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COP21と太平洋島嶼国 [2015年12月03日(Thu)]

パリで気候変動枠組条約締結国会議、UNFCCC・COP21が開催されています。昨年来、世界各国でこの会議に向けたさまざまな取り組みが行われてきました。

日本と太平洋島嶼国の関係では、3月の世界防災会議、5月の太平洋・島サミット、9月のPIDFサミット、PIFサミット、国連総会・持続可能な開発目標合意とひとつひとつ積み上げがなされ、ついにパリCOP21というところではないかと思います。

自分は日本や太平洋島嶼国で、日本人に限らず、さまざまな組織でそれぞれの立場で気候変動問題に関わっている友人・知人がいるので、あまり不正確なことは言いにくいのですが、自分が、いくつかの太平洋島嶼国で、特に2007年頃から見てきた中で感じる気候変動と太平洋島嶼国の関係の変化を書いてみたいと思います。以前書いた内容と重複することもあるかと思います。

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(これはパラオの海)

自分は、太平洋島嶼国各国は、2007年頃から2011年頃まで、リーマンショックで信託基金が元本割れになったり、原油価格や穀物価格の高騰など、太平洋島嶼国各国ではコントロールできず、世界市場に翻弄されていたことから、先進国からの支援を拡大させる目的で、地球温暖化、のちに気候変動を取り上げたと考えていました。

木が倒れても、大潮で冠水(元々浸水する部分を埋め立てたところが主)しても、干ばつになっても地球温暖化(のちに気候変動)と言い、日本など先進国のせいだ、損害と被害に対する補償を求めるとなる構図(これは単純化しすぎですが)がさまざまな場面であり、「金が欲しいだけなんだろう?」と、自分は正直ウンザリしていました。

しかし、特に2012年以降でしょうか、太平洋島嶼国の沿岸部、マーシャルやキリバスなどの環礁では多くの土地で、潮位の変化が大きくなり、浸水や浸食が明らかに酷くなっています(検索すれば、潮位の変化について科学的データが見つかると思います)。

よく、太平洋島嶼国で海面上昇があるなら全世界の沿岸部で同じ問題が発生しているはずじゃないか、自分もそう思うこともありました。しかし、詳しくはわかりませんが、赤道付近と高緯度地域の遠心力の違い、熱膨張、低気圧の発生しやすさ(?)、太陽光の入射角や日照時間の違いなど、例えば東京と比べても条件が異なるのではないか、世界一律では考えられないのではないかと思っています。しっかり調べていないので、科学的根拠はわかりません。

ここ数年、実際に友人がいる土地が浸水する様子を毎年のように写真や映像で見たり、被害の現場を見ると、「実生活には問題がなくても、金が欲しいから声をあげてるんだろう」とは考えられなくなりました。

気候変動/気温上昇/海面上昇が人間活動によって引き起こされた、加速されているという点は今も疑問ですが、少なくとも、実際に住民の生活が脅かされている村があり、十分に対処する能力も財力もない国々はその目的に合致した、気候変動への適応という面での支援は必要なのだと思います。

緩和という面では、温室効果ガス云々はわかりませんが、キレイな空気は皆が希望するもので技術の進歩に繋がると思いますし、二酸化炭素は個人的には温暖化というよりも海洋の酸性化の視点から排出削減が必要なのではないかと思います。

太平洋島嶼国各国は、表面的な理解で声を上げているわけではなく、その声は真剣なものです。UNFCCC・COPは太平洋島嶼国にとって存続をかけた戦いの場になっているのではないでしょうか。

太平洋島嶼国の人たちは、根が明るい傾向があり、また強く主張しない傾向があるように思いますが、そのせいか、太平洋島嶼国の人たちの動きが、(深い考え方があり、先進国や国際機関等が出すレポートなどに基づいている場合であっても)単なる思いつきや流行りだとみなされたり、考えが浅いとされたり、軽く扱われたり、あるいは笑顔があるので深刻ではないと勘違いされることが少なくありません。この記事はそのことも踏まえ書いてみました。

マーシャル、新たな時代の幕開けとなるか? [2015年12月04日(Fri)]

先月のマーシャル総選挙の最終結果はまだのようですが、現職閣僚の半数及び議長が落選する可能性高く、ざっくり言えば、若者が変化を起こし、2007年来の政治混乱の原因であったノート元大統領支持派とイマタ・カブア時代の閣僚が排斥されたということができると思います。

