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2011年07月07日

にじいろの子どもたち 〜長時間保育を必要とする子どもたち 2〜

 子育て世代は、社会を支える世代
 
 子どもを産み育てる年代は、20代から50代。つまり、働き盛りの世代と一致しています。
 企業も、行政も、農業も漁業も林業も、NPOも、働く人々がいてはじめて、その機能を果たせます。  
 日本では、これから20〜50歳代の「働き盛り」の世代がどんどん減少していきます。それは人口構成を見れば、ハッキリと現れています。一方で、より良い介護や医療、教育のために求められる人材は、質だけでなく、数をも必要としています。機械にに替わってもらいにくい業種は、結構、多いものです。
 企業の機能が滞ったら、私たちの生活はどうなるでしょうか? 多くの都市生活者の家には、週に1度以上は買い物に行って、買い足すことを前提にした程度の食料置き場しかありません。1年分の食料を自分たちで保管する場所も技術ももはやありませんし、日常生活品も自分たちで作れないものが多いのではないでしょうか。
 働く人が少ないと、子どもの健診やゴミ収集回数が減るかもしれません。道路や橋の補修整備がなかなか行われず、危険が増すことも考えられます。
 夜に病院に駆け込んでも、医師や看護師が足りなければ、充分な診療や治療を行うことはできません。人が少なければ、昼間に診察に行っても、延々と半日以上待つことになるかもしれません。どんなに立派な診断機器が揃っていても、です。
 消防署や警察署に電話をしても「今、出払っていて、すぐには行けません」と言われるかもしれません。
 あなたの親が介護を必要としたとき「いえ、今はもう一杯で。空き部屋はあるんですけど、介護士がいないので、お引き受けできません」と言われるかもしれません。(実際にこういう事態はすでに起きています)
 あなたの子どもが大けがをしたとき、輸血の血液はあるけど、運ぶ人がいない、という事態に出くわすかもしれません。 
 私たちは、その時に「そうだなぁ、子育てをしている人たちは、子ども最優先なんだから」と理解を示せるでしょうか?
 
 保育の制度やしくみを考える前に、「親が育児に専念できる、あるいは育児に時間を割くことができるようになる社会でありたい」と願うのは、別に間違っていません。実際に「育児の時間を増やしたい」と願っている親も多いのです。
 ですが、そのことが、私たちの望んでいる社会の機能と、どのようにつながっているのか、考えてみる必要があるのではないでしょうか?
 保育の重要性と女性の社会進出、働く女性が増えることは、よく並べて議論されますが、女性が働くことは、単純にその女性の「自己実現」とか「家計の維持」だけに理由を求められるものではありません。これまでの社会機能を維持するために、また、これから必要と考えられる社会機能を作り出していくためには、これからの日本は、たくさんの人が働いて、社会を支えていくことが必要な時代に突入していると言われています。

 できる工夫はいろいろある

 といって、長時間労働、長時間保育はしょうがないよね、あるいは、子育てのために社会の機能の縮小は仕方がないよね、といいたいわけではありません。「子育てのために働く時間を減らしたい」「この時期は、子育てに専念したい」というそれぞれの個人の希望は、あって当然ですし、そのことを地域や家族、社会でサポートすることは大切です。一方で、よりよい対人サービスや福祉、医療、行政機能も求められてくるでしょう。
 みんながハッピーになるために、私たちは、自分たちとは違う立場、自分とは直接関係がないと思われる社会機能についても、データや事実を集め、大いに想像力を働かせる必要があります。
 育児のための時間短縮勤務は、多くの事業所で取り入れられています。ワークシェアリングも有効な一手です。一方で、ひとりひとりの仕事の能率をアップしていく工夫や努力も必要です。1つの仕事を手分けして、スピーディに行うわけですから、今まで以上のコミュニケーション能力やIT機器の活用スキルも求められます。
 一方で、各省庁や医療機関が持つデータベースの一体化など、個人情報保護にとらわれすぎずに、私たち市民が協力していくことや、消費者でもある私たちが、迅速で正確で長時間のサービスを過剰に求めすぎないことも大事かもしれません。

 どんな仕事にも、正念場はあり得る

 しかし、どのように仕組みを工夫し、仕事を分け合い、能力を磨いても、時に「どうしても休めない、抜けられない、すぐには帰れない」ということはありえます。
 お掃除の仕事で、受け持ちの場所の水道管が壊れて、下の階に迷惑をかけてしまった、その時に、上司への報告、後始末、下の階へのお詫びなどで、普段の勤務時間はあっという間に過ぎてしまうでしょう。でも、やっぱりその時の当事者は、その事を放り出して帰るというわけにはいかないものです。一段落したところで、一緒に働いている方々が「君はもう良いよ、後は引き受けるから」と言ってくれることは「補い合い、助け合い」であって、「子育てしてるんだから、当たり前」のことではありません。
 あなたの手術を担当する外科医が、少し手術の時間が後ろへ押したからと言って、他の医師と交代する、そのために、一時手術を中断し、麻酔時間が長くなり、申し送りの発生によってリスクが高まったとして、あなたは「そうだね、育児のためなら仕方ない」と納得できますか? そこには、当然、交代要員の確保のためのコストもついて回り、場合によってはそれらの重なりが医療費を押し上げますが、それを患者として、心から納得して支払うことを、覚悟できますか?
 会社の中で、この2年で取り組むプロジェクトが、自分の将来のキャリアを大きく左右する、そんな正念場を迎える人もいるでしょう。
 同じ部署の人が、病気にかかって急に休職することになった、その補いをみんなで手分けして行うことは、ごく普通です。補う合うために、そもそも平時から余分に人員配置をできる職場は良いですが、そんな「過剰な人員配置」をしていたら、お役所だったら市民から、会社だったら株主から「そんな無駄な配置をするなんて!」とお叱りを受けるかもしれませんし、経費がふくらんで、長い目で見ると、経営や財政が苦しくなるかもしれません。
 子どもを持つタイミングはさまざまです。予定していなかった時期に、授かることもあります。それは、自分の仕事が正念場を迎えているときだったり、昇進を控えた大事なときだったり、親が倒れて介護が必要だったりするときと重なることもあるのです。専業主婦にだって、介護や、パートナーの単身赴任など、正念場はあるのです。
 「ここは外せない」という時期も、期間も、さまざまです。毎日夕方5時、毎月月末は、スタッフ全員が揃って、情報を共有し、一緒に作業することが必要、という職場もあるでしょうし、月に1回くらい、突発的な正念場がやってくる人もいれば、「この2年間が勝負。ここを乗り越えれば、異動希望も叶ってもっと公私両立ができるようになる」という人もいるでしょう。
 正念場を乗り越えて、大人たちは、自己実現を果たすだけでなく、社会を形成し、機能させています。
 
