• もっと見る

« 2010年08月 | Main | 2010年10月»
ミクロ出張1日目、2日目 [2010年09月05日(Sun)]

9月5日。

あっという間に8月が過ぎてしまいました。まだ暑いですが、東京では夕方以降の空気が変わった感じがします。地球は回り続けるということでしょうか。

NZの地震(震源が地下5キロと非常に浅い)の被害が気になるところですが。
http://www.radionz.co.nz/

今、出張の途上でグアムです。今朝3時過ぎに到着しました。グアム上陸の際、現在はESTAに登録していると、ビザ免除プログラムの書類I94(?)と小さな紙などを提出する必要がなく、楽チンでした。

天気はこんな感じです↓

雲から伸びるグレーの帯が雨。


恋人岬(宿から)

恋人岬って、確か追い詰められた現地の若いカップルが身投げしたところですよね?


たいてい出張の前日となると課題が増え、帰宅が遅くなるのですが(といっても民間企業戦士の方々には遠く及びませんが)、週末(金曜)であったこともあり、帰宅後、たまった洗濯を2回し、風呂場で朝まで乾燥させ、昨日はゴミ出し、出張用にシャツにアイロンがけ、荷造りをすると、もう家を出る時間で。。。荷物が多いので駅までタクシーを使い、運転手さんに「南の島はいいですねえ」と言われ、「休暇ならいいですよねえ」とも言えず、、鉄道を横切る人がいて電車が遅れ、成田到着が午後6時半。

出張先での緩衝材としてのチョコレートなどを大量購入しにいくと、漁業財団の知り合いの方とばったり会い、パプアニューギニアの要人を待っているとのこと。。というか狭い世の中です。漁業といえば、気になるニュース。

3日付マーシャルアイランズジャーナル紙26面(ギフ・ジョンソン署名記事)


日本とマーシャルの漁業交渉が決裂という内容。日本はこれまで船舶数で支払っていた入漁料(正確には違う言い方があるとのことですが、英語でFishing License Fee)を水揚げ量に応じてということにし、その増加分を日本との水産会社設立・運営に使いたいというマーシャル側の要望を日本側は良しとせず、決裂した模様です。海洋資源局グレン・ジョセフ局長は(彼の結婚に至るまでの、男気のあるストーリーを友人から聞いたことがあり、俺はリスペクトしている。)、「現状はマーシャル海域で獲れる漁業資源の(小売)価値の5%しかマーシャルに還元されていない。残りの95%のうち、正当な割り当てをマーシャルが得るようにしたい」とのようです。これまで一国だけでは、このような要望を挙げにくく、出しても相手にされにくかったものを、PNAの活発化により発言できる環境になったように思います。

こんなことを書くと叱られそうですが、くるくる寿司で安いマグロを安易に消費する現状より、もし資源国側が正当な見返りを得ていないのであれば、たとえ値段が2倍以上になっても、資源を大切に消費し、それが資源国側の生活改善に繋がるのであれば、それで良いのではないかと思ったりもします(家庭を持っていれば、こうは思わないかもしれませんが)。

で、空港に話を戻すと、待ち時間にサッカーを途中まで見ていました。日本サッカー、W杯を越えて変わりましたね。昨年5月くらいに横浜でみた予選のときと比べて、素人目ですが、一つ呪縛から開放されたように感じました。映画「BECK」に出ている俳優さんたち(詳しくありませんが)にも共通する雰囲気というか。内田とか香川とか長友とか。躊躇したり、格好つけようとせず、果敢に攻めている印象を受けました。人はどんどん入れ替わるものだから、情に流されず、変化を恐れずに行くべきと、あらためて気づかされました。「It's All Over Now, Baby Blue」(Bob Dylan)、新たにマッチに火をつけるってことです(学生時代、夜遅く駅で歌ってたことを思い出す)。

さて、飛行機に乗り、サラ・マクラクランが聞きたいと思っていたら、ありました。しかもホリー・コールの「コーリング・ユー」が続く。。。と、ここまでが成田発までの話。



1時間後にグアム空港へ行き、ミクロネシア連邦ポンペイに向かいます。ポンペイ到着は午前零時半の予定。不確定要素の多い出張で、ちょっと胃が痛いですが、何とか成果を上げたいと思います。




