子どもを産み育てる年代は、20代から50代。つまり、働き盛りの世代と一致しています。
企業も、行政も、農業も漁業も林業も、NPOも、働く人々がいてはじめて、その機能を果たせます。
日本では、これから20〜50歳代の「働き盛り」の世代がどんどん減少していきます。それは人口構成を見れば、ハッキリと現れています。一方で、より良い介護や医療、教育のために求められる人材は、質だけでなく、数をも必要としています。機械にに替わってもらいにくい業種は、結構、多いものです。
企業の機能が滞ったら、私たちの生活はどうなるでしょうか? 多くの都市生活者の家には、週に1度以上は買い物に行って、買い足すことを前提にした程度の食料置き場しかありません。1年分の食料を自分たちで保管する場所も技術ももはやありませんし、日常生活品も自分たちで作れないものが多いのではないでしょうか。
働く人が少ないと、子どもの健診やゴミ収集回数が減るかもしれません。道路や橋の補修整備がなかなか行われず、危険が増すことも考えられます。
夜に病院に駆け込んでも、医師や看護師が足りなければ、充分な診療や治療を行うことはできません。人が少なければ、昼間に診察に行っても、延々と半日以上待つことになるかもしれません。どんなに立派な診断機器が揃っていても、です。
消防署や警察署に電話をしても「今、出払っていて、すぐには行けません」と言われるかもしれません。
あなたの親が介護を必要としたとき「いえ、今はもう一杯で。空き部屋はあるんですけど、介護士がいないので、お引き受けできません」と言われるかもしれません。(実際にこういう事態はすでに起きています)
あなたの子どもが大けがをしたとき、輸血の血液はあるけど、運ぶ人がいない、という事態に出くわすかもしれません。
私たちは、その時に「そうだなぁ、子育てをしている人たちは、子ども最優先なんだから」と理解を示せるでしょうか?
保育の制度やしくみを考える前に、「親が育児に専念できる、あるいは育児に時間を割くことができるようになる社会でありたい」と願うのは、別に間違っていません。実際に「育児の時間を増やしたい」と願っている親も多いのです。
ですが、そのことが、私たちの望んでいる社会の機能と、どのようにつながっているのか、考えてみる必要があるのではないでしょうか?
保育の重要性と女性の社会進出、働く女性が増えることは、よく並べて議論されますが、女性が働くことは、単純にその女性の「自己実現」とか「家計の維持」だけに理由を求められるものではありません。これまでの社会機能を維持するために、また、これから必要と考えられる社会機能を作り出していくためには、これからの日本は、たくさんの人が働いて、社会を支えていくことが必要な時代に突入していると言われています。
できる工夫はいろいろある
といって、長時間労働、長時間保育はしょうがないよね、あるいは、子育てのために社会の機能の縮小は仕方がないよね、といいたいわけではありません。「子育てのために働く時間を減らしたい」「この時期は、子育てに専念したい」というそれぞれの個人の希望は、あって当然ですし、そのことを地域や家族、社会でサポートすることは大切です。一方で、よりよい対人サービスや福祉、医療、行政機能も求められてくるでしょう。
みんながハッピーになるために、私たちは、自分たちとは違う立場、自分とは直接関係がないと思われる社会機能についても、データや事実を集め、大いに想像力を働かせる必要があります。
育児のための時間短縮勤務は、多くの事業所で取り入れられています。ワークシェアリングも有効な一手です。一方で、ひとりひとりの仕事の能率をアップしていく工夫や努力も必要です。1つの仕事を手分けして、スピーディに行うわけですから、今まで以上のコミュニケーション能力やIT機器の活用スキルも求められます。
一方で、各省庁や医療機関が持つデータベースの一体化など、個人情報保護にとらわれすぎずに、私たち市民が協力していくことや、消費者でもある私たちが、迅速で正確で長時間のサービスを過剰に求めすぎないことも大事かもしれません。
どんな仕事にも、正念場はあり得る
しかし、どのように仕組みを工夫し、仕事を分け合い、能力を磨いても、時に「どうしても休めない、抜けられない、すぐには帰れない」ということはありえます。
お掃除の仕事で、受け持ちの場所の水道管が壊れて、下の階に迷惑をかけてしまった、その時に、上司への報告、後始末、下の階へのお詫びなどで、普段の勤務時間はあっという間に過ぎてしまうでしょう。でも、やっぱりその時の当事者は、その事を放り出して帰るというわけにはいかないものです。一段落したところで、一緒に働いている方々が「君はもう良いよ、後は引き受けるから」と言ってくれることは「補い合い、助け合い」であって、「子育てしてるんだから、当たり前」のことではありません。
あなたの手術を担当する外科医が、少し手術の時間が後ろへ押したからと言って、他の医師と交代する、そのために、一時手術を中断し、麻酔時間が長くなり、申し送りの発生によってリスクが高まったとして、あなたは「そうだね、育児のためなら仕方ない」と納得できますか? そこには、当然、交代要員の確保のためのコストもついて回り、場合によってはそれらの重なりが医療費を押し上げますが、それを患者として、心から納得して支払うことを、覚悟できますか?
