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まち、商店街

今高齢化・人口減少の時代を迎え全国のまちや商店街は、特に地方都市の中心市街地や大都市でも近隣型、地域型と呼ばれる商店街は疲弊が激しい。かって都市の顔と呼ばれていたが見るもない中心市街地や商店街が増えてきた。それは、地域や都市そのモノが疲弊しているからに他ならない。それに追い討ちをかけるように郊外に大型店が出店している。全国の商店街やまちづくり団体は懸命にこれらに対処しようとしています。これらの取り組みを紹介してゆきたいと思います。


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洗足池(せんぞくいけ) [2017年10月05日(Thu)]
洗足池(せんぞくいけ)
 洗足池は、東京都大田区南千束に存在する池である。湧水池であり、流れ込む川はないが、付近一帯には農家が作物の洗い場として利用していた大小の湧水が多くあり、用水路を通して池に流れ込んでいた。洗足池の主要水源となる湧水は4か所あったとされ、現在は清水窪弁財天の涌水が残っている。今も水量が豊富で、浸透管を用いて洗足池に流れている。
北千束の清水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池のある公園である。江戸時代、歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を今も残していて、春はサクラ、秋には紅葉を見ることができる。生物は、冬は渡り鳥の楽園となり、夏には水辺を飛び交うトンボなどの姿も見られる。散策スポットとしては、池月橋、水生植物園のほか、歴史を伝えるものとして勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがある。

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鎌倉の出(だし)桁造り(げたづくり)の商店 [2013年02月10日(Sun)]
鎌倉の出(だし)桁造り(げたづくり)の商店
鎌倉の若宮大路で出(だし)桁造り(げたづくり)の商店を見た。特徴としては開口部が広いことである。
江戸時代から商業は発展、特に中期以降は、「出(だし)桁造り(げたづくり)」と言われる建築様式の商家が造られ、格式を誇る大店が、江戸時代の城下町の人口密集地の商業活動から多く現れた。
 明治時代の初めの日本の人口は、約4千万人で、その後、人口が増加するとともに、都市部に人口が集中し始め、多くの人たちの日常生活の物資を賄うため商業は、多くの都市(人口集中地域)で発展した。この頃の商家はいわゆる町屋造りが主で、格式にある大店は出(だし)桁造り(げたづくり)であった。
 大正12年に関東大震災が発生、多くの木造づくりの町屋は灰塵に帰した。この中から関東を中心に、防火対策や建築物の洋風化から看板建築の商店が多く生まれ、戦後の昭和30年から40年代にかけて主流となった。

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浅草観光文化センター [2011年08月24日(Wed)]
浅草観光文化センター
  浅草の新名所として、雷門の前に浅草観光文化センターの建設が進んでいる。デザインは「隈研吾」氏 高さは48メートルの10階建て、ガラス張りになるそうだ
あまり高いため、浅草寺を見下ろす形になり、寺からクレームが付いたそうだ。区議会でも
問題として取り上げられたが、建設が進んでいるところを見ると、クリアーされたのだろう。
スカイツリーと共に、観光の目玉なりそうだ。


