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まち、商店街

今高齢化・人口減少の時代を迎え全国のまちや商店街は、特に地方都市の中心市街地や大都市でも近隣型、地域型と呼ばれる商店街は疲弊が激しい。かって都市の顔と呼ばれていたが見るもない中心市街地や商店街が増えてきた。それは、地域や都市そのモノが疲弊しているからに他ならない。それに追い討ちをかけるように郊外に大型店が出店している。全国の商店街やまちづくり団体は懸命にこれらに対処しようとしています。これらの取り組みを紹介してゆきたいと思います。


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第22回 神田すずらんまつり [2008年05月30日(Fri)]
第22回 神田すずらんまつり
2008年5月31日(土)11:00〜17:00
開催場所:神保町神田すずらん通り
「5円の木づかい箸」を無償で提供

目玉イベント:
 ・スピードくじで「すずらんの鉢植」または「すずらんエコバック」プレゼント!
 ・音楽とダンスで楽しもう!
 ・北海道美瑛町物産販売!
 ・等身大絵本を作ろう!
 ・手作りを楽しもう!
 ・美味しさもりだくさん!
 ・すずらん放送局生中継!
 ・懐かしの紙芝居/ハイテンションじゃんけん!
 ・洋書バーゲンセール!

今年は天気が少し心配


今年のすずらん祭りのポスター




下2枚は昨年の様子

第58回岩本町・東神田ファミリーバザール [2008年05月29日(Thu)]
第58回岩本町・東神田ファミリーバザール
日 時:平成20年5月30日(金)〜6月1日(日)
    平成20年6月6日(金)〜6月8日(日) 全6日間 (小雨決行)
時 間:10:00〜18:00  各店舗により異なる。
場 所:秋葉原駅・岩本町駅周辺
ファミリーバザールとは、初めは繊維の町”岩本町”に働いている社員やその家族、その又知り合いの人々を対象に、小さい範囲での家族的な売り出しだった。岩本町・東神田の地域は古く江戸後期の頃より、今日に至るまで繊維製品の卸業を中心として栄えてきた場所である。全国のデパートや専門店に時代・時代の流行の商品を卸しウィンドーを飾ってきた、が、やがて大量生産のもと一部流行遅れの品物や、規格外れの商品が数多く出て、それらを格安の値段で販売した。その事が評判となり年々その規模を拡大し、今では一年に2度、街の活性化も兼ね大々的に行なわれるようになった。

参照先:http://r26.smp.ne.jp/u/No/19474/44B17B89_140/vol58event01.html








写真は昨年、12月開催時の様子
ガレリア竹町商店街 [2008年05月27日(Tue)]
ガレリア竹町商店街
大分市中心街の駅前からの中央通りから、東西方向に延びて、オアシスひろば21に至る商店街で、途中でセントポルタ中央町と交差する。
平成16年に百周年を迎えた大分県で最も古い商店街である。昭和4年には大分県で初めてのアスファルト舗装が施された。昭和20年7月には空襲により全焼したが、戦後、アーケードやカラー舗装が完成し、大分県を代表する商店街として賑わった。平成6年3月、開閉式ドームを備える新アーケードや磁器タイル貼りのカラー舗装が完成し、これに合わせて名称も竹町通商店街からガレリア竹町に改めた。アーケードの規模 全長349m 幅8m「ガレリア」は、イタリア語で「屋根付き商店街」という意味である。
中央通り側入口からセントポルタ中央町との交差点までの部分は、広場になっており、1993年の日本・ポルトガル友好450周年を記念して造られた全長8mを越えるポルトガル帆船のモニュメントが設置されている。この部分は高さ18m、広場の幅24mで、アーケードとしては断面の大きさ日本一を誇る。また、セントポルタ中央町との交差部は開閉式ドームとなっており、広場はドーム広場と呼ばれる。
商店街の舗道はシックな磁器タイルで舗装され、高さ18mの竹町ドーム広場には、日本・ポルトガル友好450周年(平成5年)を記念して造られた「ポルトガル帆船モニュメント」があり、大航海時代を思い出させます。
「ガレリア」という言葉はイタリア語で「屋根付き商店街」という意味です。行き交う人々が集い、情報交換を行い、幸せを分かち合う場所をイメージして名付けられた。