 保育を通じて社会を支える 

 子どもは、働く大人のそばで、遊んだり手伝ったり、模倣したりしながら大きくなる・・・。それは長い間、人間社会のありようだったかもしれません。しかし、現代は、子どもが大人のそばで遊びながら過ごすことが難しい時代かもしれません。
 今の大人たちの職場に、子どもが一緒に行くことが、子どもにとって本当に望ましい、と言えるでしょうか?
 望ましい、と言えない職場が多いからこそ、私たちは、保育やベビーシッティングという仕組みを作り出してきたのではないでしょうか。
 私たち「にじいろ」では、「保育とは、子どもの健やかな成長を支援すること。子どもの成長を支援することで、親の就労や自己実現を支え、それを通じて、社会機能を支えている」ということを意識するようにしています。
 もちろん、園では日々の大人の仕事を意図的に子どもたちの見えるところ、手の届くところで行い、子どもたちが手を伸ばしてくれば、一緒に行います。共にやるように促すこともあります。これは、料理や洗濯、掃除といった営みが、幼児にも分かりやすく、喜びをもたらすものだからです。
 もう一方で、保育者の私たちが、「子どもたちの両親が社会や家庭、地域を支えておられることへの畏敬の心」を持つことは、子どもたちにとっても、とても重要なことだと考えています。

 だからこそ、質の高い保育を

 長時間の保育が、子どもにどのような影響を及ぼすのか、これはまだまだ研究途上であり、データを積み重ねていく必要がある領域です。
 データが出そろってからでは、今、長時間保育を必要としている子どもたちには間に合いません。
 また、データとして取りにくい要素もたくさん含まれています。
 子育て、保育、幼児教育の諸先輩方の「経験」や「直観」も大きな力です。経験や直観を軽視することなく、その上に客観的事実を積み重ね、より良いものへと高めていく意識が、保育者にも、保護者にも、社会にも必要です。
 教育の成果は、半世紀後に現れると言われています。戦後すぐに創設された認可保育園制度の成果は、今の20〜50歳代の方々に現れている、とも言えます。 
 
 つたない私見を、ずいぶん長々と書いてしまいました。見た画面は・・・一面、字だらけ、ていう印象ですね(笑) ごめんなさい。

 次は、質の高い保育をしていくために、工夫していること、取り組んでいることについて書いてみようと思います。

2011年06月06日

にじいろの子どもたち 〜長時間保育を必要とする子どもたち〜

さて、今回も、にじいろの子どもたちのことを、もう少しご紹介しようと思います。

にじいろの子どもたち 2
 長時間の保育を必要とする子ども


 「にじいろ」は、朝の7時から夜8時半まで保育を行っています。近畿圏の認可保育園の多くが朝7時から夜7時までの保育を行っていますので、ちょっぴり長い方ですね。認可外保育施設の中には、24時間保育のところもあります。
 「そんなに長い時間、誰が預けるの?」というご質問を受けることがあります。でも、長時間の保育を必要とする子どもたちは珍しいわけではありません。
 フルタイムで働く場合、多くの職場では、8時間労働、間に1時間の休憩で、合計9時間は職場にいることになっています。通勤に片道1時間かかったとして、合計11時間。これが普通のお勤めの方の仕事時間になります。保育園の子どもの送迎は、普通は通勤の前後に入りますから、この11時間か、それ以上の時間が保育時間として必要になります。
 もし、12時間の開園時間の園に預けていて、仮に、残業が30分発生すると、結構ぎりぎりになってしまうのです。でも、仕事をしているときのことを考えてください。仕事の後半に、ちょっと突発的なことがあると「あっというまに30分なんて過ぎちゃう」のではないでしょうか? 
 神戸は、大阪も通勤圏で、1時間以上かけて通勤する人も珍しくありません。保育のお迎え時間に間に合わせるべく、走りに走り、車を飛ばす、では危険です。保育時間に余裕があることは、親御さんにとっても、ひいては、子どもにとっても、とても大事なのです。
 
