長野ぱてぃお大門[2008年05月01日(Thu)]
長野ぱてぃお大門
○長野市大門町の歴史
大門町は、今から約1350年前に本田善光によって開かれた善光寺(国宝)の門前町とし
ての歴史を持つ。明治時代になり、国鉄長野駅が開業、近くに長野県庁や長野市役所がで
きたりした頃がこの町の繁栄のピークを迎える。その後、都市機能が郊外に拡散するにつ
れて大門町は静かになる。1998年(平成10年)に長野冬季オリンピック・パラリンピッ
ク競技大会が開催されると、長野市は世界中から注目を浴び、善光寺周辺の町は長野の顔
として再認識されるようになった。
○大門町南のまちづくり
善光寺の直前に位置する大門町上に対して、国道406号以南を大門町南と呼んでいる。経済成長期に建てられた中層ビルも散見されますが、土蔵づくりや大正時代の洋風建築(中澤時計本店は登録文化財)も残っている。オリンピック開催時に、表参道の電線が全面地中化され、歩道を覆っていたアーケードが撤去され、沿道の建物が剥き出しになった。これを機に、住民自身による景観整備を軸にしたまちづくりが動き始めた。
○「ぱてぃお大門』構想
平成13年6月、動機は、空店舗の一つが売却されるという情報でした。ビルを建てられたら取り返しがつかない。悩んだ挙句、住民有志の組織である(有)長野大門会館がこの土地を取得した。正面の屋根のスカイラインを途切れさせたくないと考えたのは、景観について学んだ成果であった。この土地の奥には土蔵があり、隣接地には使用されていない数棟の土蔵や三階建の楼閣があった。取得した土地を中庭(パティオ)化して隣接地まで回遊できるようにすれば、これまで誰も見たことのない空間が再現すると考えた時に、「ぱてぃお大門」の構想が形づくられた。
中央通から見たパティオ大門の街並み
パティオ大門の案内板
パティオ大門の中庭(パティオ)
○長野市大門町の歴史
大門町は、今から約1350年前に本田善光によって開かれた善光寺(国宝)の門前町とし
ての歴史を持つ。明治時代になり、国鉄長野駅が開業、近くに長野県庁や長野市役所がで
きたりした頃がこの町の繁栄のピークを迎える。その後、都市機能が郊外に拡散するにつ
れて大門町は静かになる。1998年(平成10年)に長野冬季オリンピック・パラリンピッ
ク競技大会が開催されると、長野市は世界中から注目を浴び、善光寺周辺の町は長野の顔
として再認識されるようになった。
○大門町南のまちづくり
善光寺の直前に位置する大門町上に対して、国道406号以南を大門町南と呼んでいる。経済成長期に建てられた中層ビルも散見されますが、土蔵づくりや大正時代の洋風建築(中澤時計本店は登録文化財)も残っている。オリンピック開催時に、表参道の電線が全面地中化され、歩道を覆っていたアーケードが撤去され、沿道の建物が剥き出しになった。これを機に、住民自身による景観整備を軸にしたまちづくりが動き始めた。
○「ぱてぃお大門』構想
平成13年6月、動機は、空店舗の一つが売却されるという情報でした。ビルを建てられたら取り返しがつかない。悩んだ挙句、住民有志の組織である(有)長野大門会館がこの土地を取得した。正面の屋根のスカイラインを途切れさせたくないと考えたのは、景観について学んだ成果であった。この土地の奥には土蔵があり、隣接地には使用されていない数棟の土蔵や三階建の楼閣があった。取得した土地を中庭(パティオ)化して隣接地まで回遊できるようにすれば、これまで誰も見たことのない空間が再現すると考えた時に、「ぱてぃお大門」の構想が形づくられた。
中央通から見たパティオ大門の街並み
パティオ大門の案内板
パティオ大門の中庭(パティオ)