竹町商店街のアーチ


帆船のモニュメント


ドーム広場から中央通の望む


ドーム広場から西、商店街の通りを望む
セントポルタ中央町商店街 [2008年05月26日(Mon)]
セントポルタ中央町商店街
大分は古くからヨーロッパと日本の接点の役割を果たしてきた。異文化へ続く港口であり、遠来の異邦人にとっては、日本の玄関口の一つであった。なかでもポルトガルとの絆は深く、今日までその関係はつづいている。
セントポルタ中央町商店の通りは、大分市中心街の通りである中央通りの西側に並行して南北に延び、JR九州大分駅前ロータリーから、大分市役所や大分県庁前を通る昭和通りへと続いている。商店街には、この通りに交差する東西方向の3本の通りも含まれる。このうち、トキハと若草公園を結ぶ通りは、メインの通りとの交差部には開閉式ドームが設けられている。その南北に位置する残る2本の京町通り及び笠和通りは、1998年4月に新たに商店街に編入されたものである。また、ガレリア竹町も最も北側でセントポルタ中央町のメインの通りと東西方向に交差しており、セントポルタ中央町及びガレリア竹町を経由することで、大分駅からほとんど濡れることなくオアシスひろば21まで行くことができる。
セントポルタ中央町では、1996年3月、コンセプトに「街は舞台だ!」を掲げ、大規模なリニューアルが完成し、その際に名称を中央町商店街(振)からセントポルタ中央町に改めた。このリニューアルでは、アーケードを架け替えて交差部に開閉式ドームを設け、通りは天然石タイルによるカラー舗装とした。また、インテリジェントアーケードと銘打ち、180インチ16面マルチビジョンを設置するとともに、当時はまだ一般家庭への普及が進んでいなかったインターネット端末を通りの各所に配置した。
愛称「セントポルタ」とは、セントポルタ中央町のセントポルタ(centporta)は、ポルトガル語で「中央」を意味するセントロ(centro)と「港」、「門」を意味するポルト(porto)からの造語で、大分市の中心にあり、その入口とのなる場所をイメージして付けられた。


セントポルタの入り口のアーチ


セントポルタの通り


セントポルタの通り


交差部分のオブジェ
2、砂町町銀座商店街と小名木川貨物操車場跡地再開発 [2008年05月24日(Sat)]
2、砂町町銀座商店街と小名木川貨物操車場跡地再開発
中活法では東京などの3大都市圏は対象外なっているため、元々工場が多く大きな商業施設・マンション等のための跡地確保が容易な江東区ではマンションの建設ラッシュで、小中学校の受け入れが困難になるとして建設自粛を申し入れたことがあった。
商業施設等の建設に関して、最近では証券化が行なわれるようになってきた。イトー・ヨーカドーでは、建設した商業施設を証券化して資産の流動化を図ると最近の日経新聞に掲載されていたが、要するに建設に要した資金が資産化したものを証券化により現金化し投資資金を回収しようとするものである。大型投資に対するリスクの軽減である。資産の流動化とは企業から見れば手元資金の流動化の向上ではあるが、建設した商業施設がオープン後、赤字経営に陥れば即座に撤退と言うことになる。企業の論理であり、現在地方都市などで建設年数がたち、施設の老朽化が進んだところでは、閉店・撤退が見受けられる。
「粋都」の建設でも街づくりを全面に出しているが、その実態はどうであろうか。街づくりという言葉には、公共性・公益性が感じられなかなか抗うすることが出来ない側面が見受けられる。そもそもデペロッパーにとって街づくりとは何なのか。企業継続のための行為であれば街づくりという言葉自体が陳腐に聞こえてくる。地域の状況や歴史を無視し、まるっきり関係ないものを経済的論理で、営利目的で建設して、まちづくりといえるのだろうか。