ミクロ出張3日目 [2010年09月06日(Mon)]

9月6日。

午前。パリキール。


大統領府と運輸通信インフラ省にレターを届け、明日の会議の為に連邦警察、環境関係で資源開発省、先月の保健大臣繋がりで忘れ物を届けに保健省へ行きました。

↓大統領府レディース。左からタキ、マーリーン、ジョニ。



レターを届けた後、明日会議で会う予定のピウス警察長官に会いに行ったところ、大臣に付いてホノルルに行くので水曜に帰ってくるとのこと。せっかく日本の煙草をお土産に(個人的なものです)持ってきたのに、「やられちまったか」と思っていたら、昼食後、今回のミッションの専門家チームと同じ便で無事到着しました。

長官によれば、「水曜にする予定だったのだが、フライトが満席だったので、しかたなく今日帰ってきた。」

何はともあれ、予定通り調査ができるので助かりました。

↓左端が今日のピウス長官。



ポンペイは1年ぶり2回目で、前回訪れた資源開発省に行ってみたら、アリッサさんが覚えていてくれました。この1年で、サモア、パラオ、日本国内などで海洋保護区などを調べていたので、昨年に比べ、かなり踏み込んだ話ができました。思いがけず、収穫あり。

また昨年の調査のときにミクロネシアの代表だったヘンリーさんが、先月大臣になったというニュースもあったので、おめでとうございますとも伝えました(あいにく今日から公務出張で不在でしたが)。昨年は黒胡椒せんべいだったので、今回は中村屋のあられセットを置いてきました。女性たちには日本風キットカット。

米国自由連合コンパクトの関係もあり、米国の会計年度と同様に今月が年度末です。そのため政府職員は今月から来月にかけてが非常に忙しいときだそうです。日本での3月、4月と同じと考えると、大変さが分かります。

シュガーを摂って、お互いがんばりましょうって感じでしょうか。

↓アリッサさんと(苗字はタケシィ)。



お昼は保健省のファンセリン(大臣はハワイに米国との協議の為に出張中)とローカル・フード。っていうかマーシャルの食事と同じです。また3のことをシルって言っていて、マーシャル語のチルに似ていたのでからかっているのかと思っていたら、ポンペイ語でした。確かフィジアンとかタガログとかも似てる単語があったような気がします。

ファンセリンは、何と、マーシャル時代のやんちゃだった生徒の親戚で、驚いて写真を撮るのを忘れてしまいました。ごめんなさい。

↓これが忘れもの。



そんなこんなで3日目終了です。
ミクロ出張4日目・パラオ出張1日目 [2010年09月08日(Wed)]

9月7日(火)。ミクロ出張4日目。

午前は法務省でミーティング。
ピウス長官はストロークのため、欠席。容態が心配です。

↓会議風景。


↓怒りに震えるキャプテン・マングモグ



うそです。


マングモグさんが、先日なくなったヤップの伝統的技術をもつ最後のマオ航海士と似ているので聞いてみると叔父さんだといっていました。船乗りの家系なのでしょう

↓連邦警察本部前で記念撮影



会議後、宿に戻りチェックアウトし昼食を取り、空港へ。
それほど混んでいませんでした。


しばらくすると、マジュロ方面から到着した飛行機から見たことのある人が。

なんと!スキリング保健大臣です(光が反射して見えない。。)。



ガラスを叩いて、サモアのフランセラのように、両手をわーっと振ったら気づいてくれました。音が伝わらないので、口の動きで会話。

「どこに行くの?」というので「パラオ」、「いつ来たの?」っていうので「マンデー」と答えて笑顔でバイバイ。随行の方がびっくりしてました。

スキリング大臣は日本から帰国後、大変満足されたようで、このように連邦政府のプレスリリースを出していただけました↓。
http://www.fsmgov.org/press/pr081910.htm


やがて搭乗すると、ビジネスクラスに見慣れた顔が。。。マーシャルでお世話になったMJCC社のKさん。マーシャル保健省が米国コンパクトマネーで離島用の船(中古の漁船?)を広島で購入したので取りに行く(?)とのこと。