 一方で、お店を経営している方を考えてみてください。現在、6〜7時間くらいしか営業していないお店って、みなさんの近くにどのくらいありますか?
 どのお店も、10時〜夜7時くらいまで開けているのではないでしょうか。お店というのは、開店時間の1〜2時間前から準備を始め、閉店してからも、最低1時間程度は、レジを締めたり掃除をしたり翌日の準備をしているそうです。つまり、9時間以内の仕事で済ませようと思ったら、開店時間を6時間くらいに短縮しなくてはなりません。このあたりがキッチリ守られているのは、銀行かもしれません。窓口を閉めた後の仕事があるので、ちゃんと3時にしまってますよね(笑)。でも実際に銀行にお勤めの方に聞くと、決まった時刻(定時)には終われない日も多いそうです。
 認可保育園は、原則、夜6時までで、以降は延長保育となり、7時か8時に終わる園が多くを占めていますが、この時間帯が仕事のゴールデンタイムという方もおられます。塾、ピアノの先生、フィットネスジムのインストラクターなど、「この時間帯に仕事できなければ採用してもらいにくい」「正規職員から非常勤に替わるように言われてしまう。給料が全然ちがうので、生活できない」という職場もあるのです。
 国際企業では、時差があるために、日本時間の早朝や、夜遅くにテレビ電話会議が行われることもあるそうです。
 24時間、ずっと動いている職場もありますね。病院、消防署、警察署・・・。交代制、当直制とはいえ、だれかが、夜中も働いているから、私たちは安心して暮らしていけるのです。
 こうしたところで働く人たちも、子どもと暮らす生活を望んでいます。
 1970年代はサラリーマン&専業主婦という組み合わせが最も増えた時期で、男女の家庭での役割が固定化した時期と言われています。今、まさに幼児や小学生の親となっている世代は、専業主婦家庭で育った方の多い世代です。
 この頃は、結婚&出産退職が当然で、働き続けたければ、子どもを持たないか、独身でいるか、の選択が主でした。「仕事か、子どもか?」なんて言う言葉が普通だったんですね。
 ご両親と同居だったり、決まった時間に必ず退勤でき、日曜・祝日は必ず休みという職場にお勤めだったりすれば、子育てとの両立は可能でしたが、少し前の保育園は午後4時には閉まっていましたし、今のようなフレックスタイム制や育児休業、育児のための短縮勤務制度などはありませんでした。
 けれども、時代が変わってきて、誰もが結婚し、子どもを持ち、かつ、仕事も持つことを選びたい、という人も増えてきました。また、幼い子どもを育てながら働かなくてはならない状況の方も増えてきました。
 
 長時間保育は、親の勝手の結果?

 幼児教育者や保育者の間では、長い間、「長時間保育は、子どもにとってマイナスでしかなく、避けるべき事態である。従って、親がそんなに長く働かなければいけないような世の中をこそ、是正しなくてはならないし、保育園の開園時間を長くすればするほど、そこに子どもを放り込んで、仕事ばかりする親が増えるから、開園時間は短いままでとどめるべきだ」という議論がごく普通に行われてきました。
 その根拠は、1950年代の精神分析家のボウルビィらによる「ホスピタリズム」の研究や「母性的養育の剥奪」といった概念を元にしているようです。
 私たちは、60年以上も前の養護施設(保護者のいない児童を養育する施設)の調査や理論を元に、現代の保育をはかることが果たして妥当かどうか、もういちど見直す時にきているのではないでしょうか。
 私たちの「にじいろ」も、開園当初から「そんなに長く働かなければいけないなんて、親の選択が間違っている。その誤った選択を許すような、コンビニみたいな保育をするなんて間違っている。親の子捨てを助長する」というご意見も、何度もいただきました。
 けれども、もう一度、私たちは考えてみたいと思います。平日の朝9時から夕方5時までで、すべての社会的機能が納まるように、と私たちは意識して社会を作ってきたでしょうか。
 夜遅くまで開けているお店を、夜中でも診察や治療をしてもらえる病院を、市役所の窓口の土曜・夜の対応を、私たち市民は、長い間をかけて求めてきた、という事実はない、と言いきれるでしょうか?
 日本は、お客様大国と言われ、お客様のニーズが最優先とされている文化を持っているそうです。私たちは、世界的に見て、かなり高度で迅速で正確で、長時間にわたるサービスや商品を求めつづけてきたのです。
 ヨーロッパやオセアニアでは、国を挙げて、お店の開店時間や曜日を制限しているところもあります。私たちは、政治家や国会に、そのような制限を日本もそうしよう!と、働きかけるでしょうか?
 市民として、住民として、その不便も含めて、引き受ける覚悟はありますか?
 不便も含めて「そうしよう!」という人たちは、具体的な社会設計を描き、多くの市民の賛同を得る運動をしていく必要があります。
 現代の保育ニーズは、その両親だけの価値観で作られているのではなく、その両親を育ててきた世代の価値観や、消費者、市民としての行動をする周りの人すべてと関連して作られてきていると思います。

