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〜日米・若手オピニオンリーダー交流〜 日米大学院生と日本の若手政治家との懇談会 [2009年04月21日(Tue)]
 SPFの日米オピニオンリーダー交流事業では、政府要職経験者や政策コミュニティで活躍する研究者を日本に招へいするほか、将来的な知日派の裾野を広げていきたいとの考えから、若い世代の人材に日本を知ってもらう活動を実施していきます。

 その一環として、去る3月16日、米国のコロンビア大学国際関係・公共政策大学院(School of International and Public Affairs、以下SIPA)の院生を招いて、日本の若手政治家や日本の大学院生と交流する懇談会「Panel Discussion with Japanese Politicians: Future Prospects for Japan and US-Japan Relations」を、日本財団ビル2階大会議室で開催しました。

 SIPAは、米国や日本をはじめ、世界各国で、国際関係や公共政策を中心とした多方面のキャリアに人材を輩出しています。そのSIPAに在学中の日本人学生たちが、3年前から、毎年自主的に企画・運営している、通称「ジャパントリップ」と呼ばれる日本への研修旅行があります。これは、日本に興味を持つ各国の学生たちが1週間ほど日本に滞在し、政財官学のリーダーとの意見交換、企業訪問、歴史・文化的遺産の見学、伝統文化の体験や現代日本のカルチャーに触れることを通じて、日本に対する理解を深めることを目的としたものです。

 今回、このジャパントリップの参加者を懇談会に招きました。3月14日から21日、東京・京都・広島・熱海の4都市を巡る予定で来日した彼らが、日本財団ビルに集まったのは、スケジュール2日目の夜。18時からの懇談会開始の30分ほど前に、16カ国からの総勢54名が到着しました。時差の影響もあっておなかも空いているだろうと、開始前のロビーにスワンベーカリーのサンドウィッチを用意しておいたのですが、そのお皿があっという間に空っぽになったのには、早速、若さのパワーを感じたものです。

 今回の懇談会に、多忙なスケジュールを縫って、快く出席くださったのは、佐藤ゆかり議員(自民・衆議院)、林よしまさ議員(自民・参議院)、古川元久議員(民主・衆議院)、御法川信英議員(自民・衆議院)の4名(五十音順)。そして、モデレータを、ジェラルド・カーティス教授(コロンビア大学)が引き受けてくださいました。これに、東京大学公共政策大学院の学生20名強が加わり、1時間半の懇談会と、引き続いての1時間、8階食堂での懇親レセプションを持ちました。



 議員の皆さんには、まず10分程度で、「金融危機克服のための日本の役割」(佐藤議員)、「民主党の日本経済財政政策プラン」(古川議員)、「再考・日本の安全保障政策」(御法川議員)と題してスピーチしていただき、残りの時間を使って、参加学生たちからできるだけ多くの質問を受け付けました。

  



 質問が最も集中したのは、やはり台頭する中国との関係性で、日米関係を考える上で、中国の存在が大きなウェイトを占めていることが改めて認識される結果となりました。東アジアにおける日本のプレゼンスの低下を危惧する声が強い中、経済的な中国への依存度の高まりを冷静に捉えたうえで、日米中のいずれの二国間関係も悪化しないことが有益と、学生・議員双方からコメントされました。ほかに、経済面では、経済危機の影響で低迷する国内の消費者需要をどう喚起すべきかが日米共通の課題として取り上げられたり、アジア共通通貨圏構想に関心の高い学生に対しては、アジアにおける金融政策の自由度とのバランスを理由に、その実現可能性の難しさが説明されたりするなど、活発な意見のやりとりがありました。懇親レセプションに移ってからも、各議員を参加者たちが取り囲んで、最後まで談笑を続けていたのが印象的でした。

 後日、ジャパントリップ事務局から、参加者のアンケート結果に、今回の懇談会が強く印象に残ったという意見が多く見られ、次回以降もこうした企画を取り入れたいという報告があり、事業担当者としても、今後の若手交流を進めるためのよい検討材料が得られたと考えています。彼らが世に出て活躍するのは、数年後から10年後、あるいはもっと先かもしれません。再び日本の地を踏むとき、または、日本について考える機会があるときに、この日のことが、彼らの記憶に刻まれていると嬉しく思います。