自分はエコノミーなので後ろの方に座ると、見慣れた顔と目がぶつかりました。「ヘンリー!」です。キリバス人の船長で、広島から船をマジュロまで航行していくとのこと。父島経由で7日間の航海とのこと。無事を祈る。家にお邪魔して、ビールと食事をご馳走になった日々が懐かしい。奥さんのスーシーとか。子供のイスマエルとか。あ〜懐かしい。

席に着くと今度は誰かが肩を叩く。。。。振り返ると「アラタさん!」。保健省離島担当のアラタ・ナーサンさんです。「スモール・ワールド」って。こっちのセリフです。アラタさんとは、大使館時代に草の根の離島診療所建設案件やバプティスト小中学校建設案件で議論したり、実現の為に協力していただいていました。寡黙な方なのに、あちらから声をかけてくれるなんて、うれしい限りです。

そういえば、昨晩、ポンペイでJICAの渡辺SV(シニア・ボランティア)にジュニア隊員と一緒に夕食をご馳走になりました(ご馳走様でした)。しかし、あいにく停電になり、真っ暗に。2時間くらいして電気が点くと電灯のしたに見覚えのある顔が。。。マーシャル時代に時々お会いしていた海外漁業協力財団のHさんでした。

まったく小さい世界で、悪いことできません。


そして、40分遅れでグアムを出発し、1時間30分ほど前にパラオ・コロールの宿に到着しました(グアムより快適かも)。

明日から、また課題山積です。とほほ。




パラオ出張2日目 [2010年09月09日(Thu)]

9月8日。

午前法務省海上保安部で会議。

午前の会議中、コロール市内の建設中のバンガロー式ホテルが火事との知らせ。お昼まで燃え続けた模様。

ミクロネシアのピウスさんの情報がパラオにも入っており、非常に危険な状態とのこと。
何とか一命を取り留めて欲しい。

↓参加者。左2番目からBPSLt.ターベット、SPF山川氏、RANキンバル氏、BPSトーマス氏、NMC中村氏、NMC有川氏。



午後も会議↓



午後の会議の途中、海上保安に関係する法務大臣から外務大臣へ送付し外務大臣が署名して国際機関に提出される書類に間違いを発見。トーマスさんが急ぎ連絡し、事なきを得る。ナイス自分。

その後、コロール・レンジャーを視察し、今日の予定は5時半に終了。ちなみにパラオのビジネスタイムは7時半〜4時半とのこと。

宿に戻り、着替えてすぐに夕食へ。

↓シャコガイのお刺身。最高においしい。



今日の気分を反映しているような空


明日はマルキョク。
ピウスさん、さようなら。 [2010年09月09日(Thu)]

ミクロネシア連邦警察長官ピウス・チョタイラング氏が、現地時間昨夜9月8日午後9時に亡くなりました。

↓在りし日のピウス長官(左)


↓グアム会議で


昨年来、共に仕事をし、特に3月に東京で開催した会議以降、グアム会議、ホニアラ会議と繋がりが次第に強くなり、個人的に親戚の叔父さんのような感覚があったので、非常に悲しく残念です。

現地病院にも限界があり、詳しくは分かりませんが、1次治療、2次治療は可能だが、それ以上の病気、症状の場合は手の施しようがないと常々聞いていましたが、もし日本・オーストラリア・米国などの先進国であれば助かったのかもしれないと思うと残念でなりません。

先ほどパラオ警察の友人と話をしたところ、ピウスさんの息子さんがやはりミクロネシアの連邦警察の警察官だそうです。彼がピウスさんの遺志を継いで行くものと思います。

7月のソロモンのときに、5月下旬から出張が続き、2ヶ月で数日しか家に帰っていない。いろいろ家を改装中なんだけれど、時間がないんだよなあと言っていたのを思い出します。後数年で引退して、のんびり孫たちと過ごすことを考えていた様子だったのに。

↓7月。ホニアラ(ソロモン)での会議が終わり、FSM、マーシャル、パラオの3カ国の警察長官級の出席者と楽しい晩餐があり、それぞれが仕事からはなれて笑い話を披露していました。非常に良い時間をすごしたその翌日の写真です。


また、いつでも会えるよということではなく、その人に会ったその時を大切にしていきたいと思います。

ピウスさんのことは忘れません。安らかに。
パラオ出張3日目。 [2010年09月10日(Fri)]

