大宮駅東口の駅前通り(中央通り)から北に走る銀座通りと旧中山道の間の大門一丁目から宮町一丁目にすみれ小路、すずらん通り、さくら小路、ウエストサイドストリート、一番街通りがある。通りや小路の幅員は、一番街で4メートルほど、すみれ小路に至っては1メートル弱である。戦後の混乱期の闇市の後であり、区画整理はされていなく、通りや小路の名称の由来は一番街を除き不明である。ほとんどの店舗は、飲食店で構成されている。
大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、江戸時代から発展してきた。明治18年(1885年)3月に、大宮駅が誕生し、中山道の宿場大宮宿が鉄道と製糸の町として生まれ変わった。戦前の大宮は鉄道と製糸の町と言われた。
戦争の末期、昭和20年4月(1945年)に宮町一帯(大門の北)が空襲を受け、現在の銀座通りの北側および一番街周辺は焼け野原と化した。そのため、建物の強制疎開が始まって駅周辺の様相が一変した。 戦後、中央通り(駅前通り)の両側(大門・仲町)に、いわゆる「ヤミ市」ができ、昭和21年12月には「ストリート・ナンバーワン」の看板が宮町の両入口に掲げられ、のちの一番街商店街となった。現在のさくら小路やすずらん通りは、この時の闇市の通りの名残と思われる。昭和30年代に入ると好景気に町が賑わい、昭和39年の東京オリンピック以降の昭和40年代には大宮市の商圏は、大型店進出のラッシュを迎える。東口にも西武(現ロフト)や高島屋が進出する。
現在の銀座通りは、昔川越新道と呼ばれていたが、通りの舗装と車歩道区分や銀座にちなみ柳の街路樹を植えたのをきっかけに銀座通りと名を変えた。後に駅東口から大栄橋までの300メートルのアーケードの大宮銀座通り商店街が誕生する。そのアーケードの現在ではない。

大宮1番街商店街

すみれ小路

すずらん通りのアーチ

すずらん通り、大宮アルジジィーヤの旗が

さくら通りのアーチ