2011年02月01日

にじいろの子どもたち 医療的ケアを必要とする子ども その2

「にじいろ」で過ごす


 筆者は、以前、地元のこども病院に勤めていました。ある勤務中にふと、お母さんたちの会話を耳にしました。「この子は病気があるから、おばあちゃんも『万が一のことがあったら怖い』と預かってくれない」「うちの子は、手術が終わって医師がOKと言っているのに、幼稚園は入園を許可してくれない」という内容でした。
 「『子育て支援』というけれど、病気を持っている子どもたちは、その枠外に勝手に出されてしまうこともあるんだ。病気やしょうがいがあっても、地域社会に参加できる、子育てを助けてもらえる地域にしよう!」と、友人の保育士に声をかけ、賛同してくださった親御さんや地域の医師と手をつないで、当園の前身「ちっちゃな保育所」が誕生しました。
 「にじいろ」では、この最初の理念、「子ども社会への参加の保証」と「親御さんの子育て支援」の2つの目的で、こうした医療的ケアが必要な子どもたちと一緒に過ごしています。
 前述したように、医療的ケアが必要な子どもたちは、週5日の通園が身体的に負担だったり、普段は歩行訓練や定期診察のための通院(内科と眼科と整形外科と・・・といくつもの科にかかる必要がある子どもも多いのです)があるので、週に1〜2回しか通えないことも多く、一時保育としての利用希望がほとんどです。
 ですから、当園は「一時保育」と「月ぎめ保育」の2つの方法から、利用時間数や曜日など、ひとりひとりの状況に合わせて、保護者といっしょに「子どもにとって一番良い保育のリズム」を作れるようにしています。これは、しょうがいや病気があってもなくても、同じです。保育プランは、テーラーメイドなのです。 
 子どもたちは、つながった幾つかの保育室で過ごしますので、一時保育の子だけ、行事や外遊びから外されるということもありません。月ぎめ保育の子どもたちのリズムが、一時保育の子どもを助けてくれます。いつも自然に、共に過ごす環境を整えています。
 また、体調やしょうがい・病気によって、外遊びが難しい場合には、無理せずに室内で過ごしたり、一緒に公園まで行き、一足先に帰ってきたり、など、設定保育においても、ひとりひとりに合わせたケアや保育を行っています。こうした対応は、大人と子どもの比率を一対三〜六にして、事務スタッフも必要時には補助を行うことで、実現しています。
 年齢別の保育ではなく、0歳〜学童までの縦割り保育が基本になっていることによって「一斉に同じ工作をつくること」や「同じ高さのものが跳べること」はあまり重要ではなく、ひとりひとりのペースや成長の過程があることが、大人にも子どもにも、ごく普通のこととして認識されています。
 当園は、定員が少ないなどの理由で、国の認可がおりない「認可外保育施設」です。補助金が一切入ってこないので、保育料と民間財団の助成金を必死でつないで運営しています。ですが、認可外だからこそ、できることもあります。長い夏休みや放課後、学童保育では受け入れてもらえない、あるいは学童保育の環境そのものが、負担になってしまう子どもたちも、「にじいろ」なら、お昼寝もでき、個室も用意してあって、安心です。
 少人数制、手洗い励行のおかげか、インフルエンザなどの園内流行は、これまでの7年間で、ほとんどなく過ごしてきました。
 当園は、筆者以外に看護師1名を配置し、しょうがいや病気を持つ子どもも、朝7時〜夜8時半までの開園時間すべてで対応できるように努力をしています。「24時間365日、医療的ケアしている親御さんの助けになりたい」「しょうがいや病気があってもなくても、ひとりひとりに必要なケアをしっかり届けたい」と願って保育士も看護師も、いつも一緒に保育をしています。
 保育と看護と教育という3つの隣り合うケアの融合、それが「にじいろ」のケアです。
 
 当園の利用者のうち、常時、医療的ケアを必要とする子どもは、のべ利用者の約5.6%になります。この他に、医療的観察や発作時などの突発的医療介入を必要とする子ども、しょうがいを持っている子どもも含めると7.3%にのぼります。(しょうがいや病気を持って生まれてくる子は、全出生の約1%といわれるデータがあります)

 医療的ケアを自宅や学校で行うことは、今の大人が子どもだった時代には、あまり例のないことでした。だから、こうした子どもたちが地域にたくさん住んでいることはあまり知られていないのでは、と、一番最初に、医療的ケアが必要な子どもたちや、親御さんのことを書きました。(もちろん、細かいところはひとりひとり、一家庭一家庭、違いますが)
 病気やしょうがいを持っている子どもを育てている。ある親御さんが語っておられました。
「特別なことをして欲しい、と思っているわけではない。かわいそうに、と思ってもらいたいわけでもない。ただ、こういう子どもがいるんだと言うことを理解して欲しい。そして、育ち合い、育て合い、助け合いの輪に、私たちも仲間として入れて欲しい」
 この記事を読んでくださった方が、「住んでいる地域で、いろんな子どもたちが、共に生きるということ」にひとときでも、思いを馳せてくださったら、たいへん嬉しく思います。

 
小さなところだから
   大事にできること

 「ちっちゃな保育所」としてオープンするその時から、大事にしてきたことがあります。
 「少人数制を守り、家庭の機能を持つこと」「ひとりひとりの成長を支えるケアを行うこと」です。
 
 神戸の小さな施設の小さな取り組みですが、「すべての子どもたちが幸せに、成長をしていく」ことができるように、全国のみなさんと集まってつながっていきたいと願って、保育の充実に、地域活動に、資金開拓に取り組んでいます。当園のホームページ、法人のブログも、ぜひご覧ください。
 ご意見、ご感想をお寄せくださいましたら、たいへん嬉しいです。

 次回は、「長時間の保育を必要とする子どもたち」のこと、「ひとりひとりに成長を支えるために、どんなことをしているのか」について、書こうと思います。

人智学情報誌めたもるふぉ〜ぜ掲載分より一部修正加筆

「にじいろ」の子どもたち 医療的ケアの必要な子ども その1

「にじいろ」の子どもたち 1
 医療的ケアの必要な子ども


 「医療的ケア」って、どこかで聞いたり見たりしたことはありますか? あんまり馴染みのない言葉かもしれません。
 筆者は看護師なのですが、この言葉を聞いたり,自分でも意識して使うようになったりしたのは、ここ2,3年のことです。
 「医療的ケアとは」と調べると「たんの吸引や鼻などから管を通して栄養剤を注入する経管栄養など、家庭で、家族が日常的に行っている医療的介助行為を、医師法上の『医療行為』と区別して『医療的ケア』と呼んでいる」と出てきます。 
 病院で、医師や看護師が治療や看護、介護のために行う処置や療法はいろいろあるのですが、退院後も引き続き、それらを生存・生活していくために行っていく必要がある場合、家族が医療者に替わって行っています。それを「医療的ケア」と呼んでいるのですね。
 高齢になったり、いろんな病気になったりして、大人でもこうした「たんの吸引」や「経管栄養」が必要になることはめずらしいことではありません。
 「たんの吸引」という処置は、しくみからいうと、健康な人であれば、コンコンと咳をしたり鼻をかんだりするのと同じことです。1時間に何度も鼻をかむことがあるように、1時間に何度も吸引する必要があることは、めずらしくありません。
 でも、以前は、家族以外には、看護師や医師しか、こうした行為は行ってはいけないことになっていました。
 それでは、看護師を雇うか、家族が、いつもつききりでいなくてはなりません。そこで「教育の保証」という意味もあり、特別支援学校(少し前まで養護学校と呼ばれていました)では、こうした医療的ケアの一部を、看護師や医師の免許を持っていない教員も行えるようになってきています。