今回はマーシャルで起こっている大きな変化を理解するため、政治の流れを簡単に紹介し、選挙結果の注目点を記したい思います。

まず基本的部分です。マーシャルは東のラタック、西のラリックに分けられ、伝統的ヒエラルキーは酋長(イロージ=男、レロージ=女)、複数のアラップ(管理人)、リジェレバル(労働者=平民)があり、現在も強く残っています。ただ東はアラップがイロージがふさわしくなければこれを倒すことができますが、西では権威が絶対的です。また酋長には村レベル、島レベル、地域レベルがあり、ここでは地域レベルを仮に大酋長と呼びます。酋長・大酋長の権威は母系相続です(母が酋長の場合は息子にも権利が移ることがあるが、その息子(男酋長)の子供には続かない)。

さて政治史概要です。1〜2年の間違いはあると思うので、詳しくは外務省のHPなどで確認して下さい。

1979〜1996年  大酋長アマタ・カブア大統領。マーシャル最後の全域の大酋長。大酋長のリーダーシップで与野党の対立はあまりなかったようです。

1997〜1999年  大酋長イマタ・カブア大統領。ラリックの大酋長。いわゆる酋長主導のAKA政権。政治腐敗が酷く、第2次コンパクト(2004年〜)の財政支援の方法に影響。

2000〜2007年  ケーサイ・ノート政権。伝統的権威に縛られない平民が活躍できるUDP政権。自由すぎて締まりがなく、リーダーシップが弱いとの声もありました。野党はAKA

2008〜2009年  第1次トメイン政権。与党UDPがノート再選に関して分裂、中立派、UDPトメイン派、単独過半数に達しなかった野党AKAが反ノートで一致し誕生。トメイン大統領はラタック側の大酋長でUDP。自治政府以来継続して議員で、今回も無投票で当選しました。イマタ・カブア元大統領の院政(数カ月後、トメイン大統領は国民重視に転換、AKA側と内部分裂が発生した)。

2009年  第2次トメイン政権。利益を求めるAKA閣僚が大統領不信任案を提出し、否決。AKAが去り、結果的に中立派、UDPトメイン派、UDP反ノート派の政権が成立。国民重視。

2009〜2011年  ゼトケア政権。マジュロ及び一部地域の大酋長。従来の仇敵であったUDPケーサイ・ノートとAKAトニー・デブルムが結託し、トメイン大統領不信任案を可決、トメイン大統領は身を引くものの、AKAから平民に理解のあるゼトケア大酋長を引き抜き、政権を維持。国民重視。

2012〜2015年  ロヤック政権。やはり大酋長。おだやかな方。総選挙の結果ゼトケア政権側が過半数に足らず、AKA、UDPノート派、柔軟なAKA、良心的AKAのハイネ家やモモタロウによる政権。イマタ・カブア元大統領の院政。

自分のネットワークにいる多くのマーシャル人(若者から50代)から漏れ伝わった話では、国民からハイネ家はある程度評価されているが、AKAはクリーンではなく国民に目を向けていない、クリーンではないAKAを倒したケーサイ・ノートが、国民重視のトメインを政権から外す目的でAKAと手を結んだとして拒否反応が高まっていました。

今回の選挙では、UDPノート派(ケーサイ・ノートは無投票再選)、コアなAKAの敗北。トメイン支持派、UDP反ノート派、ラタック側の人たち、新人を含めた若手議員で過半数が可能であり、国民重視政権の期待が高まります。

おそらく戦略的なのは、トニー・デブルム外相を倒すために鞍替えしたアルビン・ジャクリック(若い時にはロックな人だったそうです)、ノートに近いヤマムラ大臣を倒したウトリックのアメンタ・マシュー、リエン・モリスを倒したキャステン・ネムラ前官房長官、アイリンラプラプのアルフレッドJr前財務次官、アメンタ・マシューの親類でフィリップ・ムラー保健大臣を倒したシャーウッド・ティボン。もっとありそうです。

マーシャルでは自分の家系により投票先の選挙区を複数から1つ選ぶことができ、選挙の1年前までに登録します。2007年にウトリックでアメンタが初めてヤマムラを破った時には当時の高校生を含む多くの若者がウトリックに登録し、国会議員だけでなくウトリック政府でも大きな変化がありました。自分はマシュー家の方々と仲が良かったので、この動きをずっと追っており、静かな革命との印象がありました。

