地元の方々のご協力をいただいてイベントを開催する。荒川線の魅力を多くの方に知っていただけるよう、車庫見学会や車両撮影会に加えて、きっず電車やクイズ大会など小さいお子様が楽しめる企画も多数用意している。都電はかつて都内の交通機関の主役でしたが、自動車の普及とともにほとんどの路線が廃止された。その中で最後まで残った2路線を一本化して、昭和49年(1974)年10月1日に都電荒川線となったのを記念して、その日を「荒川線の日」とした。
1.日 時
 平成19年9月29日(土)10時から15時まで [注]雨天実施(荒天時は中止)
2.会 場
 荒川電車営業所(都電荒川線「荒川車庫前」下車すぐ)
 [注会場には駐車場・駐輪場なし。ご来場の際は都電荒川線をご利用くださいとのこと。
3.イベント内容
(1)車庫見学会
 普段は見ることができない都電の車庫を見学することができる。
 ≪第1回≫10:30〜11:30、≪第2回≫13:30〜14:30、各定員60名
 [注]各回開始30分前に抽選を行う。
(2)きっず電車の運行
 小学生以下を対象に貸し切り車両を運行、車内ではクイズなどを実施する。
第1回、11:00〜12:00、第2回、12:30〜13:30、第3回、14:00〜15:00、各定員30名
 [注]各回開始30分前に抽選を行う。
(3)オリジナル方向幕記念撮影会
 都電車両正面のLED方向幕に、お客様の好きな文字を表示して、カメラマンが記念撮影、写真は後日郵送する。)
 定員20名。事前の申し込みが必要。下
(4)荒川線横断ウルトラクイズ in 都電おもいで広場
 小学校低学年以下のお子様を対象として都電に関するクイズ大会を行う。優勝者には素敵な賞品を差し上げる。 ≪第1回≫10:00〜11:00、≪第2回≫12:00〜13:00
 [注]満員の場合は入場を制限。
(5)都電車両撮影会
 今年5月に導入したレトロデザインの新型車両9000形の撮影会。(10:00〜14:00)
などなど
お問い合わせ先
 荒川区観光振興課(03-3802-4689)
 北区産業振興課(03-5390-1234)







第18回 品川宿場祭り [2008年09月22日(Mon)]
第18回 品川宿場祭り 9月27日(土)・28日(日)開催
 品川宿は、江戸からでる諸街道のうち最も重要視された東海道の1番目の宿場である。宿場祭りは、歴史に育まれた伝統と、貴重な文化遺産を守り、品川の域活性化につながるイベントを通し多くの人々により品川を理解して頂き、より一層の発展を目指して開催される。毎年約6万人の人手がある。日時:9月27日(土)・28日(日) 場所:旧東海道品川宿 京浜急行「新馬場駅」5分。東海道八ッ山橋から青物横丁まで、多数の露店が立ち並び、街道では各種イベント(芝居や品川寺の火渡り荒行)が行われる。最終日には、八ッ山から時代扮装パレード開始、白バイ隊を先頭に、マーチングバンド、交通少年団、町から参加の江戸風俗行列、人力車・カゴ、阿波踊りなど約1,000人がパレードする。各地区に人力車やカゴが置かれ、乗って記念の撮影ができる。

http://japan-city.com/sina/htmb/maci4.html    


北品川の案内板


江戸風に修景された地下道の建物


東海道のバナー


エコスポット


子育て支援の施設
元町SS会 秋のチャーミングセール [2008年09月19日(Fri)]
元町SS会 秋のチャーミングセール
元町SS会は、みなとみらい線元町・中華街駅とJR石川町駅の間に位置し、長さ600bの商店街に約230店舗が軒を並べている。
元町の歴史は、安政6年(1859年)の横浜開港に始まる。明治初期には、山手地区に外国人が大勢住むようになり、元町通りが関内の業務地を結ぶ外国人の通り道となった。外国人相手の商店が自然発生的に増え、大正初期には、エキゾチックな街が形成された。
 昭和20年5月の横浜大空襲で元町は焼土化した。終戦ともに進駐軍が大挙横浜に上陸し、開港当時の状況が再現された。長年、外国人相手の商売のノウハウを培ってきた元町商人は、駐留軍人とその家族を相手にすることで地域商業の復興を図った。さらに進駐軍との折衝を行うため昭和21年(1946年)6月、元町SS会を設立。昭和25年(1950年)2月には協同組合元町SS会と名称変更して法人化した。駐留軍人とその家族の需要に支えられた商店街は、昭和27年の朝鮮戦争の勃発による米軍基地接収解除で、顧客の大半を占めていた駐留軍人とその家族の移動により顧客を失う。そこで元町の伝統を生かし、若者を対象に新しい街づくりを開始させた。
1970年代後半から80年代前半には、一大ファッションブーム「ハマトラ」を巻き起こし、年間800万人以上が訪れる商店街である。
 元町SS会の最大の魅力は、年間通して行なわれるイベントにある。9月20日(土)から行なわれる通常販売商品を破格な値段で販売する秋のチャーミングセールには毎年45万人が訪れる。








足軽長屋 重要文化財 [2008年09月18日(Thu)]
足軽長屋 重要文化財
清水園にそって流れる新発田川をへだてた路筋に、藩政時代の足軽が居住した茅葺平屋建の八軒長屋がある。かつて、この城下には、会津街道に向かって幾棟かの足軽長屋があったが、現存しているのは、この一棟だけで、天保13年(1842)の棟札がみられる。当時は「北長屋」と称していて、全国的にも例をみない遺構として昭和44年に重要文化財に指定された。






新発田藩下屋敷 清水園 [2008年09月17日(Wed)]
新発田藩下屋敷 清水園
開園 年中無休
4月〜11月 午前9時〜午後5時まで、12月〜3月 午前9時〜午後4時30分まで
新潟県の越後蒲原平野の北部に、城下町新発田がある。初代藩主溝口秀勝が加賀大聖寺から6万石(後には10万石)で、慶長3年(1598)この地に入封した。万治元年(1658)、三代藩主の時に曹洞宗の高徳寺を近郊に移して、この地を御用地となし、下屋敷が造営された。約4600坪(約15200平方メートル)の敷地に御殿が建立されたのは、棟札によれば寛文6年(1666)4月で、その後新発田城の炎上などがあった。4代重雄の時、幕府の庭方であった縣宗知を招いて庭園の築造が行われ、その完成をみたのは元禄年間の頃といわれている。このあたり一帯が清水谷とよばれていたので、下屋敷は「清水谷御殿」と呼ばれていた。
 明治戊辰の役では、数千に及ぶ領民が藩主直正の出兵を止めるよう訴願したので、直正はやむなく、この清水谷御殿に駕を留め新発田藩は戦火を免れたという歴史的な舞台となった所でもある。
やがて、昭和21年に北方文化博物館の管理となり、「清水園」と名づけられた。
近江八景をとり入れた京風の庭の中央に、草書体の「水」の字を描いた大泉池を配した廻遊式庭園は 春には萌える緑、初夏にはあやめ、やがて秋の紅葉、冬には静寂の白雪と、四季折々にその装いを変えて10万石大名の下屋敷にふさわしく、越後路から東北にかけて他に比を見ない名園といわれている。平成3年には「名勝清水谷庭園」として新潟県文化財に指定されている。










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