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佐竹商店街の歴史 2 [2016年07月27日(Wed)]
佐竹商店街の歴史 2
昭和十六年(1941年)太平洋戦争の開戦と共に世の中は軍事一色に塗りつぶされ、消費生活は徐々に狭められ、統制経済が進み、物資は軍事優先に使われ主な生活必需品は配給制度となり、企業整備の名のもとに、小売業は不要とされ閉店を促し、事業主・従業員は軍需工場に徴用され、商店街は火の消えたようになった。
昭和十九年(1944年)十二月三十一日の夜と、翌二十年(1945年)二月二十五日の昼下がりの二度にわたって空襲を受け、商店街の半分近くが焼失した。終戦となるや直ちに復興に着手し、翌昭和二十一年(1946年)には早くも佐竹商店街組合を結成し、個々の店の努力と協同の力で往事の賑やかさを取り戻しました。昭和二十八年(1953年)に竹町公園で行われた商店街主催の盆踊り大会は盛大に行われ、特設舞台での演芸には初代の林家三平師匠が出演した。その頃、商店街には店員も多く、商店街内で野球チームが3から4チーム出来ていた。昭和三十五年(1960年)には協同組合を結成、さらに三十八年(1963年)には振興組合に改組した。昭和三十九年(1964年)新住居表示採用にともない、町名としての「竹町」は消え台東区台東と変わりったが、佐竹の名は町会名及び商店街として残った。 また、昭和四十四年(1969年)には商店街全店が悲願とした全蓋アーケードが完成、同五十二年(1977年)にはカラー舗装を施工し、都内屈指の商店街として完成した。
また、当時の特売セール(ゲバゲバモーレツセール)の夜七時から行われたタイムサービスは買い物客であふれ、近所のお風呂屋さんの女湯が空になったと言われた。昭和五十一年(1976年)夏に「秋田まつり」のタイトルで夏祭りを実施し企画部員が竿灯を製作して、竿灯の演技も披露した。数年後の「秋田まつり」では、秋田市のご協力で本場の実物の竿灯を寄贈いただき、秋田市の職員による竿灯演技も行われた。

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