今回の選挙では、特に若者がフェイスブックなどソーシャルメディアを活用したとの話もあります。

2007年当時から、ケネス・ケリー、キャステン・ネムラ、アルフレッドJrらが議員になるようになれば、マーシャルは変わると主張して来ましたが、この6〜7年の混乱期を経て、ようやく新しい時代の幕開けとなるでしょうか。

大統領選や組閣がどうなるのか、AKAとケーサイ・ノートの最後の反抗がどこまであるか注目されます。
パラオの魅力 [2015年12月05日(Sat)]

やっぱり太陽と綺麗な海と緑と開放感、ローカルフードと、日本人が感じる親しさでしょうか。ローカルビールも旨い!好きな魚料理は「ニツケ!」、あまり太平洋島嶼国では受け入れられないアンコ、それも「おしるこ」好きですよ。

フィジーで、スバにいたせいもありますが、すぐそばにきれいなエメラルド色の海があり、空が青いなんて、本当に素晴らしい。夕暮れも美しく、すべて許せるように思えます。

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今日は早朝から先ほど夜9時まで仕事でしたが、昼に90分空きがあったので、昼を抜いて、1時間海で泳いで、30分弱ただただ浜で(人工ですが)陽の下で横になり陽の光を浴びて、そよ風を感じていました。ザンビア、マラウィ、ニース、ブルターニュ、沖縄、マーシャル、ポートビラ、スバのプール、カディス、スペインのガダルカナル、日立の夏の海…、今まで過ごしたいろいろな土地や人を自然に思い出す瞬間がありました。やっぱりパラオは素晴らしい。

先月久しぶりにパラオに来ましたが、およそ4年ぶりで、この3年の他の島嶼国の仕事で記憶が上書きされていたため手探り状態でした。今回も短期間ですが、ディテールまで記憶が蘇ってきています。

6年前から4年前に共に仕事をして、何度も何度も何度も繰り返し意見交換をしていた人たちが、まだあちこちで精力的に働いていて、政府の忙しい人なのに「あのヒデか?」と2時間も時間をとっていろいろ話をしてくれたり、爆笑しながら「よくパラオに戻ってきた!」と言ってくれたり。タクシーのおじさんもいろいろ話をしてくれるし、何か長期の出張から帰ってきたように錯覚してしまいます。

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代表してグスタフさん。実はフィジーにいた頃も、ちょっとした策を練って、グスタフさんとPIFのミッチェルさんと自分で、スバ、東京、パラオでパラオの問題解決に取り組みクリアしたことがあります。

自分はフローターのように思うことがよくありますが、こういう人の繋がりがあるから島から離れられないんだと思います。こちらが心配する方なのに「(ひとりぼっちで)ヒデは大丈夫か?」と心配されたり(家族が海外でひとりで生活していることを心配している感じ?)。きっとこれが太平洋島嶼国の魅力なんだと思います。

日本人でパラオに旅行に来られた方も、現地のローカルな食堂に行ったり、ローカルコミュニティや教会のイベントに間違って参加してみると、自然環境とは異なる魅力、「あれっ?何か同じっぽい。」という感じに気づき、細いけれどもパラオに根が張る感じがするかもしれません。空気を読んだり、控えめな態度、受身な態度が大事で、もちろん人間社会なので、怖い人がいたり、上手くいかないこともありますが。
ベッドか布団か [2015年12月12日(Sat)]

先週パラオで、あれはロクサーナさんという、話せばすぐに仕事ができる方だとわかる女性と話したとき、実は4〜5年前に少しだけ話したことがあり彼女がアポ取りのときに自分の名前を聞いて思い出してたそうでしたが、何故だったかフィジーのミッチェルさんの話になりました。

で、今朝ミッチェルさんから、自分が帰国して以来初めてメールがあり、

#これを読んでいる友人知人の皆さん、連絡せず申し訳ありません。少しずつ連絡していきますのでよろしくお願いします。

「大丈夫だと思うけど、生きてるか?」と。

ミッチェルさんはロトゥマ出身で外見がポリネシアの人っぽく、瞳がオリーブ色で、奥さんがモデルさんのように美人。2012年に初めて仕事で関わったとき、その後解決まで1年を要したデリケートで困難な課題があり、ミッチェルさんは見た目はソフトでも大変厳しい議論を2人で2時間以上した事を思い出します。その後もお互い忙しい中、ときに数週間音信不通になりつつも時間を作り、いろいろな意見交換をしていく中で、共闘する関係になりました。本当にお互い忙しくて、食事に行く機会を作れなかったのが残念です。