(小林 香織)


日米交流促進に向けて「日米オピニオンリーダー交流」ノーマン・ミネタ氏(その3) [2009年04月20日(Mon)]
4. 三島訪問
 ミネタ氏のご両親は静岡県出身で、父親は清水町、母親は三島市生まれである。ご夫妻は、今回の旅で8年ぶりに故郷のゆかりある人たちと交流することをとても楽しみにしていた。3月22日に三島市に入り24日まで、2泊3日の里帰りである。
 23日は朝から父方の峰田家、母方の渡邊家の墓参り他、表敬訪問(清水町長、三島市長、三島大社宮司)を行った。



 昼食会の席、あるご親族の一人が「ノーマン、私も昔は元気だったけど、動脈硬化があって、ちょっと前に軽い脳梗塞と心筋梗塞やっちゃってね・・。」と話しかけた。「専門用語がわかりませんけど、要するに血管が詰まる病気で大変ということで・・・」と冷や汗まじりの私の通訳に、ミネタ氏が「いやいや、歳をとるとみんな病気の話ばかりしたがるんですよ。困ったもんだねえ。」とさらっとフォローしてくれた。



 夕方からは親族の有志が発起人となり、三島市内のホテルでミネタ夫妻の歓迎会が開催された。親戚や友人など約90名が出席し、親戚代表らのスピーチの後、郷土の民謡や歌などが披露された。ミネタ氏は、「小さいときから両親が故郷の話をしてくれたので、帰ってくると、自分のルーツを感じる。日米の架け橋になるのは名誉なことだが、自分にとっては自然で普通のことだ。これからも日米が共に重要な役割を担っていけるよう、私の出来ることをしていきたい。」と話した。



 ミネタ夫妻は10日間の忙しいスケジュールを無事こなされ、愛犬「タイコ」と「モチ」が待っているから!というデニ夫人のウインクを残し、26日にワシントンDCに向けて成田を発った。             

(野崎 由美子)

日米交流促進に向けて「日米オピニオンリーダー交流」ノーマン・ミネタ氏(その2) [2009年04月20日(Mon)]
2. 会食・ミーティング
 財界、政策関係、運輸業界、研究者、メディア関係者など多岐に渡る様々な人々との会食やミーティングを行った。


コロンビア大学教授ジェラルド・カーティス氏と



笹川陽平日本財団会長主催昼食会


3. 文化体験・歴史探訪
 デニ夫人は愛犬に「タイコ」と名前をつけているくらいの太鼓のファンで、邦楽アカデミーの太鼓パフォーマンスの見学に行き、自らも太鼓演奏を楽しんだ。


邦楽アカデミーでの太鼓レッスン


 3月20日から22日の2泊3日の京都観光では、二条城、金閣寺、竜安寺などを散策し、お茶や着付けなどの日本文化体験に挑戦、浮世絵の見学や舞妓さんの踊りにとても興味を示された。特に京都を訪れるのが初めてというデニ夫人は歴史がお好きだそうで、ガイドさんの説明に聞き入っていた。


浮世絵に見入るミネタ夫妻


 金閣寺の池に白いあひるが泳いでおり、ミネタ氏がじっと見つめて動こうとしないので、「長官どうなさったのですか?」と駆け寄ったら、あひるを指差し「アフラック、アフラック」と言ってワハハと笑った。ミネタ氏の抜群のユーモアのセンスには招へいスケジュール中何度も舌を巻いた。



(野崎 由美子)
日米交流促進に向けて「日米オピニオンリーダー交流」ノーマン・ミネタ氏(その1) [2009年04月17日(Fri)]
 2008年から開始した当事業は、日米両国の相互理解を促進し政策対話を円滑にするための一助として、シニア、中堅、若手の3つのカテゴリーの招へい及び交流プログラムを行うものである。最初のシニア・オピニオンリーダー招へい者として、2009年3月17日から26日までの10日間、ノーマン・ミネタ氏と奥様のデニ夫人をお招きした。ミネタ氏はクリントン政権とブッシュ政権(民主と共和両党)でそれぞれ商務長官と運輸長官を務めた調整力にすぐれた政治家であり、日系アメリカ人として初めて米国の政権入りを果たしたパイオニアである。現在はヒル&ノールトンという大手広告会社の副会長で、マンスフィールド財団やワシントンの日米協会などの理事会役員の要職も務めている。また、オバマ政権の駐日大使候補としても名前があがっている。10歳のときに強制収容所生活を体験し、「同じことが二度と起きてはならない」と痛感して以来、日米関係の緊密化に向け、各方面で多大な貢献をされている同氏は、この事業で最初にお招きする方として誠にふさわしく、私共にとって光栄なことであると考えていた。