 医療的ケアと共に生活すること


 毎日生まれてくる子どもたちの中にも、こうした医療的ケアが必要な子どもがいます。病気やしょうがいは、生まれつきだったり、生まれた後の病気だったり、出産の時に起きたことが原因だったり、いろいろです。よく「遺伝ですか」と聞かれますが、ほとんどは遺伝の病気ではありません。
 医療の進歩に伴って、重い病気やしょうがいを持った子どもたちも、救命され、さらには、医療器具を持って自宅へ帰ることができるようになりました。家族と一緒に暮らせるようになったのです。
 それは、とても喜ばしいことですが、一方で、自宅で子どものケアをする家族の負担は大きくなっています。
 酸素吸入や、たんの吸引の機械、人工呼吸器、24時間点滴の機械が小さく、扱いやすく安全になり、点滴液や酸素ボンベの宅配など、家庭に医療機器を持ち込めるようになったのは、大きな進歩でしたが、病院では看護師が行うさまざまなケアを家族が行うことになります。
 たいていの場合、毎日飲まなければいけない薬があります。子育て経験のある方なら、幼児に、薬を日に毎回も、忘れず、こぼさず、キチンと飲ませるのは、なかなか大変だったことを覚えておられるのではないでしょうか。
 呼吸に困難を持っている子どもの場合、酸素や呼吸の状態を逐一知らせてくれるモニターや人工呼吸器をチェックしたり、操作したり、子ども自身の様子をしっかり観察(息苦しそうじゃないか、たんがたまっていないか・・・など)もしながら、必要な処置を行っていきます。それが夜間も続きます。「もし機械の不具合や、観察の見落としがあったら・・・子どもの命に直結するかもしれない」そんな不安もつきまといます。この状況を、ぜひ、一度、思い浮かべてみてください。
 看護師や医師は、専門職として、勤務時間があって、その時間内で医療行為を行っています。フルタイム勤務でも週に40時間、残業や当直があったとしても、週60時間くらい。しかも、チームで働いているので、交代で休憩時間もあります。大変なときは、仲間にちょっと声をかけて手伝ってもらうこともできます。
 でも、家族は、24時間365日、週で言えば168時間、もちろん休日なしです。多くの場合、昼間は、お母さんがひとりで見ています。家事や、兄弟の世話をしながら。夜は夜で、家計を支えるお父さんの睡眠を確保するために、やっぱりお母さんが寝たり起きたりしながら、ケアを続けている場合もかなり多いのです。あるお母さんは「この子が生まれてからのこの数年の最大の希望は、一晩だけでいいから、大の字になって、何の心配もなく眠ってみたい、ということ」と語っていました。

 子育て支援では、「親子が孤立しないように、子育て仲間を作るのが大事」と、健康な子どもの子育てにおいても、言われています。精神的なプレッシャーも、子どもの世話の量も緊急度も重要度も大きい、こうした在宅療育の親御さんたちにとっては、いっそう、仲間が大きな支えになり得るのですが、他の子育て仲間と知り合おうにも、機械や処置を必要とする子どもを連れての外出は簡単ではありません。今でこそ、インターネットを活用し、数々の障壁を乗り越えて手をつなぎ合う親御さんたちもいますが、病気やしょうがいの診断がついたばかり、退院したばかりの幼児の親御さんにとって、お互いに励まし合える仲間に出逢うこと、そのための時間を捻出することさえ、難しいことも多いのです。
 親御さん自身が体調を崩したときに、病院へ行くこともままならない。療育にほとんどの時間を費やす母は、かつて誇りを持って働いていた職場を退かざるを得ない。妻子を支えるために、夫は今まで以上の責任感を感じる・・・。そして「何かあったら怖いので預かれない」と親戚の手も借りられないことも。
 おじいちゃんおばあちゃんにちょっと助けてもらう、育児仲間と話をする、ちょっとの間、預け合う・・・そんな当たり前の子育ての助け合いが、たいへん難しいことが多いのです。
 行政の施策として、数日間預かってくれるショートステイもありますが、医療的ケアが必要な幼児を預かってくれる施設は、病院以外にはほとんどなく、あったとしてもかなりの予約待ちになっていることがあります。。
 