商業棟の建設現場から見たマンション


入居が終わったマンション


砂銀の通り
1、砂町町銀座商店街と小名木川貨物操車場跡地再開発 [2008年05月23日(Fri)]
1、砂町町銀座商店街と小名木川貨物操車場跡地再開発
砂町銀座商店街は江東区の砂町地区にあり、明治通りと丸八通りの間、街区約670bの通りに生鮮3品店や惣菜店など最寄品店を中心に約180の店舗が軒を並べている。たびたびテレビ番組に取り上げられるなどその知名度は高いが、昨今は他の商店街と同様に大手チェーン店の進出が相次いでいる。
同商店街のある江東区には、東西に走るJR総武線、都営地下鉄新宿線、東京メトロ東西線がある。南北を結び、平成12年には都営地下鉄大江戸線が、平成15年には半蔵門線が全面開通した。交通の便の良さから近年、高層マンションの建設ラッシュが続き江東区の人口は急激に増加している。この人口増加を背景に、平成12年にイオン(南砂)、イトー・ヨーカドー(木場)、平成15年にはイオン(東雲)を核とする商業施設が相次いでオープンした。そして、3年後には小名木川貨物駅跡地(10万平米)に大型商業施設(延べ床11万平米)がオープン予定であったが、北京オリンピックのため鋼材が値上がり当初の予定価格では建設会社が採算割れとなる。木場のイトー・ヨーカドーの売上が好調になりヨーカドーの中でも優良店となるなど建設の見直しが図られた。しかし、約500世帯の住居棟が平成20年3月完成、入居が開始された。商業・住宅一帯となった開発のため、商業棟だけ建設しないわけには行かないため、商業施設(延べ床3万平米)で建設が始まる予定である。ただし、イトー・ヨーカドー本体の建設ではなくヨーカドーショッピングセンター?
という話である。
「あなたの知らない新しい東京が目を覚まします。
商業・住宅・公園が一体となった再開発エリア内に“住宅専用街区”誕生。
工業地帯での再開発が多く見られる湾岸エリアではなく、都心内陸エリアにおける約10万m2もの広大なスケールの開発は、本プロジェクトならではの大きな価値です。
 商・住・遊をテーマにした開発計画では、大型ショッピング施設、フィットネス施設、医療施設、提供公園といった暮らしを彩る風景が続々と生まれます。
 これにより、マンションを一歩出るだけで、毎日のお買い物や健康づくり、公園での憩いのひとときを気軽に楽しめる日常を実現できます。
この街がずっと待ち望んでいた、新たなランドマーク・プロジェクトの誕生です。」
(長谷工「粋都」のインターネット広告より)


砂町銀座商店街のアーチ


毎年、8月初旬に行なわれる「七夕まつり」の様子


工事用のフェンス越しに見えるマンション
鍋屋横丁商店街 [2008年05月22日(Thu)]
鍋屋横丁商店街
鍋屋横丁(なべやよこちょう)は、元禄年間に商店街の入り口付近にあった茶屋「鍋屋」が地名の由来と言われている、古くから庶民に親しまれてきた商店街である。鍋屋横丁は、東京都中野区の本町・中央の両地域を南北に走る商店街で、鍋横(なべよこ)という通称で親しまれている。「鍋屋横丁交差点」で青梅街道(本町通)と交差しており、近くには東京地下鉄丸ノ内線新中野駅がある。
 江戸時代前期に現在の杉並区堀ノ内にある妙法寺に向かう参拝道(参道)として栄えた。江戸から青梅街道を経由して妙法寺に向かう際、現在の鍋屋横丁交差点を左折する時、その目印となったのが「鍋屋」という名の茶店であったことから、「鍋屋の横丁」とこの名がついた。明治時代以後も中野駅と青梅街道を結ぶ通りとして栄えたが、地下鉄開通とこれに伴う都電杉並線の廃止などで、やや衰微したものの、現在でも同区を代表する商店街の一つであり、マンション建設など再開発が進められている。
青梅街道沿いの中継地として発展してきた鍋横は、江戸中期から妙法寺への参詣が盛んになるにつれ、数々の商店が軒をならべるようになった。昭和初期にはすでにこの鍋横通りは商店街としての形態を整え、区内でも最大規模の繁華街となっていた。その後、戦前戦後を通じ、他区からも多くの消費者が訪れ大変な賑わいを呈していいた。任意団体であった「鍋横商店会」を昭和50年に「鍋横商店街振興組合」に改組した。 
商店街のイベントに「なべよこ夏まつり」がある。この祭りは毎年八月の第一土日に開催され、鍋横通りを歩行者天国とし地域住民の方々とのコミュニティー広場として開放している。昼間はフリーマーケット・各種パフォーマンス・ちびっこ広場等の数々のイベントが催される。夜間には阿波踊りの連を招き、大迫力の踊りを繰り広げる。


