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古い話。握手しながら足を踏む感じ? [2019年07月29日(Mon)]

少し古い話。フィジーの日本大使館で仕事をしていた頃、2012年から13年ごろのこと。
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フィジーにはさまざまな国の大使館や国際機関、地域機関の事務所・事務局があり、日本はミクロネシア地域のような目立つ存在ではありませんでした。
そのような環境で、外交団の集まりや、地域会合などに出席すると、同じ東アジアの国として、中国や韓国の外交官とは、お互いにホッとするように、話をすることもありました。

何でもない日に、昼食を外で食べてるときに、たまたま顔見知りの外交官がいると、雑談をすることもありました。

中国とは現地メディアを通じて、大使レベルで主張し合うことはありましたが、大使レベルでも書記官レベルでも、上記のような場面では、普通に話をしていました。大変真面目な外交官で、本音では大変そうであったり。

韓国の書記官や参事官の方々も、とてもにこやかに話をして、書記官の方などは、親しくなれそうな雰囲気もあったりしました。

しかし、にこやかに話している一方で、参事官の方と話をしていると、天皇陛下のことを「your king」と、しれっと言ったり、フィジー外務省待合室のテーブルに、表紙に英語で「独島」と書いてある冊子が置いてあったり、ナンディ空港のラウンジに英語で「東海」と書いてある大きな世界地図が貼ってあったりしました。


自分がフィジーに赴任したのが2012年10月。当時、自分が見た限りでは、日本とフィジーの外交ルートが硬直していて、書記官レベルの交流も硬くなっていたようでした。

民間からの任期付職員であったため、当時、その日本・フィジー関係を把握するルートとして、大使館内(日本人)に加え、個人的に日本の外務省担当部局、駐日フィジー大使館、現地政府職員(友人繋がり)、現地インド系の友人、現地先住民系の友人(政権支持派)(野党支持派)、地域機関・国際機関、などを持っていました。

その状況の中で、理由を見つけて、フィジー外務省に行く機会を出来るだけ作るようにし、やがて当時の外務次官や移動大使と話せるようになり、外務大臣や首相にメッセージを伝えられる関係を作っていったということがあります。

その過程で、初めてフィジー外務省に行ったとき、2012年末か2013年初頭だと思いますが、待合室のテーブルに英語で「独島」という冊子がドーンと置いてありました。日本側に気づかれることもなく。

その日話をしたフィジー外務省局長クラスの人に、「フィジー政府は韓国政府の主張を支持してるの?」と聞き、冊子の話をしたところ、相手は驚いた様子を見せました。意識せず、何カ月もそのままにされていたようです。どういう経緯で置かれていたのかはわかりません。油断するとこのようなことがあります。(次に現地外務省に行ったときには、その冊子は無くなっていました。)

ラウンジの地図については大使が気づき、新たに質の良い地図を提供し、張り替えられたと記憶しています。

また、ある時は、バヌアツの首都ポートビラ空港(バウアーフィールド空港)に着いたとき(任期中、4、5回だけでしたが)、中国、豪州など援助国の国旗がはためく中に、日章旗がなかったり、ボロボロであったりしたことがあり、都度、現地外務省に「こうでしたよ」と話をしたりしたこともあります。(話すと大抵改善してくれたので、ただ気づかなかっただけなのかもしれません)


バヌアツは、現地に日本大使館ができたので、もう大丈夫だと思いますが、フィジーにいた頃には、親しさは親しさとして、にこやかさはにこやかさとして、油断ならないなと思ったものです。

昨今の情勢を見て、そのようなことを思い出しました。
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