9月9日(木)。


今日は天気が良く、朝から今まで仕事続行中です。

ネット環境が非常に悪く、メールの送受信に、東京オフィスの20倍は時間がかかります。そういうこともあり、食事と休息がしっかり取れないので、ちょっと辛いところです。

今朝は、まず法務大臣宛のレターを届けに法務省へ行きました。

大臣には飛行機の中でお会いしたのですが、公務では線引きすべきなので、秘書の方に渡してきました。名前を失念してしまったのですが、親族に日本人がいらっしゃるそうです。

ナポレオン警部補に前回のお礼を述べに行ったところ、午後の予定を助けていただけることになりました。本当にありがたい限りです。

↓夕食後、ナポレオン夫妻と。

そういえば一番旨い魚はナポレオンと言っていました。今は保護されています。


その後、アポ取りをしながらあっという間にお昼になりましたが、食事を取るタイミングがなく、運転手が途中で釣ってきたイカだけいただきました。

↓マーシャル人は食べませんでしたが、パラオ人は果敢に攻めます。



午後は、首都マルキョク。。。。遠い。。。。コロール市内の端の方のPRRから片道1時間くらいかかったと思います。疲れます。

まず、大統領府にレターを届けました。大統領補佐官のリソンさんに手渡し、次へ(写真なし)。

大統領サミットのときに助けてくれた国務省のジェフリーに、挨拶(写真なし)。

そして、天然資源環境観光省のアイタロー氏にやっと会えました。6月に急遽会えなくなり、今回もなかなか上手く行かず、午前に電話を入れてもアポが取れなかったのですが、ちょうどコロールで3:30という連絡をこちらに入れていたとき、この日本人(自分)が入ってきたのでした。

今回は深い話はせず、挨拶だけのつもりだったのですが、環境、海洋・陸域の保護区、環境税の成功などについて話しているうちに、あっという間に30分がたってしまいました。聞くところによると父方がペリリュー出身で、ご自身はハワイで学を修めたそうです。お互いにまだまだ話したりない感じだったのですが、次の予定があるので、再会を誓って撤収。

↓アイタロー氏と。



コロールに戻り、こちらも6月に会うことがかなわなかったナカムラ元大統領にお会いすることができました。



以前写真で見た印象よりも、もっとかっこいい(と言ったら失礼ですが)方です。昨年末に日本のテレビに出ていたのを見ましたと伝えたところ、「さんまはおかしい奴だ。鳩山夫人は笑ってばかりいた。」と楽しそうに話していただけました。


その後、ナポレオン夫妻と食事をし、繋がりにくいネットと格闘しつつ、現在に至るというところです。

そうそう、ピーター(ナポレオン)の左腕に(へたくそな)花の刺青があったので、「それ意味あるん?」て聞いてみると、「?」。よく見ると「ROSE」の文字が。奥さんが「若いときに女の子に振られて、忘れられずに自分で彫ったのよ」と笑いながら突っつき、ピーターは話を変えようと必死でした。。うんうん。単純な男としてピーターの気持ちが分かるよ。

明日は8時発でペリリューに向かいます。2時までには寝たい。と思っていたらもう過ぎてしまった。 3時までには寝たい。

では。
パラオ出張4日目・最終日 [2010年09月10日(Fri)]

9月10日(金)。パラオ最終日。



今日はダイビングショップMAMLの8時30分発のボートでペリリュー視察。他の10数名の皆さんはダイビング。一人だけ濡れたくない服で浮いてます。

1時間ほどでペリリュー到着。6月の復習。

北部はともかく、南部の滑走路跡地の辺りが入り組んでいて、表示もなく、景色も似ていて迷います。

あっち行ったり、


こっち行ったり、


ようやくブラッディ・ノーズ・リッジ南部に着きました。
↓ハネムーン・ビーチを望む。


いくつか聞いた話や、気づいた点など。

まず女性兵士の伝説ですが、地元の人たちの口承では、このリッジの南部の山頂と北部の山頂にそれぞれ女性兵士が機関銃で米軍兵士を相手に奮闘していたそうです。また、北部の女性は、赤ん坊を背負っていたとも言われています。米軍側は女性とは思わず、その兵士が斃れてから女性だと気づいたといっていたとも伝えられています。