建設中の建物


雷門と建物





仲見世と建物


建築表示
西浅草高層ビル問題  [2011年08月22日(Mon)]
西浅草高層ビル問題 
TX浅草駅から徒歩5分ほどの住宅・商業施設の混在した一角で藤和不動産・モリモトが計画、建設しているタワーマンションです。つくばTXが下を走る国際通り沿いではなく、かっぱ橋道具街の通りの間である。38階建て700戸程度の規模であり、約130メートルの高さは近接の浅草ビューホテルを抜いて台東区一の高さとなる。
また、浅草寺側から見ると五重塔、浅草ビューホテルそしてタワーマンションが見えるため浅草寺は反対している。景観を考えても観光地、浅草の景観を大いに損なう。
 建築主の藤和不動産は神楽坂に30何階かのマンションを建て地元から猛反対を受けたマンション業者でもある。
 今回の陳情書提出に至るまで、地元(極めて限定的な建設予定地周辺住民)においては、既存建物解体にかかる説明会(平成20年1月15日)がなされましたが、当該説明会では既存建物等解体後の新築計画の概要に関して、席上質問が多数なされたにもかかわらず新築計画に関しては一切説明はなされず、既存建物の解体が進められた。
 その後、地元に新築計画についての説明・合意形成などがないまま、唐突に任意の地元説明会(西浅草三丁目北部町会の範囲)が平成20年6月23日及び7月15日に開催され、東京都との事前協議・指導による「総合設計」(既定の容積率:500%が800%に緩和)の適用をうけた、地上38階・地下2階・塔屋2階(最高高さ136.79m)の超高層マンション計画の概要がはじめて明らかにされた。
 当該説明会の席上では、(1)現在の、周辺地域の平均的な建築規模との不整合、(2)広場状公開空地の有用性への疑問(一部からは祭礼時等の広場の必要を求める声もあるが、当該計画のような公開空地については不要論が強い)、(3)北側に存する街区公園含め近隣への風害・日照等さまざまな環境の悪化・インフラに掛かる過重な負荷懸念、(4)大規模住棟の建設による地元コミュニティの劇的変容の問題、(5)広域に掛かる問題として景観形成上の問題―超高層の建造物が伝統的な旧市街地に相応しい建築形態であるのか、など計画の根幹に係わる疑義が呈され、また、それら計画の問題点改善のための再考のために計画地周辺において適宜の計画再考の検討会(ワークショップ)等の開催などが地元住民から提案されましたが、建築主・事業者側からは「(提示の超高層の建築計画に)ご理解賜りたい」「(検討会の開催等は)即答できない」の繰り返しで、今に至るまで、それら計画の根幹に係わる疑義・提案に対して、何ら誠意ある回答がなく、建設に至っている。
 
ビル名:(仮称)西浅草3丁目計画、階数:地上38階・地下2階、
高さ:133.01m(最高部高さ136.79m)、竣工:2011年03月(平成23年03月)予定
住所:東京都台東区西浅草3丁目



浅草寺境内から見た高層ビル






上2枚、国際通りから見た高層ビル


かっぱ橋本通りから見た高層ビル
浅草奥山お参りまち商店街 [2011年08月22日(Mon)]
浅草奥山お参りまち商店街
浅草奥山お参りまち通りは、浅草寺と六区、その先につくばEXの浅草駅がある西の参
道になる。今現在京成ビジネスホテルの建設が進んでいる。土地所有者は浅草寺で、京成
電鉄に賃貸している。奥山お参りまち商店街(振)では、台東区景観まちづくり条例に基づき、平成17年に「奥山お参りまち景観協定」を締結し、台東区長の認定を受けた。
 昨年から街区でビジネスホテルの建設計画が持ち上がり、台東区景観まちづくり条例を締結している街区でのビジネスホテルには当然、調停が必要であるが建設計画が進み、現在基礎工事が進んでいる。
 浅草寺はこの奥山お参りまち景観協定を無視して、ビジネスホテル建設用地を賃貸した。
京成電鉄もこの条例を無視しホテルを建設している。この背景にあるのは、ロックの再開発である。再開発では高層ビルが建つ予定で、浅草寺境内を見下ろす形になるため、浅草寺側が反対している。このホテルを建てることで、見下ろされるのを防ぐ?との論理の様である。これが第1の問題、第2の問題は、台東区がほとんど対応しないことである。@
景観まちづくり条例があるのに建設許可を出した⇒縦割り行政の弊害、A建設計画の段階で調停を行わなかった等が上げられる。

台東区景観まちづくり条例
 台東区では平成14年10月25日には「台東区景観まちづくり条例」を制定した。そのなかで、景観まちづくりをすすめる具体的な方策として次のことをあげている。@まちの中に「共用の場」をつくる。Aまちの特徴を生かして重点的に進める。B 公共が率先してまちづくりの種をまき、育てる。C 区民、事業者が主体となって行動する。
景観協定は、台東区景観まちづくり条例に基づき、特定の区域における建築物等の所有者や管理者が、その区域の景観まちづくりに関する協定を締結することにより、積極的に景観まちづくりに寄与するよう努めるものである。