 成田空港でお迎えし、東京のホテルへ向かう車の中で、ミネタ氏が口を開いた。「1954年に米軍の情報将校として初めて日本に来ました。その時に私が日本語を話すと回りの日本人が笑うんですよ。22歳の私が『テイシャバ』とか『チクオンキ』とか古い言葉を使うのでおかしいと言われました。明治生まれの両親に習ったからねぇ。」とにっこりした。「アメリカでは日本語を使う機会がないからノームはフラストレイトしているの。今回練習できるわね。」とデニ夫人。黄砂でセピア色になった空の下「あれはディズニーランド?今の川はなんていうの?」などと矢継ぎ早に質問される好奇心一杯のご夫妻に今回の訪日をぜひ楽しんで欲しいと思った。

1. 笹川平和財団主催ノーマン・ミネタ氏講演会
 3月19日(木)16時より、日本財団ビル大会議室にて「日米の架け橋となって:Bridging the Divide」と題する講演会を開催した。モデレーターは東京大学教授の古城佳子先生に務めていただいた。羽生次郎笹川平和財団会長がまずミネタ氏をご紹介し、運輸長官に就任したばかりの2001年9月11日米国同時多発テロ事件が起きた際、米国史上初めて航空網を遮断して全民間航空機の緊急着陸を命令し、全機の無事着陸を導いた決断力と実行力を称えた。



 講演の中で、ミネタ氏は、米国人であり日本人を祖先に持つこと両方を誇りに、日米間に強い橋を渡すことが人生の最大のコミットメントであるという信念を抱いてきたが、今後も日米関係の緊密化に向け自分の使命を果たしたいという決意を述べ、質疑応答でも活発な討議が行われた。クリントン政権で商務長官を務めたのにオバマ議員を支持したのは何故かという質問に、「クリントン大統領には義理を感じているが、人種差別を乗り越えてすべての選挙民、特に弱い立場の人々、に手を差し伸べようとするオバマ上院議員のアプローチは自分がとってきたものと似ていると感じ2008年の1月に支持を表明した。個人の義理と国家の進むべき道は同じではないと思った。」と返答した。民主共和両党での政権入りについて、「超党派でよい仕事をするには、議題優先で個人攻撃を避けなければならないという信念を持つこと、また同様の信念を持っている人を一人でも多くを探してそういう人と一緒に仕事をすることだ」と述べた。また、カリフォルニアの高速鉄道をはじめとした新しい運輸法案には日本の新幹線の技術供与が不可欠であることにも触れた。



 最後に、米国から見て、民主主義を標榜する信頼できる国である日本は、世界第2位の経済大国であるという事実に自信を持って、積極的に世界にアピールし、より強いリーダーシップを発揮する必要があると結んだ。講演会には研究者、外交関係者、ジャーナリスト、学生など100名を超えるご参加をいただき、その後のレセプションも大変和やかなものとなった。

(野崎 由美子)

王緝思先生の特別講義 [2009年04月13日(Mon)]


 笹川日中友好基金は、1994年に北京大学国際関係学院との協力に基づいて、国際関係学分野の人材を育成する事業を始めました。このプログラムは、1997年から、姉妹財団の日本財団の助成を受けるようになりましたが、日中基金は引き続き、留学プログラムに参加し、東京大学と早稲田大学の大学院で勉強している年間10名の大学院生たちのフォローアップをしています。

 先日、北京大学国際関係学院の院長で、著名な国際政治学者の王緝思教授が来日しました。4月9日、多忙な先生に時間を割いていただき、大学院生たちを対象に、最近の国際情勢について特別講義をしていただきました。王先生自身は米中関係の専門家ですが、金融危機、インド亜大陸、アフリカなど幅広い話題を取り上げ、平明な言葉で要領よく分析してくれました。院生たちから活発な質問が出され、会場は大変盛り上がりました。