 子ども社会への参加

 こうして書くと「寝たきりで、たくさんの機械に囲まれてベットにいる」というような想像がふくらんできそうですが・・・、実際は、立って歩いて、しゃべって、遊べる子どももたくさんいます。でも、医療的ケアが必要だと、幼稚園や保育園では入園を許可されないことが多いのです。理由は「看護師がいないから」「集団生活に適応できないだろうから」、などです。「母親の私が丸1日、園で付き添うから、この子にも、子どもたち同士のかかわりあい、子ども社会を経験させてやりたいのです」と話しても、「親が付き添っていると、他の子どもに悪影響があります」と断られた例もあります。
 子ども社会への参加。
 それは、どの子どもにも保障されるべき権利なのではないでしょうか? どのような状況の子どもも、集団生活に参加すべき、という意味ではありません。
 「子どもの体調や成長に合わせて、子どもが望むときに、また成長にとって必要だと判断されるときに、子ども社会への参加が保証されていること」ただそれだけのことです。
 就学までに、97%の子どもたちが,何らかの集団生活を経験しています。集団生活経験は五歳児のスタンダードなのです。ですが、行政では「学校教育は、子どもの権利を保障しているが、保育や幼児教育は必須ではない。そもそも、幼児は親が本来見るべきであるというスタンスを持っている」のだそうです。(行政職員談)
 たとえシングルペアレントであっても、子どもに医療的ケアが必要だと、保育してくれるところがないので、働けないのです。生活保護や、実家を頼るしかありません。数年前までは全国的にこのような状況でした。
 東京などの一部地域においては、このような状況が改善されつつあります。看護師を保育園に配置し、医療的ケアが必要な子どもで「保育に欠ける」場合には、保育を受けられるようになってきています。しかし、「普段は訓練施設や病院の通院があるから、週に一回だけ預かって欲しい」というような要望にまでこたえられているかどうか?、健康上の不安のない子どもと同じくらいの「子育て支援・子育ち支援」を受けられているかどうか? については「まだまだ」という声も耳にします。
 医療的ケアが必要でなくても、障害児、心臓病といった診断名があると、認可保育園での一時保育を利用できないケースもまだまだあります。こうしたスペシャルニーズの子どもたちこそ、親御さんの努力だけでなく、社会全体で成長を支えていく必要があるのではないでしょうか?

(つづく) 
人智学情報誌めたもるふぉ〜ぜ掲載分より一部修正加筆

「ちっちゃなこども園にじいろ」のこと

 みなさん、こんにちは。今年はとても寒い冬ですね。

 ブログの右のメニューに、「ちっちゃなこども園にじいろ」というリンクが張ってあります。このカテゴリでは、もうすぐ7歳を迎える「にじいろ」について、少しずつ書いていこうと思います。
 「にじいろ」は、兵庫県神戸市、明石の海と神戸の山を望む丘の上の住宅街にあります。
 ここで、0歳から就学までの子ども、それから放課後や夏休みなどには時々やって来る学童さんたち、14〜25人が一緒に過ごしています。
 当園は、一時保育と月ぎめ保育を一緒に行っているので、毎日の子どもの人数は少しずつ違います。
 当園では、健康上の不安のない子どもだけでなく、しょうがいや慢性の病気を持った子ども、医療的ケアの必要な子どもも一緒に過ごしています。
 土地は八十坪、二世帯住宅のように建てた一階部分を子どもたちの部屋や事務室として使っています。1階の床面積は三十五坪ですから、この近辺の普通の一戸建てくらいです。
 「にじいろ」は、2009年1月にオープンしました。その前は、ここからそう遠くない西区で建売の一戸建て住宅をお借りして、2004年から「ちっちゃな保育所」として保育を行っていました。「保育所」当時の定員は12人、お部屋も13畳のLDと、8畳の和室の2つでした。
 「にじいろに来たい」という子どもたちが増え、借家の期限もありましたので、新しい場所を探して、この建物を「京田辺シュタイナー学校」の伊藤壽浩さんと一緒に建てました。建てた経緯については、また後日に書こうと思います。

2011年01月14日

あしたのケア 1

「頭でっかちはだめ、知識よりも経験よ」
「習うより慣れろ、ともかく実践!」
「やっていくうちにわかるわよ」・・・!?


保育や看護、介護、広くは教育を含めたケアの領域は、長い間「職人芸」でした。先輩たちの背中をみて、あるいは口伝えで、いろいろなスキルや知識を分けてもらい、後輩が育つ形でした。この形は決してわるいわけではないのですが、「もったいない」ことがいっぱいあります。
まず、この形式の人の育ち方では、年数がかかってしまいます。
ケアの世界では「3年やって1人前」とか「10年やってベテラン」などという言葉があって「知識も技術も判断力も応用力も、ある一定の年数が経たないと、身につかないもの」という発想がありました。

しかし、ケアを行うに当たって求められる知識や技術、判断力は、時代とともに変わり、多くの場合、情報量はより多くなり、質はより高いものを求められるようになってきます。
 ということは、先輩が10年かかってたどり着いたところに、後輩がやっぱり10年かかって、あるいは何とか背中をみて効率よく学んだとして、8年かかってたどり着いていたとしても、時代背景や求められるものの変化に追いついていくこと、質を高めていくことには足りない、あるいは相当の努力が必要、ということになってしまいます。



伝えよう! 知恵と経験

そこで、今まで持っている知識や技術を、後輩たちにきちんと、しかも効率よく伝えていくことが必要になります。もし、先輩たちが自分たちの持っている知識や技術を磨きながら、経験のなかで培われてきたものを後輩たちに伝えることができるようになったら、どうなるでしょうか?
先輩Aさんが培ってきたものを凝縮して、後輩BさんCさんに渡すことによって、後輩たちはより早く、一人前・ベテランレベルに到達し、さらに自身の経験や研鑽を積むことによって、同じ年数をかけても、よりよいケアをたくさん提供できるようになります。

伝えるためには ことば・数字・データ

こうした積み上げを行っていくためには、ケアをしている人自身が、自分たちが行っていることを客観的な言葉や数字やデータに表現していくことが必要になります。
この客観的な表現、というのは非常に大きな力を持っています。まず、子どもをより深く、より広く理解できるようになります。その次に、その現場を離れてからも、もう一度ていねいにその事実を見つめ直すことができます。さらに、他の場面や他の子どもたちの事実と、比較することができるようになります(ここでいう比較は、子どもたち同士を比べて優劣をつけるのではなく、事実がどうなっているのか、をみるための比較です。「よく泣く子だね」というのは保育現場ではよく聞かれる言葉ですが、「本当によく泣いているのか? どのくらい長く泣いているのか? どのような場面で泣いているのか?」 他の子が泣いている頻度、時間、同じ場面での泣く泣かない、ときちんと比べてから「よく泣く」といっているのと、何となく、保育士の肌で、感覚的に「よく泣く」といっているのとでは、その意味が全く違ってきますね)

