牡丹町笑栄商店街 14日は餅つき・フリーマーケット[2008年12月13日(Sat)]
牡丹町笑栄商店街 14日は餅つき・フリーマーケット
牡丹町の町名の由来は、江戸時代この付近に旧徳島藩・松平阿波守の別邸があり、その屋敷内や周辺に牡丹の花を栽培する家が多かったところから「牡丹町」という町名がついたといわれている。下町人情の息づくこの町のメインストリートが牡丹町通りで、一昔前までは、深川八幡祭りの早朝に神輿が勢ぞろいして、ここから威勢良く出発していったところである。牡丹町の歴史をひもとくと「東海道四谷怪談」の作者として有名な四世鶴屋南北が晩年ここに住んでいた。(現・黒船橋付近)また東側に位置する平久橋のたもとには寛政3年の津波を記した「津波警告の碑」があり、同所には3月10日の空襲で亡くなった方々の「戦災者供養碑」もたてられている。
商店街の加盟店は55店舗、飲食店関係が増えている。14日の持ちつきは町会が主催、フリーマーケットは商店街が主催、当日は町会と商店街の合同イベントである。
牡丹町の町名の由来は、江戸時代この付近に旧徳島藩・松平阿波守の別邸があり、その屋敷内や周辺に牡丹の花を栽培する家が多かったところから「牡丹町」という町名がついたといわれている。下町人情の息づくこの町のメインストリートが牡丹町通りで、一昔前までは、深川八幡祭りの早朝に神輿が勢ぞろいして、ここから威勢良く出発していったところである。牡丹町の歴史をひもとくと「東海道四谷怪談」の作者として有名な四世鶴屋南北が晩年ここに住んでいた。(現・黒船橋付近)また東側に位置する平久橋のたもとには寛政3年の津波を記した「津波警告の碑」があり、同所には3月10日の空襲で亡くなった方々の「戦災者供養碑」もたてられている。
商店街の加盟店は55店舗、飲食店関係が増えている。14日の持ちつきは町会が主催、フリーマーケットは商店街が主催、当日は町会と商店街の合同イベントである。