 どれも難しそうな質問に淡々と答え、院生たちを納得させていく王先生の姿を見ながら、中国国内でも、海外でも人気が高いこの学者の魅力はどこにあるかと考えてみました。まず、何よりも素直に意見を述べる人です。議論するとき、相手を不必要に刺激しないよう留意しながらも、自分の考えを決して曲げることなく、必ず明確に伝えます。次に鋭い観察眼を持っていることです。問題の本質を迅速にとらえる力に長けています。複雑な議論が行われるなかで、王先生の発言はいつも参加者に「冴え」と「きらめき」を与えます。三つ目に、使用する中国語の質の高さです。中国随一の漢語学者を父に持つ王先生は、簡潔で正確な中国語を講義、学会、或いは論文で使っています。幼い頃から培われてきたこの漢語力が先生の思考回路の働きを助けていると思います。
 
 特別講義の話はさておき、今回先生の来日にまつわる印象深いエピソードがあります。王先生が姉妹団体である日本財団の尾形武寿理事長と文化について懇談したときの話です。先生が言うには、「自分は主に中米の政治外交を研究していますが、政治問題も、外交問題も、結局は文化の問題に帰着してしまいます。国民の大半が宗教を信仰しているアメリカと、無宗教が圧倒的多数を占める中国では、文化を支える基盤がまるで異なり、これが政治や外交に与える影響が大きい。例えば、アメリカ人が何かの行動を起こしたとします。仮にそれが宗教心にも支えられた比較的単純な動機から出発していると分かっても、これを中国の人に説明することが難しい。文化基盤が違うので、中国人は往々にしてアメリカ人の行動の「単純さ」を理解できず、絶対に裏心があると確信しています。自分は日本のことについてあまり勉強していないので、中日関係について論じる立場にありませんが、中米関係と同じように、中日の政治、外交関係が行き詰った場合、その最大の阻害要因は案外文化の相違性かも知れません。」
 
 先生の言葉に共鳴を覚えました。

(于 展)


『中日友好交流三十年』刊行記念・日中関係シンポジウム [2009年04月10日(Fri)]
 3月23日、わたしたちの笹川平和財団が入っているビルで、「『中日友好交流三十年』刊行記念 日中関係シンポジウム」を開催しました。



 シンポジウムの概要についてはココに詳しくありますのでご覧いただければと思いますが、要するに、日中平和友好条約締結から30年間の日中関係はどうだったのかという問いについて、日中の専門家が議論し合うシンポジウムでした。おおよそ60名ほどのみなさんが参加され、政治、経済、文化の各分野にわたって孜々とした議論がおこなわれました。



 戦後の日中関係は、冷戦終結よりも前に、中国が市場経済を導入し、日本と経済的相互依存関係を深化させ始めたことで、状況が一変しました。以来、大陸と列島間の人・金・モノ・コトのゆきかいは、有史以来最大規模です。
 その意味で、1978年からの30年間というのは、悠久の日中関係史のなかでも、とりわけ異質で特徴的な交流が展開した時代といえます。
 しかも、30年目にあたる2008年には北京オリンピックがおこなわれました。中国の人びとにとってみれば、国際的威信回復という、中国近現代史に一貫した悲願をついに成し遂げた記念すべき象徴的イベントであったと思います。
 そういう歴史的な一大結節点にいま立っているということをふまえると、これまでの30年をどう考えて、これからどういう隣国関係を構想していこうかというこのシンポジウムのテーマ設定は、じつはかなりスケールが大きく野心的な話でもあります。
 シンポジウムの裏方として会場を駆けめぐっていて、ふと立ち止まってパネラーのみなさんの熱い議論を眺めた瞬間、そういう、ややアンビシャスな場に立ち会っているんだという感慨が湧いてきて、ついつい感傷的になるやら、いい歳して、それが気恥ずかしいやら…



 ともあれ、シンポジウムは関係者のみなさんの真摯なご協力により、成功裏におわることができました。
 なお、今回刊行されたのは、『中日友好交流三十年』中国語版です。平和友好条約締結以来の日中交流史を中国人研究者の手で総括・評価してもらいました。このシンポジウムをひとつのステップに、これから『中日友好交流三十年』日本語版出版に加え、日本人研究者の視野から国交正常化以来の日中関係を総括・評価する『日中関係40年史1972-2012』(仮題)の刊行へと進んでいく予定です。
 日中関係にご関心のあるみなさま、どうぞご期待ください。また、関係者のみなさま、これからもひきつづき、どうぞよろしくお願いいたします!

