20061211_環境と経済発展_基調講演 [2006年12月11日(月)]
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2006年12月08日
開会 主催者挨拶 グローバル・ユース・エクスチェンジ(全世界若者交流)。 2週間行動を共にした。31カ国の若者。 それぞれの出身地域の問題、環境問題、人類共通の課題。 意識を高めてもらいたい。 いろいろな、国、地域からの観点。 ご来訪いただきありがとうございました。 基調講演 佐藤仁教授(東京大学環境学、国際協力学、2000年より現職) アジアにおける資源の一元化と「呪い」 天然資源の管理と発展途上国の貧困の問題について研究した。 参考、ヒントになればと思う。1日2日もすれば、すぐ忘れるだろうから多くは言わないが、ひとつでも今後のアイデアになればと思う。 私自身のこれまでのカルチャーショックについて話す。 高校時代、アメリカのニューヨーク州のバファロー高校に留学した。 車で学校に来ている。廊下でキスをしている。大変ショックだった。 大学2年のとき、タイの農村に1ヶ月、NGOで放り込んでもらった。貧しい人の暮らしを体験した。食べ物を中心に驚いた。タイの西・北部にいるカレン族(少数民族)に1年間、1人で住んだ。奥地、電気ない、車ない。 自分にどう役立ったか。自分を相対視する。自分の国の歴史や文化を説明しないといけない。日本を振り返る。 世界の多様性、その人達の暮らし、コミュニケーションの重要性に気づいた。 びっくりする程度が低下していった。 だんだん驚かなくなってきた。 おどろきに対して問いを発しなくなってきた。 問わなくなってくるとダメ。 正しい問いのセットは、正しい問題の解決につながる。 問いのセットの仕方について話したい。 Nature of the Problem という不思議な絵がある。 18〜20歳の少女に見え、見方により80歳の老婆にも見える。両方の女性が見える人と、どうしても片方しか見えない人もいる。 どっちが見えても、正しい、間違い、言うことはない。 片方が見えると、他方がぼやける。 同じものでも、いろいろな見方がある。 環境も、同じようなことがいえる。 熱帯雨林での焼き畑農業についても、環境破壊と、合理的な再生可能(サスティナブル)な農法の見方ができる。 1987年、イギリスの少年がマレーシアのマハティール首相に書いた手紙がある。 森林の動物を研究したい。 このまま放っておくと 一部の人の富のために、森がなくなる。醜いことだ。 木を切ること。森がなくなる。 木材産業は、貧しい人の空腹を満たす。労働者とその家族、会社は税金を納めている。森林研究のために、貧しい人はそのままでよいのか? イギリスの少年は、国の中での不平等を問うた。労働者と会社の持ち主。 マハティール首相は、マレーシアとイギリスの不平等を問題にしている。 事実を学べ。イギリス人が森林の研究をしたいなら、イギリスにジャングルを作ればいい。 少年は、富の分配の問題を指摘。 マハティールは、イギリスとマレーシアの対比。 同じ問題を議論してもフレームが違えば、議論は成立しない。 森の写真の論争。 赤い土と、緑の部分がわかる衛星写真がある。緑が減っていく途中なのか、増えている途中なのか。問題の見方にはいろいろある。 定説では、昔はジャングルで森が減ってきた。昔の写真をみると、昔は緑がなかったが人々が増やしてきた。 見方により、政策をどうするかに結びついていく。 自分が驚かなくなってきた。良くない。問いをセットする。 大学で話をするとき、学生が好むタイプの質問がある。何をすればよいのか、どんな援助をすればいいのかということ。 これも大切だが、私達はこれまで何をしてきたか、歴史認識、私達はなにをすべきか、何をすべきでないか、ここで起こっているのはなぜか、ここで起こっていないのはなぜか。提言は何かも大事だが、過去に類似の提言がなされたときにどういう結末を迎えたのか。 背景は、シンプリフィケーション(単純化、規格化、一元化)。 リソースは、社会と自然をつなぐ重要な考え方。 