この南部の山頂には、以前、その女性の話を伝えるプレートがあったそうですが、米軍が行った記念碑整備計画でなくなってしまい、女性兵士の話を伝えるものは、もうありません。いずれ無かったことになってしまうでしょう。

ペリリューに関係する友人たちは、ペリリューに限らず、パラオにある日本に関するものがどんどん壊され、話も塗り替えられているのが悔しいと言っていました。

以前、何かの本で、血に染まったのでオレンジビーチというと載っていましたが、米軍の作戦を表す図を見ると、ペリリュー島西岸中央から南部にかけて、ホワイト・ビーチ1,2、オレンジ・ビーチ1,2,3、東岸部にパープル・ビーチ(ハネムーンビーチ)と名称がつけられており、作戦上の名称だったように思われます。

また、ミュージアムに展示されていた、日本兵に投降を呼びかける文章を見ましたが、英文から受ける印象と和訳から受ける印象が異なりました。日本兵の勇敢さと誇りを称えていますが、さらに英文にある「玉砕することも尊い決断であるが、それ以上にその命を日本再興のために使うことも尊い。命を日本再興の為に使わないか」という部分が和訳にはありませんでした。ちょっと考えてしまいます。

宿に戻ったのが午後4時。

夕食は天然資源環境観光省のアイタロー氏と国務省のアイタロー氏と会食となりました(兄弟です)。話が面白く、おなかも心も満腹です。特にアイタローの由来。日本人の血をひいているからではなく、戦前の日本統治時代に日本が国勢調査をした際、パラオ語の名前が発音しにくいので、音が似ている日本語「アイタロー」(本来はエイタロとのこと)に変えられた為だと言っていました(スパシーバを千葉水郷と言うような感じでしょうか)。あとはベジタリアンのクロコダイルの話とか。



そんなこんなで、今晩12時に宿をチェックアウトし、2時台の便でグアムに向かいます。バック・トゥ・ザ・フューチャーのマイケル・J・フォックスのように早くベッドで眠りたい。
太陽光発電とか戸越八幡とか [2010年09月12日(Sun)]

9月12日(日)。

昨夜9時過ぎ帰宅。洗濯3回、風呂場で乾燥しているうちに眠ってしまい。気づいたら朝でした。

昨日、帰国途中に読んだ9月8日付の新聞に「オーストラリア労働党政権維持」のニュースが掲載されていました。緑の党が与党になったことが今後どのように現れるのか興味深いところです。また、太平洋島嶼国に関しては、やはりフィジーとの外交関係が改善されないのかされるのか注目しています。豪州がフィジーに厳しくすればするほど中国との関係が深まり、またUAEなど中東諸国との関係強化など、豪・NZ以外の経済協力支援国を求めることになり、豪・NZの太平洋地域への影響力に負の影響が出るかもしれません(すでに出ているのかもしれませんが)。それを反映しているのかどうかわかりませんが、他の島嶼国にとっては、前政権時代に援助疲れ(?)で引き揚げ気味だった豪州からの支援が近年増加傾向にあり、プラスの影響となっているように思われます。

また、豪州が労働党政権となって以来、ニュージーランドの姿勢が豪州と異なる場面がしばしば見られるようになっていることが興味深いところです。日本の捕鯨に対する対応しかり、フィジーとの対話姿勢しかり。

さて、今回ポンペイ〜パラオと訪問し、環境バブル(?)のような印象を得ました。10月に名古屋で開催される第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)、11月〜12月のメキシコ・カンクンで開催される第16回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP16:注目点は2012年に切れる京都議定書に続く枠組みが合意されるか否か)を控え、少ない人材のやりくりに苦慮している様子がうかがえます。実際、これらの会議に関連する準備作業、出席等により、国内の機能がフリーズしてしまうように思われます。今後数十年この状況が続くのであれば、小国では環境分野に関する理論面と技術面両方での人材育成が大きな課題となると思います。