商店街通り


レトロな街路灯


レトロな(古くなった)アーケード


お題目石、妙法寺への道標
巣鴨地蔵通り商店街 [2008年05月21日(Wed)]
巣鴨地蔵通り商店街
「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきた。巣鴨地蔵通りは江戸時代、中山道の出発地点江戸日本橋からの最初の休憩所が江戸六地蔵尊の眞性寺から猿田彦大神の巣鴨庚申塚の間に点在していたため、町並みが作られた。そして、明治24年には、とげぬき地蔵尊高岩寺が上野から巣鴨へ移転し、現在、巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、信仰の空間と一体となった町として発展し、商業の街・信仰の街として年間約八百万人、縁日には約六万人の参詣と買い物の人々で賑わいを見せている。
とげぬき地蔵尊高岩寺  日時:5月24日(土)
 とげぬき地蔵尊高岩寺の大祭は年3回、「正五九」の24日、つまり1月24日、5月24日、9月24日である。春盛りの5月24日の大祭には多く信者で堂内はもとより、地蔵通りまで一杯の善男善女で賑わう。大祭は午前10時30分と午後2時30分の2回、本堂で大法要が行われる。来馬住職以下20人位の僧侶による「大般若経」の転読は圧巻である。
平成15年、巣鴨駅前から地蔵通り入口までの区間を対象とした「国道17号巣鴨地区歩行空間整備計画」が策定され平成16年度から事業に着手した。また豊島区では、平成16年度に「巣鴨・大塚地区中心市街地活性化計画」の策定に着手している。この度の道路拡幅事業は既存の道路を旧中山道(地蔵通り)側に約9メートルも拡幅する計画であり、商店街や高岩寺境内の面積などが大きく減少し、公衆便所が維持できなくなるなど直接的影響があり、街の景観や来訪者の流動についても大きな影響を与えることが予測される。


巣鴨地蔵通り商店街のアーチ、北の庚申塚方面から


とげぬき地蔵の縁日


拡幅中の白山通り(17号)


巣鴨駅前通り商店街の拡幅された白山通り
薬師あいロード商店街 [2008年05月20日(Tue)]
薬師あいロード商店街
薬師あいロード商店街は、中野駅北口からサンモール商店街、ブロードウェーを抜け早稲田通りを少し、東に向ったところに入り口がある。アーチをくぐれば、中野区では5本の指に入るという日用品を中心とする店舗数約130店の大型商店街「薬師あいロード商店街」である。12年前、共に50年以上の歴史を持つ「薬師銀座振興組合」と「薬師銀座振興会」が、合同で事業を行なう事が多かったことから一つとなった商店街である。
 薬師あいロードは、商店街の近くには新井薬師があったことから、新井薬師の門前町として栄えた。商店街名も新井薬師にちなんでいる。お薬師さまが目の神様だったことから、目の'eye(あい)'とラブの'愛'をとって公募により「薬師あいロード商店街」名付けられた。
 以前は門前町として参拝するお客さんで賑わっていましたが、若者が多いサンモール商店街、ブロードウェーとは対照的に地元の人を顧客とするややのどかな商店街になっている。昭和の面影を残しながらの新しいお店も増えている商店街。
 中野駅を降り、サンモール商店街、ブロードウェーを抜け、薬師あいロード商店街から新井薬師へ、そこから、レトロな片側アーケードがある新井薬師駅商店会を経て西武線新井薬師前駅まで、約1時間ほどの道のり


アイロードのアーチ、薬師の字の下に目をかたちどった時計


あめ屋さん、お店の中で作りながら販売


商店街通り


昭和の面影?今では珍しい金物店と履き物屋
中野北口昭和新道商店街 [2008年05月19日(Mon)]
中野北口昭和新道商店街
中野駅北口から東へ、サンモールと平行して走る昭和新道にある中野北口昭和新道商店街では平成16年7月中ごろ、同商店街の単独企画として小規模に実施したエイサーイベントだったが、平成18年度東京商店街グランプリのイベント部門グランプリ受賞後、中野サンモール商店街など区商連第7ブロックや中野サンプラザなどと連携して中野サンプラザ前広場や駅周辺で「中野チャンプルーフェスタ」を開催、今では夏の慣例イベントとなった。商店街通りではエイサー隊など20団体が練り歩くほか、野外ステージでは沖縄バンドや島唄、中野打越太鼓なども登場する。沖縄の観光物産展や沖縄料理の屋台なども繰り広げられて、駅周辺を南国ムードいっぱいに演出する。出演する側のエイサー隊もあまりの応募の多さに、断らなければならないほどになっている。
 エイサーはお盆の先祖供養のための念仏踊りが由来。中野駅周辺でも連日その練習風景を見かけるなど、その華やかな群舞の魅力は若者を中心に根強い人気がある。
 








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