お花見[2008年03月26日(Wed)]
お花見
お花見の最古の記録は「日本書紀」に登場します。八百十二年、嵯峨天皇が平安京(京都)で催した花宴が記録されています。また、古今和歌集(九百五年)に在原業平の桜の和歌が収められています。
現代のようなお花見の形になったのは江戸時代の初めです。幕府開設の記念に上野寛永寺に植えられた桜が見ごろになった千六百三十八年頃に花見が始まりましたが、徳川幕府の菩提寺のためお酒や鳴り物の持ち込みは禁止、夕方には解散になりました。その後、八代将軍吉宗が上野の状況を知り、庶民のためのお花見の名所を江戸近郊に造らせました。有名なのが飛鳥山、墨提、浅草観音裏、品川御殿山などです。江戸時代の桜は「里桜」が主流でしたが幕府の崩壊と共に消えました。現在、本州の大半を占める染井吉野は、染井霊園(豊島区)の近くの植木屋が江戸時代の後半に売り出した新種で瞬く間に本州一体に広がりました。しかし、寿命が長くても八十年と短命なため常に保護が必要です。
○江東区のお花見の場所
小名木川堰堤(常磐町・清澄町)、常磐町会花見3月30日(常磐一、二丁目)、亀戸緑道公園(亀戸六丁目)、大島緑道公園(大島三丁目)、南砂緑道公園(南砂二丁目)、仙台掘川公園(北砂六、七丁目)、辰巳の森緑道公園(辰巳二丁目)
○お花見ランキング:第一位千鳥ヶ淵。第二位上野恩寵公園。第三位飛鳥山公園。ちなみに墨田公園は八位、江東区はランキング外でした。
常磐町会の花見会
大横川のサクラ
お花見の最古の記録は「日本書紀」に登場します。八百十二年、嵯峨天皇が平安京(京都)で催した花宴が記録されています。また、古今和歌集(九百五年)に在原業平の桜の和歌が収められています。
現代のようなお花見の形になったのは江戸時代の初めです。幕府開設の記念に上野寛永寺に植えられた桜が見ごろになった千六百三十八年頃に花見が始まりましたが、徳川幕府の菩提寺のためお酒や鳴り物の持ち込みは禁止、夕方には解散になりました。その後、八代将軍吉宗が上野の状況を知り、庶民のためのお花見の名所を江戸近郊に造らせました。有名なのが飛鳥山、墨提、浅草観音裏、品川御殿山などです。江戸時代の桜は「里桜」が主流でしたが幕府の崩壊と共に消えました。現在、本州の大半を占める染井吉野は、染井霊園(豊島区)の近くの植木屋が江戸時代の後半に売り出した新種で瞬く間に本州一体に広がりました。しかし、寿命が長くても八十年と短命なため常に保護が必要です。
○江東区のお花見の場所
小名木川堰堤(常磐町・清澄町)、常磐町会花見3月30日(常磐一、二丁目)、亀戸緑道公園(亀戸六丁目)、大島緑道公園(大島三丁目)、南砂緑道公園(南砂二丁目)、仙台掘川公園(北砂六、七丁目)、辰巳の森緑道公園(辰巳二丁目)
○お花見ランキング:第一位千鳥ヶ淵。第二位上野恩寵公園。第三位飛鳥山公園。ちなみに墨田公園は八位、江東区はランキング外でした。
常磐町会の花見会
大横川のサクラ