次に、太陽光発電に関する話を書いてみます。

現在ミクロネシア各国では、電力はディーゼルエンジンを使ったジェネレーター(発電機)で供給していますが(水蒸気を使ってタービンを回す火力発電ではない)、その老朽化と燃料費が非常に大きな問題となっています。それを背景として、現地にとっては二酸化炭素排出量削減という環境対策というよりも、燃料費対策としての意味合いが強い太陽光発電プロジェクトが、日本、台湾(パラオ、マーシャル)、EUなどにより実施されています(そのため規格が統一されていないためメンテナンスが面倒だという現地の声も聞かれます)。支援国側にとっても被援助国側にとっても環境に対する責任、あるいは環境に対する意識を持っていることを対外的に示す意味でもプラスなものだと思います。

しかし、クリーンな太陽光発電を通常の電力源と考えた場合、日没以降どうするのかという疑問が浮かびます。ちなみに風力も潮汐力も安定性にかけます(こちらは、如何に変動を少なく力学的にタービンを回せるか発電できるかということなのだと思うのですが)。

例えば離島の電化のための太陽光発電設置事業ではバッテリーを使うのですが、その寿命は5〜10年ほどとのことで、将来のその処理に関して環境上注意すべき点があるように思われます。そのため今後ますます蓄電技術の分野が重要になるのではないでしょうか(僕が感じるということは、すでに多くの人が取り組んでいることなのだとおもいますが)。

ここでは太平洋島嶼国への太陽光発電パネル供与案件のマジュロの事例を挙げます。

マーシャルの首都マジュロでは発電所で10メガワットの発電量が必要です。しかし燃料費高騰や発電施設老朽化の問題があり、それを太陽光発電で補うという計画がありました。

実際に運用の安定性を考慮したところ必要量の1割すなわち1メガワットが最大量という技術面の制限があると判明したものの、マーシャル政府からは、1割でも燃料費を抑えられることは大きな意味があるので、いわゆるメガソーラー施設を作りたいという話が聞かれるようになりました。

しかし、メガソーラー施設は日本でも事例が少ないことや、途上国でのメンテナンスの問題、さらに費用が数十億円規模となることから、最終的に5億円強の予算で発電量100キロ〜200キロワット程度の太陽光パネルを設置し、発電所からの電力に混ぜて、燃料費の一部を補う形となったと記憶しています。結局5億円を投じても必要な電力の1〜2%程度しか賄えないのであれば、老朽化している発電機を燃費の良い発電機に切り替えるという方が現実的だと思われましたが、我が国のODAでは不可だったと記憶しています。

今後ますますドナー各国が太陽光発電案件を進めることになると思います。パネルも蓄電技術もまだまだ発展すると思いますが、我が国の企業・研究者に頑張っていただきMADE IN JAPANを広めて欲しいと思います。


さて、今日はナッピングの一日でしたが、夕方、友人から近所で祭があると教えてもらったので、戸越八幡まで散歩してきました。

いつも祭りのように人の多いところですが、すごい賑わいでした。

↓みこし。


↓戸越八幡。


↓屋台。


水戸で学生をしていた頃、夏に学費を稼ぐため、高校野球や神社の祭りで、テキ屋さんでアルバイトをしていたことを思い出しました。テキ屋さんは、ハッキリしていて、キップが良く、情の篤い方々でした。当時、理屈に走って頭でっかちになりがちな自分のような学生を、温かく迎えてくれました。日本の夏の良い思い出です。

さて、シャツも乾いたのでこれからアイロンがけです。音楽を聴くのに最も適した時間です。今日のリストはこれ。

1. Nobody But You / James Taylor
2. Dodo / Dave Matthews
3. Train Wreck / Sarah McLachlan
4. Calling You / Holly Cole
5. On Green Dolphin Street / Chick Corea Akoustic Band
6. Longing / Love / George Winston
7. Gymnopedies / 坂本龍一
8. Half The Man / Jamiroquai
9. Waiting In Vain / Bob Marley & The Wailers
10. The Makings Of You / Curtis Mayfield
11. Little Flower / Giovanca
12. Halo / Beyoncè
13. Like A Star / Corrine Bailey Rae
14. Those Sweet Words / Norah Jones
15. Kiss Of Life / Nujabes With Giovanca & Benny Sings
16. People Get Ready / Curtis Mayfield
17. One Love / Bob Marley & The Wailers

明日からまたがんばりましょう。
第1回ミクロネシア海洋保護区研究委員会 [2010年09月17日(Fri)]