お参りまちのアーチの向こうにクレーが見える


商店街通り


工事の標識


ホテルの工事現場


工事現場と商店街の通り
浅草奥山お参りまち商店街 [2011年06月02日(Thu)]
浅草奥山お参りまち商店街
奥山お参りまち商店街(振)では、台東区景観まちづくり条例に基づき、平成17年に「奥山お参りまち景観協定」を締結し。台東区長の認定を受けた。
昨年から街区でビジネスホテルの建設計画が持ち上がり、台東区景観まちづくり条例を締結している街区でのビジネスホテルには当然、調停が必要であるが建設計画が進み、現在基礎工事が進んでいる。

台東区景観まちづくり条例
台東区では平成14年10月25日には「台東区景観まちづくり条例」を制定した。そのなかで、景観まちづくりをすすめる具体的な方策として次のことをあげている。@まちの中に「共用の場」をつくる。Aまちの特徴を生かして重点的に進める。B 公共が率先してまちづくりの種をまき、育てる。C 区民、事業者が主体となって行動する。
景観協定は、台東区景観まちづくり条例に基づき、特定の区域における建築物等の所有者や管理者が、その区域の景観まちづくりに関する協定を締結することにより、積極的に景観まちづくりに寄与するよう努めるものである。
台東区では、建築物等の無秩序な色使いを改善し、落ち着いた色彩への誘導を図ることで、まちなみの基調色を整理していくことを目的として、「景観色彩ガイドライン」を平成18年4月1日から施行している。 「景観色彩ガイドライン」は、「台東区景観まちづくり条例」に基づくもので、すでに策定した「景観形成ガイドライン」の「色彩編」として位置付けられ、区の良好な景観形成における色彩の指針となるものである。 区民や事業者の皆さんが建築計画を行う際の参考や、一定規模以上の建築物等での景観協議の基準として、「景観形成ガイドライン」と併せて活用していきたいと考えている。















運河保存の峯山冨美さん(96) 28日に老衰で逝去 [2010年12月30日(Thu)]
運河保存の峯山冨美さん(96) 28日に老衰で逝去
 元小樽運河を守る会会長の峯山冨美さん(96)が、12月28日(火)夜、老衰のため逝去した。
 峯山さんは、道道臨港線建設のために小樽運河とその街並みを埋め立てるか否かを争点にした小樽市と住民による運河論争(1973〜1984)で、「小樽運河を守る会」の会長として、約10年間先頭に立って運河と街並みの保存を強く訴えた。
 1914(大正3)年虻田郡真狩村生れ。1924(大正13)年、10歳の時に父親の転勤で小樽へ。庁立小樽高等女学校補習師範科卒業後、三菱商事に入社。1944(昭和19)年、夫の転勤で伊達市に引越したが、1955(昭和30)年に小樽に戻り、北手宮小学校に勤務した。運河の景観を守りたいとの意思を持つ一主婦から、1975(昭和50)年の「小樽運河を守る会」設立時に副会長、3年後の1978(昭和53)年に会長に就任した。
 国会に押しかけて議員の前で演説した話しは有名だ。「地方の奥さんが国会議員の前で話し、まちづくりを訴えた人は当時の日本の中でもいないだろう」(保存運動関係者)。
 10年以上、保存運動の同志たちとともに運河と街並み保存を強く訴えた結果、運河の全面埋め立てから一部埋め立てに計画を変更させた。1983(昭和 58)に運河の杭打ちが始まり、半分が埋め立てられ道道臨港線と散策路が整備され、1986(昭和61)年に現在の姿となった

