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まち、商店街

今高齢化・人口減少の時代を迎え全国のまちや商店街は、特に地方都市の中心市街地や大都市でも近隣型、地域型と呼ばれる商店街は疲弊が激しい。かって都市の顔と呼ばれていたが見るもない中心市街地や商店街が増えてきた。それは、地域や都市そのモノが疲弊しているからに他ならない。それに追い討ちをかけるように郊外に大型店が出店している。全国の商店街やまちづくり団体は懸命にこれらに対処しようとしています。これらの取り組みを紹介してゆきたいと思います。


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柏市 [2017年11月29日(Wed)]
柏市 
千葉県の北西部に位置し隣接する市は、東に我孫子市・印西市、利根川を挟んで茨城県取手市・守谷市、南に鎌ヶ谷市・白井市、西に松戸市・流山市、北に野田市となっている。
鉄道は都心から放射状に常磐線及びつくばエクスプレスが、南北には東武アーバンパークライン が通っている。道路は東京・茨城方面への国道6号線や常磐自動車道、埼玉・千葉方面への国道16号線が通っており、首都圏の放射・環状両方向の交通幹線の交差部に位置する交通の要衝となっている。
 若者のお客様が多く土日で約4万人が訪れ、千葉県の商店街では一番の利用客を誇っている。常に一番を目指すという意味で二番街という名称にし、「柏で一番面白くてエキサイティングな商店街」がキャッチフレーズである。昭和48年より、雨にぬれないで買い物できるように全蓋型のアーケードを設置している。

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柳ケ瀬(やながせ)の繁華街 [2017年10月10日(Tue)]
柳ケ瀬(やながせ)の繁華街
柳ケ瀬は、岐阜県岐阜市にある中部地方有数の歓楽街・繁華街である。昭和期はかなりの活況を呈していたが、他の都市と同様、平成に入ってからは郊外型店舗の立地による中心街空洞化の波を受け、また、名鉄岐阜市内線の廃止等により、集客力が低迷している。
かつては大型商業施設が5店舗あったが、近年の相次ぐ大型ショッピングモールの開業や名古屋の大型商業施設との競合により4店舗が撤退したが、平成17年10月1日に柳ケ瀬唯一、市内唯一となった高島屋百貨店が開店以来の大規模リニューアルオープンをした。リニューアル後の業績は概ね好調となっている。
 平成23年4月にドン・キホーテ柳ケ瀬店が旧岐阜メルサ跡地にオープンしてからは、近年遠退いていた若年層の客足が戻りつつある。
 昭和30年代、全国でも有数の繁華街として知られ、通りをたくさんの人が埋め尽くした「柳ケ瀬商店街」。当時の面影を残す商店街は、今も若い人たちからも注目を集めているスポットである。老舗の和菓子屋や古くから愛される食堂などに加え、お洒落な飲食店や雑貨屋も続々とオープンしている。ライフスタイルマーケット「SUNDAY BUILDING MARKET」が開かれる毎月第3日曜日には遠方からも人々が集まり、商店街はいつにも増してにぎやかな活気に包まれている。
 岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会(柳商連)は、柳ケ瀬商店街の振興発展をサポートする組織として昭和52年に設立された。現在、7つの商店街振興組合と1つの任意商店会の計8つの連合体で構成され、総組合員数は約250軒を数えている。柳ケ瀬商店街は平成21年3月に「新・がんばる商店街77選」に選ばれた。

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きつねや 昭和22年創業  (東京都中央区築地4-9-12 築地場外) ホルモン丼850円、牛丼750円 [2017年09月07日(Thu)]
きつねや 昭和22年創業  (東京都中央区築地4-9-12 築地場外)
ホルモン丼850円、牛丼750円
 今日のランチは築地きつねやの牛丼を食べた。2年ほど前に創業された魚類の卸を行っている企業のご支援である。何か月か前に火事があり、そのすぐそばにきつねやがあった。
築地関係者・近くのサラリーマン・観光客から愛される超人気店で牛丼や肉どうふなどのメニューがあるが ダントツの1番人気はホルモン丼で注文から1分以内のお客のカウンター前に届く、それもそのはず、目の前にある大鍋で煮込んでいる。今日はその前に着席した。煮込んでもあまり風味が損なわれない八丁味噌を使用し、以上の4種類の具材を 長時間トロトロになるまで煮込むのである。50年以上継ぎ足し 肉のエキスと味噌の旨みが凝縮されたホルモン丼は甘めの味噌味がご飯に合う。ご飯かお酒と一緒の注文するのが「きつねや」の暗黙の掟らしい

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竜馬通り 高知55番街 [2016年05月10日(Tue)]
竜馬通り 高知55番街
 高知市追手筋1丁目8
 土佐電が走る通りから追手筋の通りに入ると高知の代表的な路地裏にして、通も虜にする、そんな奥深さがこの路地の魅力なのだそうだ。
 高知市の有名な路地裏といえば誰でもが「高知55番街」がピンとくる。追手筋から南へ進み柳町へ抜ける小路と、途中から西へ進む小路があり、三方から入ることができる十字型の路地で東がドンツキとなっている。1つの通りが50メートルほどの千鳥足にはちょうどよい長さである
高知駅から路面電車沿いに南に向かうと朝市が開催される大手門通りがある。その通りの中ほど高知市のど真ん中の歓楽街に昭和の面影を残した飲食街が健在している。
高知のしょん横ゴールデン的な路地にある飲み屋街で、55番街と呼ばれていて、なかなか奥が深い。割烹ありスペインバルあり焼き鳥屋ありバーありスナックあり他にもいろんなタイプの店がそろっていて通いがいのある横丁でアーチの上に申し訳ないように「竜馬通り」と小さな文字が見える。