昨日9月16日(木)午後、「第1回ミクロネシア海洋保護区研究委員会」が開かれました。



昨年9月に与えていただいたいくつかのキーワードもとに勉強しつつ、2月に準備会議を開催、7月に事業化が決定、そしてついに!昨日、スタート切ることができました。

委員の皆さんは、今回のテーマに関連する様々な背景を持つ専門家であります。



正面から反時計回りに、深井特別基金室長、鹿熊主幹(沖縄県:アジア太平洋型海洋保護区)、土屋教授(琉球大:サンゴ礁生態系)、長嶋教授(鹿児島大:島嶼地域コミュニティ)、日比代表(コンサベーション・インターナショナル・ジャパン:欧米型海洋保護区および国際NGOの動向)、池谷会長(日本ナショナルトラスト協会副会長・日本生態系協会会長:ナショナルトラストおよび生態系)。

自然科学だからなのか、自然環境を相手にしているからなのか、直感で良いチームになる予感がします。僕も理系なので(なんちゃってですが)、このような委員の皆さんに話を伺えるだけでも光栄であり、つくづく幸運だと思います。

今後の展開が楽しみです。



さて、先週土曜に帰国後、この委員会開催が今週のメインだったのですが、委員会以外の課題が表出し、委員会の資料作成や準備に集中できたのが昨日夕方以降でした。長嶋先生曰く、「忙しい人には、さらに仕事が舞い込むが、このことを『ナポレオンの法則』という」そうです。僕の場合はレベルが違うので、プチ・ナポレオンといったところです。

サチッて(飽和状態という意味)これ以上できないと思っていても、壁を越えれば、まだまだレンジを広げることができるものです(ということは。。。)。昨日の委員会のおかげで、ますますやる気が出てきました。



では、皆さん、良い週末を。


フリッツ大使、ウエキ大使インタビュー [2010年09月22日(Wed)]

9月22日(水)。

最近、最寄り駅の駅ビルがオープンし、スーパーが夜11時まで開いているので助かります(コンビニ弁当ではせつないので)。


ここ数日、ちょっとだけ忙しかったのですが、プチ・ナポレオンの法則に基づき、本日、フリッツ駐日ミクロネシア大使とウエキ駐日パラオ大使にそれぞれインタビューする機会を与えていただきました。

このインタビューは笹川平和財団のユーチューブチャンネルhttp://www.youtube.com/user/spftvに掲載し、皆さんに太平洋島嶼国や笹川太平洋島嶼国基金の活動に興味や親しみを持っていただくことを目的としています。

例えば、今年の7月末〜8月初にかけて訪日されたスキリング保健大臣(ミクロネシア連邦)のインタビューが下のリンクにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=ajQNOhF5_hY

ちなみに使われている音楽は、3〜4年前に僕がマーシャルにいた時に個人的にサポートしていた現地の高校生・短大生からなるFU2(Friends United Togetherとのこと)の作品です。僕自身は曲のアレンジ(共同)、ギターの他、レコーディング、ミックス、マスタリングで参加しています。


さて、今日の話に戻りますが、午前はミクロネシア大使館に伺い、フリッツ大使へインタビューを行いました(ミクロネシア大使館→ http://fsmemb.or.jp/)。

フリッツ大使は1979年から日本にいらっしゃるのですが、若い時にはライフセーバーをしていて、日本のナショナルチームのメンバーとして国際大会に参加したり、サーファーでもあったので、波を求めてバイクで国内を回っていたこともあるそうです。

ミクロネシア連邦のポンペイには、いわゆるチューブといわれる非常に形の良い波ができる島があり、サーファーにとって最高の場所とのこと。

そのほか、いろいろな興味深い話を伺えましたが、続きはいずれユーチューブで。

↓左から、映像制作の木村氏、三上氏、フリッツ大使、SPF南里氏、塩澤



続いて午後、パラオ大使館に伺い、ウエキ大使にインタビューを行いました(パラオ観光局→ http://www.palau.or.jp/)。

以前もこのブログで紹介させていただいたのですが、大使は1931年、昭和6年生まれの御歳79です(10年以上若く見えます)。戦前戦後のパラオ、日本をご存じで、パラオの日本人学校や日本の学校、アメリカの学校で教育を受けたそうです。お医者さんでもあり、30年間医療に従事され、その後、外務大臣、教育大臣、国会議員などで国政に関わり、現在のトリビオン大統領に任命されて、2年ほど前から駐日大使を務められています。

インタビューでは日本とパラオとの関わりや、最近特に成功を収めている環境に関するお話を伺うことができました。全貌はユーチューブで。乞うご期待!