自分に課していた課題をクリアするまで遊ばないと決めていたので(まあ週末や休日は、走って泳いで料理して音楽やって、楽しんでいましたが)、3年現地にいてリゾートは最後の1週間だけ高級な部屋に泊まったのが最初で最後。しかもナンディもスバも雨で寒くかった。

あ、それでミッチェルさんに、「とりあえず元気で、2週間くらい前に今のアパートに引っ越したんだけど、まだベッドがなくて床で寝てる」と返すと、「噴き出した」と。こんな風に他愛のない笑い話をよくしてたなあと、懐かしくなりました。

さて、マーシャルの選挙ではヒルダさん、デイジーさん、アメンタさん(女性の地位向上、反DVのキーパーソン)が当選し、ジェンダー問題の面からも期待があります。一方で、女性の政策決定レベルへの参画という視点で職場の同僚に資料を借りたところ、サモアについて興味深い情報がありました。

サモアでは、現在全49議席中女性は4議席のみ(だったかな?)。来年2016年の選挙では、女性に必ず5議席配分するそうです。選挙で5人女性が当選すれば良いのですが、5議席に満たない場合、女性候補者で得票数上位者に議席を与えるとのこと。例えば、女性の当選者数が3人の場合、全49議席に2つの女性議席を追加し、合計51議席に。女性が誰も当選しない場合、女性候補者の得票数上位5人に議論を与え、全54議席になるようです。

太平洋島嶼国では伝統社会と現代社会が重なり(伝統法と現代法が存在する場合もある)、国民が自由で平等な権利を有しているかどうか。事務レベルでは次官クラスにまで多くの女性が活躍していますが、政治レベルでは外側から見えない制約があるのかもしれません。
COP21 [2015年12月12日(Sat)]

つい先ほど、パリCOP21(第21回気候変動枠組条約締結国会議)に出席しているある太平洋島嶼国の政府高官の友人から「まるでコペンハーゲンを繰り返しているようだ」とメールがありました。
コペンハーゲンとは2009年のCOP15の事で、確かポスト京都議定書の合意を目標としていたが紛糾し、議長が解任されたり、会期が延長されたりしたことがニュースになっていたと思います。

太平洋島嶼国側は気候変動の深刻な影響を受けている脆弱な国々、最前線として、特に海面上昇を抑えなければならないため、今世紀末までの気温上昇を産業化前に比べて「2度」ではなく「1.5度」とすること、そして気候変動の被害者として「ロス・アンド・ダメージ」という資金メカニズムの2点を特に要求しており、確かにコペンハーゲンの時から主張は一貫しています。

普段それほど連絡を取らない友人からの短いメールでしたが、現地の交渉現場の緊張感と厳しさを感じさせられました。いわゆるパリ協定が採択されるのか否か、その内容を含め、ニュースに注目したいと思います。
実効性はともかく、まずはパリ協定合意! [2015年12月14日(Mon)]

COP21でパリ協定が合意されました。太平洋島嶼国では特に低環礁国や沿岸部の人々の危機感は非常に強く、彼らの主張が義務化されなかった点に不満がある面もあるようですが、少なくとも同協定に記述されたことは、大きなことだと思います。

太平洋島嶼国が現在経験していることは、いずれ先進国の沿岸部や離島でも経験する可能性があるもので、他人事ではなく、自分たちを守るためにも無視できなくなるでしょう。

また例えば欧州のフランスとイギリスは太平洋に領土と国民が生活しており、オランダはやはりカリブに小島嶼領土を有し自国民がいることから、太平洋島嶼国の主張は軽視できないものだったと思います。

自分は十代の時、バブル時代を下から見て、経済成長を否定する考えがありました。しかし、ようやくこの何年かで人々の生活にとって経済成長は基本的に必要なものとの考えに変わりました(中高の頃、内容を理解していたとは言えませんが、ヘンリー・デーヴィッド・ソローの「森の生活」やレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んでいたのを覚えています)。人が生活する以上廃棄物が生まれますが、例えば環境に悪い影響を与えないインフラを整備し維持するためには十分な経済力が必要。経済は重要です。