*小樽ジャーナルより

夜の小樽運河





上の2枚、雪の小樽運河
西浅草高層ビル問題 2 [2009年10月13日(Tue)]
西浅草高層ビル問題 2
1 陳情に至った理由
 今回の陳情書提出に至るまで、地元(極めて限定的な建設予定地周辺住民)においては、既存建物解体にかかる説明会(平成20年1月15日)がなされましたが、当該説明会では既存建物等解体後の新築計画の概要に関して、席上質問が多数なされたにもかかわらず新築計画に関しては一切説明はなされず、既存建物の解体が進められました。
 その後、地元に新築計画についての説明・合意形成などがないまま、今夏、唐突に任意の地元説明会(西浅草三丁目北部町会の範囲)が平成20年6月23日及び7月15日に開催され、東京都との事前協議・指導による「総合設計」(既定の容積率:500%が800%に緩和)の適用をうけた、地上38階・地下2階・塔屋2階(最高高さ136.79m)の超高層マンション計画の概要がはじめて明らかにされました。
 当該説明会の席上では、(1)現在の、周辺地域の平均的な建築規模との不整合、(2)広場状公開空地の有用性への疑問(一部からは祭礼時等の広場の必要を求める声もあるが、当該計画のような公開空地については不要論が強い)、(3)北側に存する街区公園含め近隣への風害・日照等さまざまな環境の悪化・インフラに掛かる過重な負荷懸念、(4)大規模住棟の建設による地元コミュニティの劇的変容の問題、(5)広域に掛かる問題として景観形成上の問題―超高層の建造物が伝統的な旧市街地に相応しい建築形態であるのか、など計画の根幹に係わる疑義が呈され、また、それら計画の問題点改善のための再考のために計画地周辺において適宜の計画再考の検討会(ワークショップ)等の開催などが地元住民から提案されましたが、建築主・事業者側からは「(提示の超高層の建築計画に)ご理解賜りたい」「(検討会の開催等は)即答できない」との言辞の繰り返しで、今に至るまで、それら計画の根幹に係わる疑義・提案に対して、何ら誠意ある回答を得られていません。
 この部分は陳情書をそのまま載せています。

ビル名:(仮称)西浅草3丁目計画、階数:地上38階・地下2階、
高さ:133.01m(最高部高さ136.79m)、竣工:2011年03月(平成23年03月)予定
住所:東京都台東区西浅草3丁目





鞆の浦景観勝訴 [2009年10月03日(Sat)]
鞆の浦景観勝訴
 皆さま、鞆の浦景観訴訟で原告側が勝訴したことは新聞等でご存知かと思います。
 原告の1人、松居さまから下記のようなメールが送られてきましたので、ご紹介いたします。
もちろん、私もこの勝訴に賛同しており、控訴しないことを願っています。
現在地元では、勝訴判決を受けて国や県、市にたいして要望を行う準備をしております。
今回の裁判では、「文化的,歴史的価値を有する景観として,いわば国民の財産ともいうべき公益である」と司法が判断しました。にもかかわらず、広島県の丸山空港港湾部長は、「判決は、承服できない」とし、「免許手続きをつづける」とコメントを出しました。しかし、広島県議会建設委員会では、事業の見直しの声もあがったということです。
そこで、いつもの事ですが、お願いがございます。
広島県と福山市に対して控訴をしないよう求めるはがきや手紙、メールなどを送っていただけないでしょうか。今回の報道を受けまわりに興味をもたれた方やお知り合い、ご友人など多くの方にも声をかけていただき、メッセージを送ってください。

送り先
1 広島県知事 藤田 雄山
  〒730-8511 広島市中区基町10-52
  souhisyo@pref.hiroshima.lg.jp
2 広島県議会議会事務局
  〒730-8509 広島市中区基町10-52
  gikaisoumu@pref.hiroshima.lg.jp(総務課)
3 福山市長 羽田皓
  〒720-8501 広島県福山市東桜町3番5号
  hisho@city.fukuyama.hiroshima.jp

上記3カ所に対し、10月14日までに「判決を重く受け止め、控訴しないように」と要望をお送りください。司法が「鞆は国民の財産である」と認めていますので、住んでいる地域などは関係ありません。一人でも多くの声を届けていただければと思います。事業が完全に中止され、鞆の浦が永遠に守れるまで、私たちは頑張ります。どうか、引き続きご支援、ご協力を頂ければ幸いです。

NPO法人 鞆まちづくり工房  代表 松居 秀子  
広島県福山市鞆町鞆5番地 Tel 084−982−0535 Fax 050−3489−2310
e-mail npo-tomo@vesta.dti.ne.jp
URL http://www.vesta.dti.ne.jp/~npo-tomo/


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