言葉・数字・データにしてみたら・・・
他の人と話し合える 分かち合える

さらに、もっといいことがあります。明確に表現することによって、他の施設や他分野の人と対話が可能になるのです。つまり、自分たちの現場だけでなく、ほかの人たちの経験や知識、技術を分かち合うことができるようになります。分かち合い、磨きあいは、今、関わっている人たちのレベルを向上させるだけでなく、新たな人材を育成することにつながり、ケアの拠点が増えます。すると、そうしたケアを受けることができる人たち(子どもたち)が増えます。
そうして、お互いに質や量を高めることになり、さらに、時代背景や求められるものが変化してきても、これまでの経験・知識・技術が明確な言葉やデータになっていますから、これらを統合して対応することもできますし、新たなものを付加することになっても、道筋が見えやすいのです。

時間・空間を超えて、知恵と経験を共有する

「こどもコミュニティケア」でいうと、たとえば「全国的にも珍しい『要医療ケア児の統合保育の実践』」という知識や技術、経験があります。今年5年目になる保育者が、自分の実践を言葉やデータに表し、同じ園のスタッフや新人に分かち合うことで、同じように高いケアを提供できる時間を短縮することができます。また、言葉やデータに整理すること自体を通じて、本人の知識や技術が深まることも多々あります。さらに、これらを他の現場を持っている人たちや、これから「要医療ケア児の統合保育に取り組もう」と思っている人たちに分かち合うことで、こうした現場が全国各地にできることも期待できます。保育でなくても、要医療ケア児に関わっている人たち(保護者・医師・保健師・看護師・教員・心理士・各種療法士・介護者・ヘルパー・・・などなど)と、対話することができるようになると、それぞれの経験や専門的知識、技術を分けてもらうことができますし、保育という現場の経験や知識、技術を分かち合うことで、連携が深まります。もし、今までに(この現場では)経験のないケアや観察が必要な子どもさんが園にやって来たとしても「うちでは経験がないから、ご依頼をお受けできません」などということなく、関係者との対話と連携によって、そのときにできる最高のケアを提供できるように努力することが可能ですし、その経験を次に、さらに他の場所での実践につなげることにもなるのです。

(NPO法人こどもコミュニティケア ニューズレター「うてな14号」より転載)

あしたのケア 前書き みたいなもの

もっと保育を ケアを知ってもらおう!

 筆者は、もともと保育が専門ではないのですが、この6年、こどもコミュニティケアで保育士さんたちと保育を行ってきました。他の保育現場に関わっている方々ともたくさんお話や交流、見学をさせていただきました。その中で感じたことは「保育士さんたちは、こんなにすごいこと(ケア)を毎日して、子どもたちの人生にこんなに深く関わっているのに、世の中の人たちはそれを知らないままでいる。なんてもったいないんだ! 子どもたちのためにも、保育士さんたちのためにも、このことをもっともっとお互いに、言葉に、データに出さなければ!」ということです。

ひとつひとつのケアは
 その子の人生とも
  社会とも 
太くつながっている

今の日本では、待機児童の数に表されるように必要量が急増しています。また、様々な背景を持つ子どもと保護者を支えるために、質も急上昇することを求められています。
先進国でありながら貧困率が上がっている現状を打開するのは、景気刺激策ではなく、子どもたちの教育(保育)環境を整えることである、ともいわれています。
 保育士や幼稚園教諭のみなさんの専門性を高め、社会的な地位を上げ(もっといいお給料や社会的評価がもらえるような仕事として認知され、障害の仕事として続けられる労働条件を整えること、等)、物理的環境も整え(設備だけでなく、もっと小規模のクラス編成にして、保育士の配置を増やすこと、等)、ケアの質も、もっと高めていく必要があります。
毎日起こる出来事も、自分が行うケアのひとつひとつも、こどもコミュニティケアの取り組みのサイズも、一個一個は小さいかもしれませんが、発信して、共有して、つながっていくことが、ケアの新たな時代の幕開けへと確実につながっています。

 
(NPO法人こどもコミュニティケア ニューズレター「うてな」第14号より転載)

「あしたのケア」 始めます

みなさま2,011年をどのように迎えられましたか?

さてさて、やっぱり更新まで、長い間が空いてしまいました。

昨年の後半くらいから、他の方から「少し書いてください」というお話をいただくことが数件ありました。
これは、「今まで、たくさんの情報や手助けをいただいてきたのだから、そろそろ、あなたからも、ちゃんと発信していきなさいよ」ということなのかなぁと、感じました。

ここに書いていくものは、今、このときに私が感じていること、考えているものになります。
まだまだ経験も深くなく、浅いものも多いと思いますが、読んでくださった方が、考えるきっかけになったり、材料にしてくださったりしたら、本当にうれしいことです。
私もより深い学びになるものと思います。

と、そんなところで、新しいカテゴリを作りました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

末永美紀子

2010年05月07日

人智学医療の講演会が開かれます!


moushikomi.pdf

kangoannai.pdf.pdf
シュタイナー思想に基づいた「アントロポゾフィー医療」 最近は書籍も発売されて、着目されています。
大阪と東京で、下記のような講演会が開かれます。

アントロポゾフィー看護を学ぶ看護職の会では、イギリスの人智学施設で多くの経験を積まれた久保さえりさんをお迎えして、公開講座を 東京・大阪でそれぞれ開催いたします。
久保さえりさんには今年1月の第4回公開講座でもお話しいただき、たいへん好評でした。今回はみなさまの第2弾を望む声に応えての企画です!   みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

大阪 【私の体験したイギリスのアントロポゾフィー看護】        
日時 : H22年6月5日(土)13時30分〜16時30分(受付13時〜)    
会場 : 阿倍野市民学習センター(大阪市阿倍野区)アトリエ          
受講料: 会員2000円、非会員3000円、学生1000円
    (当日・会員2500円、非会員3500円、学生1500円)
医療関係者だけでなく、一般の方も気軽に参加できます!!