↓左から木村氏、塩澤、ウエキ大使、南里氏、三上氏。



両大使とも共通して述べられたことは、民間レベルの人的交流の重要さです。

これは、両大使の発言ではありませんが、両国とも戦前の南洋庁時代の30年代までの歴史的背景と戦後のODAによる開発支援やボランティア活動を通じて、現地の人々には基本的に親日感があります(ただし戦争が近付くころから、日本人も変わっていったという声も聞かれます)。当初、現地でこのような話を聞いた時には外交辞令的なものだと思っていましたが、現地で生活すると、自分をよそ者と感じさせないような雰囲気があり、現地の人々の親日感が教え込まれたものではなく、血の繋がりのような感覚に基づくものであると感じます(あくまでも個人的な感覚です)。

しかし、日本人との濃いつながりを持っていた世代が高齢化し、現在の若い世代では米国の影響が強く、親日感というものが表面的なものになりつつあります(現地にはUSA Today, Japan Yesterday, China Tomorrowという声もあります)。現地の視点から見ると、日本に対して熱い思いがあるのに、日本が関心を無くし、無視とまでは言わないまでも自分たちを忘れようとしているというように感じられるため、自分たちに関心を持っている国や人々との繋がりを強くしようという方向になっていると思います(これも個人として現地で感じたことです)。

このような状況を背景として、特に若い世代における一方通行ではない意味のある人的交流の機会を増やしていきたいということが、両大使から述べられました。

ミクロネシア地域では10代で子を持ったり、30代で孫を持ったりすることも珍しくなく(MTVやヒップホップの影響という人たちもいる)、若い人々の割合が大きいドラクエのスライム?というかハクション大魔王の壺のような形の(上が細く、30代から下に行くほどやたらと太い)人口ピラミッドの形を持つ人口構成の社会となっています(特にマーシャル)。

そのため、現状のまま5年〜10年もすれば、我々が思っているような(日本を親類のように感じているような)親日国ではなくなってしまうでしょう。それが国際場裏で現れる可能性があります。(例えば、これまでは、日本がマーシャル政府に支持要請をすれば、親類のように信頼しているため、無条件で支持してくれていましたが、米国、台湾、豪州などが要請をする場合には、時間がかかることが度々ありました―マーシャル外務省関係者の話による)。



さて、久しぶりなので、話題を変えて続けます。


これまで笹川太平洋島嶼国基金では、広報用として、対象となる国々・地域を網羅する地図を作成してきています。僕が入る以前の地図もポスター的なデザインで良かったのですが、昨年来、一応専門が地球科学であったことや、島嶼国・地域の多様性を考慮し、実用的なものを目指して新たに地図を作成しました(もちろん基金室スタッフ、デザイナー、印刷会社の方々との共同作業です)。EEZも入っています。

↓これが昨年の今頃作成した新マップ1。




これが↓もうすぐ完成する新マップ2です(魚はサモアから)。


島を訪れるたび、その土地や人々に愛情が湧き、またその多様性に気付きます。マップ2には、それらの気持ちが反映されています。


新マップはA2サイズの4つ折りになりますが、このブログをご覧の方で、教育などを目的として必要な方がいらっしゃいましたら、メールか電話でご連絡ください。



明日は秋分の日。北緯7度ほどの低緯度地域にあるミクロネシア地域でも、これから冬至にかけて太陽の高度が低くなっていきます(3月〜9月は春分→夏至→秋分に合わせて、南向きの顔に頭頂部→後頭部→頭頂部と南中高度が高いままで変わる感じで、春分のすぐ後、秋分のすぐ前あたりがやたら日差しが強く、暑かったりする。秋分→冬至→春分は、頭頂部→眉間→頭頂部。)。

日本でこれからの季節に暑くなる時があるとすれば、海水温、南方の気団、あるいは低気圧が北部に位置して南風が入ってくることが原因になるんでしょうか。


暑さ寒さも彼岸まで(fingers crossed)


では、良い休日を。
| 次へ