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スクールソーシャルワーカーとして小中学校で勤務しているゆっきーの日々を紹介。NPOでの活動紹介や大学非常勤講師の話題もあります。
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webレポート1メール提出レポート(龍大) [2012年05月28日(Mon)]
今日は休講ですみません。
そのぶんしっかりと発表準備が出来るかな?

さてメールで送られてきたレポートを
紹介していきますがさすが2学科分あるので
11人分で文量が多いので追記機能を使います。
下記の「続きを読む」をクリックすることで
レポートが読めます。

来週はこのみんなの意見を読んでの
質問をするのであしからず。
○こにたん
 私はパン屋さんでアルバイトをしていて掃除をまったくしない後輩の子がいた。
私は飲食店でもあるし、汚い店にお客さんは来ないとマイナスばかりなので、注意という形で対応した。しかしその後輩の考えでは、掃除は苦手、誰かがやればいいとの考え方であった。
 この価値観の違いを調整するとすれば、なぜ飲食店は綺麗でなくてはならないのか、綺麗な店であるとどんなメリットがあるか、掃除の楽しさや、自分にしかできない掃除のやり方、なぜ苦手になったかじっくり話を聞くなど、細かく掃除についてじっくり話し、ゆっくりと掃除をしてもらいやりがいを見つけてもらう。そして、じっくりと話を聞く。
 誰でも、苦手意識があると意欲的にそれをやってみようや克服しようとするのはなかなか難しい。まして、頭ごなしに注意されるともっと聞き入れ考えにくい。ただ注意するのではなく、なぜなのか、後輩なりの思いや考えをじっくり聞くことが大切であると思う。

○ふじむー
 友達と『食』について、価値観が全く違います。
私は食べることが大好きでとても幸せなことなのですが、その友達は食べることに興味がない、執着しないそうです。 めんどくさくなれば、食事をとらない時もあるようです。 『食』が大切なのは言うまでもないですが、その人にも色々な背景があるから、そうなってしまったという可能性も考えなければなりません。昔、食中毒に当たって食べることに抵抗があるといった過去があるとしたら、食べることに執着がなくなるのも頷けます。 無理に食べることの大切さだけを説明するよりも、その人が安心して食べられるような食べ物を用意、そして説明すれば、食べやすくなるのではないでしょうか? その人の体質は考慮してしかるべきだと思います。

○まま
 父とテレビを見ていると、生活保護を受給している男性のドキュメンタリーが流れた。そこには、男性が親の介護や家事等のストレスから、昼間からお酒(比較的安い発泡酒ではなく、ビール)を飲んでいる姿が映し出されていた。それを見た父は、「働きもせず、高いビールばっかり飲むなんて。」と言ったが、私は“生活保護をもらっていても、ちょっとした贅沢をしてもいいのではないか”と思った。
 もし、父の価値観を調整しないといけないとなると、一方的にこちらの意見を伝えたり、もっともらしい理論を振りかざすことでは、相手の反感を買ってしまうおそれがあると思う。そのため、父がなぜそのように思うのかということを尋ねたり、そのように考える背景を理解しようと努め、それらの気持ちに共感しつつ、父の性格(どのような伝え方なら受け入れやすいか等)にあった伝え方等を工夫し、調整していくことが大切かと考える。

○めぐりん
 私は、祖母にプレゼントを贈ったときに、自分との価値観の違いを感じました。祖母は、私が明るい色の服をプレゼントすると『こんな色は着ないから返すわ』と言って受け取ってくれませんでした。私はプレゼントをいただいたら、中身に関係なく、まずはお礼を言ってその気持ちを受け取ることが大切であると考えています。それに対して、祖母はそんな様子はなく、使わないのはもったいないため、それなら使いそうな私に返すことが一番だと考えていました。これが私が価値観の違いを感じた経験です。
 この違いをソーシャルワーカーとして調整しないといけないとなると、まずはその考えを受け止めることが大切だと考えます。祖母からすると、せっかくのプレゼントだからこそ、使える人に使ってほしいという思いがあるので、その気持ちを受け止める必要があると思います。そして、その後に『プレゼントを受け取ってもらえなかったらどう思うか』を祖母に問いかけて、相手の気持ちにも気付いていただけるように配慮しなければならないと考えます。
 このように、ソーシャルワーカーは、お互いの気持ちを代弁して繋げる役目をしなければならないと考えました。そして、価値観は異なっていて当たり前なので、どちらがあっていて、どちらが間違っているだとかそういったものではないと思います。片方の考えを押し付けてしまわないよう、両方を尊重しなければならないと考えます。