東京 【アントロポゾフィー看護の実際 PART1 〜英国での経験をとおして〜 】
日時 : H22年6月20日(日)13時30分〜16時30分(受付13時〜)
会場 : 聖母ホーム(東京都新宿区)
受講料: 会員2500円、非会員3500円、学生500円
    (当日・会員3000円、非会員4000円、学生1000円)
Part2も予定しています!

講師 : 久保さえり氏
略歴 看護学校卒業後、公立病院の看護師、看護学校教員を経て36歳で渡英。アバディーンのキャンプヒルのボランティアをはじめ、肢体不自由児施設、ケアハウス等で働きながらキャンプヒルの人智学看護師コースを受講。また、人智学の診療所兼ナーシングホームであるパークアットウッドクリニックにて看護助手の研修などを経験。その後、ケアハウスのハウスマザー、老人ホームのスタッフ、人智学の病院ラファエルセンターでの看護研修、エクスターナルアプリケーションセラピストとしての勤務を経験した後帰国。バイオダイナミックスマッサージ師、人智学的な芸術療法士の資格も取得。

<申し込み方法>
PDFの申込用紙にご記入のうえ、ファクス 050‒3415-3190 いただくか、
またはメールにて、
お名前
必ず連絡がとれる連絡先(TEL・FAX・E-Mail)
参加希望会場
を  事務局(村上)e-mail anthro-nr@rel-int.jpn.orgまでお送りください。
申し込みの後、1週間以内に受講料を郵便振替にてお振込みください。
 ☆ 振込用紙の半券(領収書)が入場券の代わりになりますので、当日お持ち下さい。

<振込み先> ゆうちょ銀行
 振替口座 00110−9−726537
アントロポゾフィー看護を学ぶ看護職の会
他行からの振り込みは
 〇一九(ゼロイチキュウ)支店 当座預金 0726537

※看護職が対象ですが、一般の方も参加できます。
応募多数の場合、看護職の方を優先させて頂きます。
※当日参加も可能です。


〜 皆さんご存知ですか? 〜
2007年、ドイツで行われた大規模な病院調査
<患者が選ぶ病院ベスト100>で、第1位と第21位が
アントロポゾフィー病院だったそうです。
身体と心と魂を優しく癒すアントロポゾフィーの看護を
ぜひご一緒に学びましょう♪


大阪会場 阿倍野市民学習センター
地下鉄谷町線「阿倍野」駅7 号出口より
あべのベルタ地下2 階通路を通りエスカレーターで3 階へ
地下鉄御堂筋線・JR「天王寺」駅より各徒歩8分
近鉄「あべの橋」駅より徒歩8分
阪堺電軌「阿倍野」駅すぐ
TEL 06-6634-7951
〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋3-10-1-300
あべのベルタ3 階

東京会場 聖母ホーム
(下落合駅徒歩6 分、椎名駅11 分)
聖母病院の隣、下落合駅側の建物が聖母ホームです。
東京都新宿区中落合2-5-21 пF03-3953-4028

アントロポゾフィー看護を学ぶ看護職の会
事務局(村上)
〒168-0071 東京都杉並区高井戸西2-15-19
ルリユール ・ アンテリユールL . L . P. 内
Tel and fax 050‒3415-3190
http://www.justmystage.com/home/anthro1ns/
e-mail anthro-nr@rel-int.jpn.org

2010年04月05日

症例検討会のお誘い

兵庫県立大学看護学部で、定例で行われている
「小児症例検討会」で、このたび、テーマ提案者となりました。

障害児や要医療ケア児にかかわっておられる方、これからかかわっていきたい方、
福祉、教育、看護、ボランティアの方々も参加できるそうです。

慢性疾患を持ち、入退院を繰り返しながら、在宅でご両親からの医療的ケアや観察をうけながら、成長してきたお子さんをご紹介し、「地域で、彼らが健やかに育っていくために」私たちがどのように手をつなぎ、連携していけるのか、皆さまからのアドバイスをいただき、新たなつながり作りの場となればと願っております。

平日夜になりますが、ぜひおいでくださいませ。

なお、連絡先は、兵庫県立大学となります。
どうぞよろしくお願いいたします。

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テーマ:地域で健康なお子さんと病気をもつお子さんの両方を受け入れながら保育をされている、保育園からテーマを出して頂きます。病気の子どもを抱えながら、家庭から社会へこどもが成長していく中で、看護、福祉、教育がどのような役割を果たせるか、広い範囲から検討できると思いますので、多くの皆様にご参加頂けると幸いです。

参加費用:100円

参加方法:
参加者のお名前と、「4月14日小児症例検討会参加」と明記の上、FAXして下さい。
FAX送付先:078−925−0878


連絡先:兵庫県立大学 看護学部 生涯健康看護講座
              TEL:078-925−9441(直通)
               
参加連絡締切:4月12日(月)
     
*時間帯が夕飯の時間ですので、どうぞお弁当などをご持参下さい。
 大学近くにコンビニエンスストアなどがございませんので、ご注意下さい。
 お茶はこちらで用意しております。

*校門のチェーンゲートシステムが作動している場合、お車の方はインターホンでご連絡ください。



*電車→バスをご利用の場合
JR山陽本線・山陽電鉄明石駅でおりて、明石駅北側バス停「北4番」から神姫バスもしくは明石市営バスに乗車し、「がん(旧成人病)センター」で下車して下さい。バス停から西に歩くこと数分でキャンパスです。(バスは約15分おきに
発車、所要時間約6分です。)