(玉腰辰己)

日中安全保障交流に関するシンポジウムを開催 [2009年04月07日(Tue)]
 日本と中国の安全保障交流・防衛交流に関するシンポジウムが3月23日に東京・赤坂のホテルニューオータニで開かれ、両国の安全保障問題専門家による議論が行われました。シンポジウムの名前は「第9回北東アジア安全保障問題シンポジウム」。2000年以来、9年間連続で開催しています。過去には国防白書・防衛白書の執筆者による対話、北朝鮮問題や台湾問題に関する討論などが行われました。


会場の様子

 シンポ3日前の3月20日に、浜田靖一防衛大臣と梁光烈国防部長との日中防衛首脳会談があり、日中防衛交流について10項目の合意が共同発表されたばかりだったため、時期としてはとてもタイムリーな会議になりました。会場には日中両国から30名ほどの専門家が集まり、密度の濃い議論が交わされました。

 といっても自分は事務局としてロジを担当していたので、すべての議論を聞くことはできませんでしたが、その中でいうと、日本では「自衛官」と「主婦」の対中イメージが悪いという指摘がなされたことはおもしろいと感じました。「自衛官」は中国の軍事力拡大が、「主婦」はギョーザ問題などの食品安全問題に関する不信感がその根底にあるとのことでした。

 また、中国の軍事力について透明度が低いという批判については、中国に対する信頼性の欠如が根本にあるので、たとえ中国が詳細な数字を発表しても「信用できない」といわれるだけではないかという指摘は、妙な説得力を感じました。
 
 中国が軍事力の透明性をあげるには、一見関係がないように思える政治や食品問題など諸々の問題を同時平行的に改善していって、中国が国際社会から十分な「信用」を勝ち取ることが肝要であると感じました。

 翌24日、中国から来日した専門家のみなさんは笹川日中友好基金運営委員会の笹川陽平委員長と懇談。そのあと防衛省を訪問して意見交換を行い、極東軍事裁判法廷だった市ヶ谷記念館の視察をしました。25日にはエクスカーションプログラムとして箱根小旅行をし、26日に無事帰国しました。


笹川委員長と懇談する様子


市ヶ谷記念館前での記念撮影

 なお、笹川日中友好基金には安全保障に関して3つの事業があり、@自衛隊と中国人民解放軍の佐官級幹部・将校の交流をすすめる「国防関係者交流」事業、A安全保障問題の専門家による研究・対話を推進する「日中防衛交流総括」事業、B日中の防衛交流を担う中国人民解放軍の日本語人材を日本に招へいし、語学研修を行う「防衛交流担当者研修」事業があります。

 今回のシンポジウムは上記3つの事業のうち、A「日中防衛交流総括」事業の一環として行われたものです。シンポジウムの結果は、SPFが2009年度に日本と中国の安全保障交流・防衛交流をテーマにした専門書を日中両国で出版する際に生かされる予定です。
(小林義之)
SPFの広報が新しい体制になりました [2009年04月02日(Thu)]
SPFの広報は、総務部情報公開が担当していますが、3月より新しい体制で業務に取り組んでいます。メンバーは南里、土田、中原の3人です。南里および土田は事業部と兼務していますが、今後はSPFの事業活動や成果に関する情報を様々な形で発信してゆくつもりです。この「SPFブログ」もその一環と言え、従来はイベント情報の掲載が中心でしたが、これからはSPFが支援・実施する事業活動に関し、現場の職員の生の声も積極的に届けてゆきたいと思います。4月中は、平成20年度に完了した事業の成果、新たに設立された笹川中東イスラム基金、ミクロネシア三国統一コーストガード設立に向けた日米合同調査の報告、年度末に実施した招聘やシンポジウムの紹介、等が順次アップされる予定です。(南里隆宏)