○あんず
 働くことに関しての価値観の違いをバイト先の後輩に対してよく感じることがある。私は最低週5日程度働きたいと思うが、彼女は週1日程度で働きたいと思うようだ。これは自分の生活において何に重点を置くかの違いだと考える。
 私の経験を例にすると、生活に重点を置いていることが働く事なのか、自分の自由な時間なのか、などのようなことを見極めなければならない。ソーシャルワーカーとして調整するにあたっても、その調整される人が人生や生活において何を大切にしているかを尊重する配慮が必要だと考える。

○おにし
 私が自分と人との価値観の違いを感じたのは、友人と交わした子どもについての会話でした。私は「幼稚園児なんかは変に自分を偽ったりしないし、常に体当たりで人と接している素直な感じが好き」と言ったのに対して友人は、 「小さい子は自分を偽らないが故に人との衝突も絶えない。そういった世渡りの下手な感じが嫌い」と言われたことがありました。同じ事を言っているのに、捉え方が間逆で驚いたことを覚えています。
 この違いを調整するにあたって、調整される人の視点に立って考えると、まずはその人の考えを受け入れた上で、異なった考え方を何故そう思うようになったのか細かく説明するといった配慮が必要なのではないかと思います。 自分の考えを認められないことには他の考え方を受け入れる余裕が出来ないと思いますし、細かく説明することで相手の考え方を段階的に理解する事ができ、異なった考え方でも受け入れやすくなるのではないかと考えます。

○じゃんや
 中学のときに野球部として一緒に頑張ってきた友達がいます。父子家庭で、親の仕事がトラックの運転手で、地方まで行くときは家に帰ってくることが少なくなるそうです。親が身近にいないことで、夜は遊びにいったりと自由に生活していました。僕がこの友達と価値観の違いを感じるものは、自由すぎて自分が大丈夫と思えば健康もあまり気にしないことです。食事も自分でしないと出てこないので断食して、学校の仲の良い友達から奪う。結局、給食を頼むようになったが、友達や近隣のつながりを重視しないといけないと感じました。

○お春
 フィリピンで障がい児支援・貧困家庭支援をしているNGOのスタディーツアーに参加させて頂いた時のことである。ホームステイ先は5歳の男の子(以下Aくん)と母、祖母が3人で暮らすお宅だった。Aくんには中度の自閉症・ADHD・LDがある。私がAくんの母親から聴かせて頂いた話によると、決して裕福とは呼べない周辺地域では、人々の“障がい”に対する理解が浅く、見た目に分かりやすい身体障がいには一定の理解はあるものの、知的障がい・精神障がいについてはその概念そのもが認知されていないのか、大半の人々が「親のしつけが悪いから子どもが問題を起こす」と考えているようであった。
 そこにソーシャルワーカーとして介入するのであれば、まずは異なる価値観の是非を問うことはせず、相手の価値観を理解しようとする姿勢を示すことが求められるだろう。価値観とは、自分の経験や置かれてきた状況のなかで築きあげられてきた主観的な感覚であるため、他者との価値観の違いに対し、一定の社会的ルールはあるにしても、その“是非”を問うことはそれもまた主観的であり判断は困難である。また、価値観を否定されることは自分自身を否定されているようにも感じられることから、ここでは価値観の違いを否定せず、理解しようとする姿勢が重要であろう。
 また、相手がなぜそのような価値観を持っているのか、その経緯や構造に着目することもソーシャルワーカーとして求められる視点だろう。今回取り上げた価値観の違いには、本人の思想のみならず、その背景として、障がいのある人々を理解したり交流する機会の不足や学問や教育の発展とその充足状況、不十分な社会保障、政治・経済状況、歴史、文化、宗教、地理など様々な条件が関連していることが考えられる。そのように価値観を持つ人を環境あるいは社会の中の人として捉え、理解することで、異なる価値観が生まれた理由とそれらの調整への方法が見つかるのではないかと考える。