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商店街のアーケード [2013年04月25日(Thu)]
商店街のアーケード
アーケード(英語: arcade)は、柱で支えられる連続したアーチ等を用いた通路や歩道、または一続きのアーチが覆う歩道等の道路を指す言葉である。日本では、商店街がこの形式を採用した「アーケード商店街」が1950年代以降全国各地に誕生した。人形町商店街のアーチは、1951年完成、ジュラルミンのアーケードであった。屋根が天井部を覆うアーケードは、後にショッピングモールへと発展した。
日本のアーケードは、地域の特性に応じた役割を果たすために設けられてきた。戦後、伝統的なアーケードを源流に、西洋のアーケードの影響を受けて、現在のアーケードが成立した。
庇下:道路に庇(ひさし)を延長した形状の片側式アーケード。町並みの景観を整備するために、江戸時代に江戸の町屋の前面に設けられた半私半公の空間で、幕末には商業空間としても利用される。雁木造:東北や北陸等の雪国の商店街等で、店の建物の軒下を連ねて積雪時の通路とした。共同日覆い:道路全面に屋根があるアーケードで、店舗・歩行者とも降水の影響を受けないから「全天候型アーケード」とも呼ばれる。日差しの強い西日本で昭和初期頃から、食品の保護と商品の日焼け防止のために設けられた。
アーケードは普段、その下を通ることが多く、上から見ることができない。
写真は、浅草松屋の7階から見た新仲見世のアーケードである

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大宮駅東口の商業集積 [2011年04月08日(Fri)]
大宮駅東口の商業集積
大宮駅東口の駅前通り(中央通り)から北に走る銀座通りと旧中山道の間の大門一丁目から宮町一丁目にすみれ小路、すずらん通り、さくら小路、ウエストサイドストリート、一番街通りがある。通りや小路の幅員は、一番街で4メートルほど、すみれ小路に至っては1メートル弱である。戦後の混乱期の闇市の後であり、区画整理はされていなく、通りや小路の名称の由来は一番街を除き不明である。ほとんどの店舗は、飲食店で構成されている。 
大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、江戸時代から発展してきた。明治18年(1885年)3月に、大宮駅が誕生し、中山道の宿場大宮宿が鉄道と製糸の町として生まれ変わった。戦前の大宮は鉄道と製糸の町と言われた。
 戦争の末期、昭和20年4月(1945年)に宮町一帯(大門の北)が空襲を受け、現在の銀座通りの北側および一番街周辺は焼け野原と化した。そのため、建物の強制疎開が始まって駅周辺の様相が一変した。 戦後、中央通り(駅前通り)の両側(大門・仲町)に、いわゆる「ヤミ市」ができ、昭和21年12月には「ストリート・ナンバーワン」の看板が宮町の両入口に掲げられ、のちの一番街商店街となった。現在のさくら小路やすずらん通りは、この時の闇市の通りの名残と思われる。昭和30年代に入ると好景気に町が賑わい、昭和39年の東京オリンピック以降の昭和40年代には大宮市の商圏は、大型店進出のラッシュを迎える。東口にも西武(現ロフト)や高島屋が進出する。
 現在の銀座通りは、昔川越新道と呼ばれていたが、通りの舗装と車歩道区分や銀座にちなみ柳の街路樹を植えたのをきっかけに銀座通りと名を変えた。後に駅東口から大栄橋までの300メートルのアーケードの大宮銀座通り商店街が誕生する。そのアーケードの現在ではない。


大宮1番街商店街


すみれ小路


すずらん通りのアーチ


すずらん通り、大宮アルジジィーヤの旗が


さくら通りのアーチ
中野駅北口の商業集積 [2011年04月02日(Sat)]
中野駅北口の商業集積
中野の発展は1889 年の新宿と立川を結ぶ甲武鉄道開通に伴う中野駅の設置に始まり、1896 年には陸軍基地の創設に端を発している。ターミナル駅新宿に直結した利便性により住宅化が進み、さらに軍人とその家族などが中野の住民として増えたことにより繁華街が発達した。
戦後、旧日本陸軍の土地に米軍が駐屯し駅前は米軍の物資の横流しもあり闇市が発達、当時は中央線沿線で最も発展した闇市と称された。この闇市が現在のサンモールなど中野駅北口一帯に広がる繁華街を生み出した。
 JR中野駅北口を降りるとサンモール商店街のアーケードが250メートほど続き、その東側に駅寄りから、東西に一番街、二番街、三番街、五番街、狸小路、白線通が、南北に新仲見世、南仲見世の飲食店を中心とした繁華街が続いている。戦前からの繁華街であるが、大戦では焼け野原となり戦後闇市が発達した。中野駅北口周辺は戦後区画整理が行われていないため、闇市時代のままの路地が残っている。一番街から五番街や仲見世の通り名は戦前のものと思われるが、白線通りは、戦後の名称と思われる。1957年4月の売春防止法施行後、もぐりで売春をするものも多く、赤線のプロでない素人売春に、白一色の麻雀牌の「白板」をかけたことに由来とするともいわれている。
戦後、多くの商店街や市場が消失した中で、住民の生活安定策として東京23区に美観商店会の設置が決定された。1948 年に中野北口美観商店会を名乗りそのまま現在にいたっている。サンモールとは1975 年に2回目のアーケードを作った際に決めた通称で、正式名称は今でも中野北口美観商店街。1回目のアーケードは1958 に完成していたがブロードウェイの影響を受けて作ったのが2回目、現在のアーケードは1998 年に完成した3 回目のものである。


サンモール商店街のアーケード


5番街の通り


狸通り


白線通り


2番街の通り
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