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ディレイ [2019年03月24日(Sun)]

人身事故の影響で、NEXが1時間半遅れました。こういうことがあるので、現地で対応できるようにしておかなければなりません。
招聘者の飛行機も、少し遅れているので、全体的にはバッファで吸収できる範囲。都内に向かう方法がプランBになります。

それはそうと、フィジー航空は、日本航空、ブリティッシュエアウェイズとコードシェアしてるんですね。

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シュガー・・・ [2019年03月24日(Sun)]

昨晩、寝ようとしてから、何故か、「小学校の時に流行っていた、女性3人組の『シュガー何とか』って名前なんだっけ?」と疑問に思い始め、スマホを触る気力もないまま、夢うつつのまま朝になりました。
「負けた」、と「女性3人  くたばっちまえ  シュガー」でググってみると、すぐに見つかりました。グループ名は「シュガー」。

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今日はこれから夜10時過ぎまでアテンドになります。成田に何回か向かう予定です。

外部に委託も出来るのですが、過去の経験からいえば、到着時に外部の人ではなく、担当者が最初に言葉を交わすことが、いろいろな意味で良いことがあります。

そのため、自分が担当している事業では、体と時間の都合がつく限り、自分で動くようにしています。自分が研究員で、上に主任研究員がいた時には、研究員の自分が動いていましたが、今は自分の他に研究員がいないという事情もあります。

招聘者との移動の1〜2時間で、話をすることもあるし、ただ、ぼーっとしていることもありますが、一緒にいると緊張感が柔らぐ場合もあるのだと思います。また、そのような時の雑談に、自分が理解できていなかった物事を理解できるヒントがあったりします。当然ながら、このような場合は、メモなど取りません。メモを取り始めると、話の内容が変わってきます。

自分は学者ではなく、動いているだけかもしれませんが、この15年超は、このような時間の積み重ねかもしれません。


中身を書かなければ大丈夫だと思うので、書いてみます。あとで消すかもしれません。

自分は2009年ごろから日本とフィジーの関係が極めて悪くなっていることに危機感がありましたが、2012年3月には、決定的な亀裂が生じました。

自分が島嶼国ルートで耳にしていた話は、どう考えても日本に非があり、何とか修復しないと日本とフィジーの関係はダメになり、日本のフィジー大使館が撤退して、在北京のフィジー大使館が日本を見るという話まで出始めていました。

自分はまだフィジーに行ったこともなく、知っているのはマーシャル時代のフィジー人の同僚のアセナとかティモジ。そして日本のフィジー大使館の方々と留学生などの在留フィジー人の方々だけでした。日本の方が書いた文章は、ズレがありすぎてあまり頭に入らず、例えば南太平洋大学のサンドラさんのものを読んだりしていました。

そんな2012年のある時、島サミットの数週間後だったのだと思います。国内でフィジー駐在経験のある方々が集まるレセプションの機会がありました。自分はあまり社交的ではないので、壁際に立って様子を見ていましたが、いろいろな会話が耳に入ってきました。「フィジーは日本に厳しい態度を取っているが、そんなの一時的なものだ」「フィジーなど日本が必要なんだから、すぐに態度を変える」という、自分の危機感とは大きく異なる雰囲気でした。「バイニマラマ首相は本来親日家だ」というヒントもありました。

このようなことも一因となり、公募になっていたフィジーの日本大使館の書記官の任期付きポストに応募し、フィジーに赴任することとなりました。

自分の理解では、任期付きポストはその地域の専門家が担うもので、もう一つ、いつ切られても良いという考えがあり、プロパーの人が動きにくい動きができる立場にあるというものでした。

赴任後、特に2012年11月から2015年5月ごろまで、少しずつ楔を打つように、フィジー外務省、フィジーにある米国、豪州、NZ、英国、フランス、EU、キリバス、ツバル、ナウル、バヌアツの各大使館・高等弁務官事務所、現地国連事務所、ADB事務所、フィジー準備銀行、PIF事務局など、何度も足を運び、日本国内の話や、自分のフィジーや地域動向に関する考え方を柱に、雑談をして回りました。

フィジー外務省のある高官(当時)には「メッセンジャー」と言われましたが、2013年半ば以降、自分の伝える話のエッセンスが、現地の外務大臣や首相に伝わることもあるようでした。(直接、伝えると言われたことが3度ありました)

その中で、フィジーは2013年10月に外務大臣が訪日、2014年9月に総選挙を実施して民政復帰、2015年5月、バイニマラマ首相が第7回太平洋・島サミットのために訪日し、安倍総理が大変手厚く歓待し、日本とフィジーの関係がある程度回復しました。

民政復帰前は、フィジーでは中国の比重が非常に高くなっていましたが、2016年ごろには日本も1:9から4:6近くまでは挽回できていたかもしれません。また豪州、NZを始め、他の主要ドナーとの関係が回復していくことで、中国はある意味、責任ある開発パートナーの一つになりました。

2000年代半ばのマーシャル、2009年から現在までのパラオ(2012〜2015除く)でも、渦の中にいた気がします。

このような動きをしてきているので、自分の立場は学者など滅相もなく、論文を書くでもなく、研究者と言っていいのかも分からず、変化の中にいる1人の草のようなものかもしれません。

その結果、情報を実務の中で得て、他者の論文の内容も実務の中で確認し、取捨選択し、自分なりの地域理解に繋がっているようにも思います。

例えば他者が地域機関について何か書いたとして、著者が、実際に現地に行ったり、真剣に交渉したり、意見交換したりした経験があるのかどうかで、読むかどうか(信頼できるかいなか)判断します。(実際の現場を知らない方が書いたものの場合、そのようなものは本質を突かず、キャッチーな言葉に引っ張られる傾向があると思います)
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