○のんちゃん
 バイト先の店長が最近起こった殺人事件の容疑者に対して「最低」「自分が死ねばいい」等と批判的な意見をひたすら述べていた。世間ではそう言われてしまうのは仕方ないのかなと思う反面、犯罪を犯す理由がその人なりにあったのだろうし、その人の成育歴にも何か問題があったのではないかと思う。
 ソーシャルワーカーとしては店長の価値観を否定することはしてはいけないように思う。価値観そのものを否定すると信頼関係も崩れてしまう。店長がどうしてそう思うのか、店長の価値観も受け入れた上で、他にもまた違った価値観があるということを説明し、受け入れてもらうようにすればいいのではないか。

○りか
 子育ての価値観について、価値観の違いを感じたことがあります。高学歴を目指す保護者の方、子供は何も文句も言わず勉強を頑張っています。ですが保護者の考え方の影響か、子供は勉強ができるかできないかで人の価値をつけようとします。大人は自分よりもちろん勉強ができるのでゆうこともききます、でも宿題につまずいている子を見て、バカにしたり見下したり、自分の方がいい子だと思っています。遊びの中でも上下関係を作ります。保護者はその状況を見て、子供の喧嘩で片付け、大人の言うことも聞くからいい子といいます。
 ワーカーとして調節していくうえで、まず勉強ができることは大切であるしその考え方は否定はしない、今に考え方にプラスするという意味で、人間性や社会性についても学んでいくことがこの子の将来のためだということを理解していただけるよう時間をかけながら、言葉の説明だけでなく、子供の遊びの様子を見てもらいながら考えていくべきだと思います。

○かや
 私は、中学校の頃に、部活の指導の一環として毎朝地域のゴミ拾いをしていた。初めの頃は仕方なくやっているという感じだったが、毎日続けるうちに、自分達の地域が綺麗になっていく達成感や、「ありがとう」と声をかけて下さる地域の方々の言葉がとても嬉しくなってきた。ゴミを拾うというたったひとつの行為によって、自分も周りの人も良い気持ちになるのだと感じた。
 しかし、毎朝ゴミ拾いをしていくうちに「ポイ捨て」をする人のことがとても目につくようになった。それは今でも変わらず、ゴミを簡単に捨てる人に対して、怒りの感情を持抱いてしまう。捨てる人がいれば拾う人がいるという簡単なことが何故わからないのかと思ってしまうのだ。 このことから、ポイ捨てを出来る人と私とでは価値観が違うのだと考える。
 ソーシャルワーカーとして、自分と価値観の違う人に対して、どのように関わっていけば良いかという点では、まず何故ポイ捨てをするのかということを考える必要がある。地域にゴミを捨てる場所は不便なくあるかということや、ポイ捨てに関しての意識調査等をしていけば良いと思う。

○かな
 私は、部活動で吹奏楽を12年間続けています。小・中学校は地元の公立の学校に通っていましたが、たまたま全国大会に出場するような伝統のある学校であったので、毎日練習も厳しく、部員のやる気も半端ではありませんでした。その熱は冷めることなく、高校でも、これから力を入れるという創部2年目の大阪の私立高校に入学しました。すると、そこでは、部員気持ちの入れ方がそれぞれで価値観の違いを感じました。今まで、部員人員が一つになり、力を入れるのが当たり前だと思っていましたが、それぞれ違う学校から集まってきたことによって、人それぞれ当たり前の気持ちの入れ方が違うということがわかりました。初めは、そのギャップに部活動に行きたくない気持ちもあり親に相談した時に、「それぞれ違った所から来たら、価値観が違う。それにいらいらするのではなく、わかった上で、巻き込んでいかないといけないのでは?」と、言われてからは、凄くやりやすくなり、部全体のモチベーションも上がっていき、全国大会に出場することができました。一方的にいらいらするのではなく、相手のことを知って考えたうえで、かかわっていくことが大切なのだと、感じました。
Posted by ゆっきー(幸重忠孝) at 21:38
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