環境保護・保全と経済成長は両立しないのではないかと相反するものとの印象がありますが、先進国では経済成長分野が少なくなる中、気候変動緩和や適応について新たな経済成長に繋がる種を見つけることができれば、経済主導でパリ協定の目標達成に繋がるのではないかと夢想します。言い換えれば、気候変動緩和と適応が金を産むもの、儲かるものであれば、となるでしょうか。

ともかく、これで今年は2つの大きな国際合意、「持続可能な開発目標」と「パリ協定」が採択されました。太平洋島嶼国では、今後、特にこの2点がアンブレラとしてさまざまな動きに繋がるものと思います。

今日は横浜で佐野元春のライブがありました。インターネットも携帯も無い80年代半ば、茨城の田舎で裕福でもなく小さい社会しか知らない中学・高校時代に佐野元春を聴いたことで、海外だとか国際社会だとか現代アートなどを意識するようになりました。しかし当時は経済的に厳しく、留学どころか実家から出ることも不可能でした。飛行機にも乗ったことがなく、海外どころか東京にも出たことがなかった自分が、20年後、30年後、よく今のようになったものです。

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これに自分とマーシャルのダスティンの話が載りました。ちなみにダスティン夫妻に3人目の子供が生まれたそうです!

また、キリバスでは数名の協力隊員が明るく頑張っていて、現地で何回か一緒に食事させてもらったことがあるのですが、その中から助産師の豊口さんと卓球の行則さんの記事が同じ号に乗っています。

自分の話とキリバスの話。おそらく本当の島の雰囲気が少しだけ感じられるかと思います。
米国原油輸出解禁と金利と太平洋島嶼国 [2015年12月17日(Thu)]

以前、太平洋島嶼国の動きは、2007年以降、石油価格と穀物価格の高騰による主食を含む輸入品の高騰、リーマンショックによる信託基金の原資割れ(運用損失)などの影響を受け、内政や国際社会への対応の変化に繋がったと書きました。ミクロ三国では第2次米国コンパクトによる財政支援形態・資金の流れの変化も加わりました。
ソーラーパネルなど再生可能エネルギーの導入は、島から見れば、化石燃料依存からの脱却=温室効果ガス削減というよりも、発電コスト削減が大きな目的だったと思います。急増した燃料調達コストが、政府財政を圧迫していたからです。

個人的には、人口3万人程度までの小島嶼で電線が引かれているようなところでは、ソーラーよりもディーゼル発電による電力供給が安定して社会の発展にも寄与するものと考えています。

それはともかく、昨日、米国が40年ぶりに石油輸出解禁と驚きのニュースがありました。すでに市場の石油は供給が上回っているところ、さらに米国から市場に石油(重油成分は少ないらしい)が投入されれば石油価格はさらに下落することになるというのが一般的考えだと思います。

また米国が政策金利を上げるとの憶測が流れていますが、市場の米ドル通貨量が減少すれば、普通はドルの価値が上がる、すなわちドル高というのが教科書的考えだと思います。

翻って太平洋島嶼国。この10年弱で再生可能エネルギーが導入されており(効率化が進んだ)、エネルギーの石油依存が減少すれば、さらにさらに政府財政は改善されると思います。

さらに米国経済がよく世界経済が良ければ、信託基金の運用益が増加し、政府財政が改善されます。

例えば、安倍政権と太平洋島嶼国の間接的な関係では、同政権以降、世界市場は良くなりました。それにより島嶼国各国は信託基金運用益で、年数億円(小さな国では歳入の1割以上にあたります)の歳入増が毎年あることになります。何を言いたいかというと、日本広く間接的な経済援助を行っているようにも見えます。

このように米国の原油輸出解禁と金融政策は太平洋島嶼国経済にとってプラスになるものと思います。
よいお年を! [2015年12月31日(Thu)]

今年は日本にとっても、太平洋島嶼国にとっても、節目の年であったと思います。

来年はリオ五輪でフィジーが太平洋島嶼国初のメダル獲得できるかに加え、地域経済、各国経済、新旧ドナーの動き、経済インフラの改善、政治、国連周辺の動き、太平洋島嶼国間の関係、漁業、環境などなど興味が尽きません。

来年もよろしくお願いいたします。