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気候変動のグレタさんの話 [2019年11月15日(Fri)]

先ほど思い出せなかった話を。
フィジーの友人に「先進国と島嶼国間の気候変動に関するギャップが、IWC(国際捕鯨委員会)の空気と似てきたんじゃない?」と話したことから、9月の国連でのグレタさんの話に話題が移りました。

友人が言うには、「彼女は左翼系のグループのパペットだとか批判されているが、極端な発言によって注目され、実際に世界的に同調する若者が増えている。気候変動について、ジェネレーションという軸を明確にした功績は大きいのでは。日本では高校生などデモなど行っていないのか?」と。

日本では、高校生が極端な行動をすることは難しいんじゃないだろうか、と伝えつつ、自分の高校時代の苦い出来事を思い出し、話しました。

もう30年以上前の話です。当時、高校1年か2年の時、すでに地球環境の悪化や温暖化の話が語られていた頃で、思い込みの激しい十代の自分は、強い危機感と共にバブル経済に狂乱している上の世代に対する怒りのようなものがありました。その点で、グレタさんのあのスピーチは自分の青い時期を思い起こさせました。

当時、陸上部で、キャプテンだった時なので、高2の終わり頃だったろうか。長距離だったので毎日2時間とか20キロとか走っていたのですが、ある時、砂浜を走っていると、黒い鳥の死骸が打ち上げられていました。それが1羽2羽の話ではなく、50数羽ありました。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読んでいた時期でもあるので、若い正義感というか、何かおかしいのではないかと思い、近所の交番で伝えると、軽くあしらわれ、市役所や地元の新聞社に電話しても、「そんなもの大したことではない。そんなことで電話などしてくるな。」と鼻で笑われてしまいました。当時はまだ携帯もなく、SNSなど当然ない時代。

それ以来、大人に対する潜在的な怒りというものが心の底に深く広く残ることになりました。


自分はもうその当時の大人の歳になりました。果たして、若い世代が何らかの疑問の声を上げたときに、自分はしっかりと対応ができるのかどうか。

あるいは、現実の世界とはこんなものだよと、苦笑いでやり過ごすか。

あるいは、夢みたいなこと言ってんじゃねえ、世の中は厳しいんだよ、と突き放すか。
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