会社の中で、この2年で取り組むプロジェクトが、自分の将来のキャリアを大きく左右する、そんな正念場を迎える人もいるでしょう。
同じ部署の人が、病気にかかって急に休職することになった、その補いをみんなで手分けして行うことは、ごく普通です。補う合うために、そもそも平時から余分に人員配置をできる職場は良いですが、そんな「過剰な人員配置」をしていたら、お役所だったら市民から、会社だったら株主から「そんな無駄な配置をするなんて!」とお叱りを受けるかもしれませんし、経費がふくらんで、長い目で見ると、経営や財政が苦しくなるかもしれません。
子どもを持つタイミングはさまざまです。予定していなかった時期に、授かることもあります。それは、自分の仕事が正念場を迎えているときだったり、昇進を控えた大事なときだったり、親が倒れて介護が必要だったりするときと重なることもあるのです。専業主婦にだって、介護や、パートナーの単身赴任など、正念場はあるのです。
「ここは外せない」という時期も、期間も、さまざまです。毎日夕方5時、毎月月末は、スタッフ全員が揃って、情報を共有し、一緒に作業することが必要、という職場もあるでしょうし、月に1回くらい、突発的な正念場がやってくる人もいれば、「この2年間が勝負。ここを乗り越えれば、異動希望も叶ってもっと公私両立ができるようになる」という人もいるでしょう。
正念場を乗り越えて、大人たちは、自己実現を果たすだけでなく、社会を形成し、機能させています。
保育を通じて社会を支える
子どもは、働く大人のそばで、遊んだり手伝ったり、模倣したりしながら大きくなる・・・。それは長い間、人間社会のありようだったかもしれません。しかし、現代は、子どもが大人のそばで遊びながら過ごすことが難しい時代かもしれません。
今の大人たちの職場に、子どもが一緒に行くことが、子どもにとって本当に望ましい、と言えるでしょうか?
望ましい、と言えない職場が多いからこそ、私たちは、保育やベビーシッティングという仕組みを作り出してきたのではないでしょうか。
私たち「にじいろ」では、「保育とは、子どもの健やかな成長を支援すること。子どもの成長を支援することで、親の就労や自己実現を支え、それを通じて、社会機能を支えている」ということを意識するようにしています。
もちろん、園では日々の大人の仕事を意図的に子どもたちの見えるところ、手の届くところで行い、子どもたちが手を伸ばしてくれば、一緒に行います。共にやるように促すこともあります。これは、料理や洗濯、掃除といった営みが、幼児にも分かりやすく、喜びをもたらすものだからです。
もう一方で、保育者の私たちが、「子どもたちの両親が社会や家庭、地域を支えておられることへの畏敬の心」を持つことは、子どもたちにとっても、とても重要なことだと考えています。
だからこそ、質の高い保育を
長時間の保育が、子どもにどのような影響を及ぼすのか、これはまだまだ研究途上であり、データを積み重ねていく必要がある領域です。
データが出そろってからでは、今、長時間保育を必要としている子どもたちには間に合いません。
また、データとして取りにくい要素もたくさん含まれています。
子育て、保育、幼児教育の諸先輩方の「経験」や「直観」も大きな力です。経験や直観を軽視することなく、その上に客観的事実を積み重ね、より良いものへと高めていく意識が、保育者にも、保護者にも、社会にも必要です。
教育の成果は、半世紀後に現れると言われています。戦後すぐに創設された認可保育園制度の成果は、今の20〜50歳代の方々に現れている、とも言えます。
つたない私見を、ずいぶん長々と書いてしまいました。見た画面は・・・一面、字だらけ、ていう印象ですね(笑) ごめんなさい。
次は、質の高い保育をしていくために、工夫していること、取り組んでいることについて書いてみようと思います。
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