川越蔵の街 7 「伝統的建造物群保存地区」指定[2008年01月15日(Tue)]
川越蔵の街 7 「伝統的建造物群保存地区」指定
平成4年ごろ、川越市は伝統的建造物群保存地区指定の検討を再度、住民に諮った。しかし、商店を営まない住民は、お客さんを一番街に集めるためになぜ一般の住宅まで規制を受けるのかという意見があり、結局この時も、保存地区の指定は見送られることになった。ただ、住民側も自治会長らが集まって「十カ町会」を発足させ、自治会や住民の勉強会の場となっていった。その数年後、またマンション建設問題が持ち上がる。当然、住民はマンション建設に反対でしたが、川越一番街商店街の「町づくり規範」は、あくまで自主協定のルールで、法的な強制力があるものではなかった。そこで「十カ町会」において勉強会を重ねて、さまざまな制度を検討した結果、一番街周辺の町並みを守っていくためには文化財保護法に基づいて、伝統的建造物群保存地区指定を受けることが一番だと結論を出した。そして、平成11年(1999)、ついに川越一番街商店街を中心とした7.8ヘクタールが伝統的建造物群保存地区として指定されることになった。指定までは20年以上かかった。そこに至るプロセスには多くの困難が伴った。
平成4年ごろ、川越市は伝統的建造物群保存地区指定の検討を再度、住民に諮った。しかし、商店を営まない住民は、お客さんを一番街に集めるためになぜ一般の住宅まで規制を受けるのかという意見があり、結局この時も、保存地区の指定は見送られることになった。ただ、住民側も自治会長らが集まって「十カ町会」を発足させ、自治会や住民の勉強会の場となっていった。その数年後、またマンション建設問題が持ち上がる。当然、住民はマンション建設に反対でしたが、川越一番街商店街の「町づくり規範」は、あくまで自主協定のルールで、法的な強制力があるものではなかった。そこで「十カ町会」において勉強会を重ねて、さまざまな制度を検討した結果、一番街周辺の町並みを守っていくためには文化財保護法に基づいて、伝統的建造物群保存地区指定を受けることが一番だと結論を出した。そして、平成11年(1999)、ついに川越一番街商店街を中心とした7.8ヘクタールが伝統的建造物群保存地区として指定されることになった。指定までは20年以上かかった。そこに至るプロセスには多くの困難が伴った。