政府は、中央集権化に向かう傾向になりがち。単純化して効率を高めようとすると中央集権になりがち。 その為に組織を作る。いつの間にか、組織の目的が、作られたときと現在でずれてくる。 エコシステム エコシステム <= リソース => 社会、経済 富の配分とリスクの配分をどう考えるかが、環境と開発を考えるひとつの考え方。 森林資源について考える。 資源の性質、鉱物や石油に比べると民主的な特性を持った資源。田舎の人の近く、生活に利用し、密着している。いろいろな用途がある。 大きな資本や技術は必要としない。森林の特性は、民主的なもの。 だが、東南アジアの森林の近くの人は豊かになっていない。経済的に豊かになっていない。困窮した状態。 いろいろな仮説があるが、タイの森林面積はだんだん減ってきている。森林局の予算額は、どんどん増えてきている。 (森林はサスティーナブルになっていないのに、森林局はなぜサスティーナブルなのか。) 自然の一部が資源になるときに何が起きるのか。 資源(リソース)という言葉は、ここ70年くらいまえから使われてきた言葉。昔の辞書にはない。 1920年代までは、富源という言葉が使われていた。 富源から資源に変わった理由は、北海道や、満州は元気がある人だったら誰でも開拓して富が得られ豊かになれる。 日清、日露戦争時代、富源という言葉が合わなくなってきた。政府にも資源局ができた。 国の資源を統括的に見るようになって来た。日本は、資源に恵まれていない。 昔は、資源に恵まれているを考えられていたが、戦争を長くやってみると資源が少ないことがわかってきた。 自然とは、「水、土、森、鉱物」を指した。さす。 アメリカでは、自然を分けて考えていたが、日本は、笹川という人が、富源保存論で「風光」を追加した。 全体的にみる見方。 イギリス、タイのチークで枕木を作った。森林保護、計画的伐採の考え、人工衛星も使って管理するようになった。 タイの森林局が成長してきた。伐採から保護へ。 地元の人と、政府の役人の隔たりも出てきた。 (1) 政府は、計画的に植林するから、プラス。地元の人は、管理のしかたも知らない、知識もない、何も考えないのでマイナス。 (2) 地元の人々は管理能力あったのに、政府が管理しだしたので剥奪された。 (3)どうして政府は、地元の人に管理を任せられないのか。森林局の立場や権益を脅かす。森林局の存在を脅かす。森林局は、森よりも、管轄、土地のコントロールすることが大事。土地のコントロールを脅かす。土地を管理することが脅かされる。 どの見方をとるかで政策は変わってくる。 (1) 森林局を強化する。 (2) 地元に渡す。 (3) 森林局の組織を変えないとだめ。 どれをとるのか。 森林をどうすべきかに一番関心を持つべき人は地元の人なのに、決定権から遠いところに置かれている。決定権を持つ人は人、森林からもっとも遠い中央(都市)にいる。 水、森、土、を資源とよぶ必要はなかったが、政府が管理するために資源という捉え方をしてきた。 主語は、政府が、軍が、ではなく人々がにならなければならない。 森林に対し何をしてきたか。 答えはない。皆で考えるべき。 ケーススタディーから考えると、 ・森が減ってきたのは、なんの役に、誰の役に立ってきたのか。 ・富はどの人のふところに納まったのか。 ・分配の歴史を知ることが、繰り返しを防ぐ第一ステップであり重要。 資源の呪いという考え方。 本来、豊かな資源なのに、そばにいたので不幸になる。 森林の横に住んでいたために、不幸になってしまった。 世界遺産の中に住んでいたので不幸になってしまった。 アフリカ、天然資源が多い。ダイヤモンド、石油。 アンゴラは、資源多いのに、乳幼児の死亡率高い。 資源の豊かな国は、貧困である。なぜか。 豊かな資源があると、政府や権力者は、資源や外国からの援助があり、国民に頼らなくても良くなる。 豊かな資源と貧しい人々をどう結び付けて考えるか。 中央集権は、シンプリフィケーションを行ってきて、扱いやすくしてきた。操作しやすくしてきた。 たが、地方とのギャップが出てきた。 単純化しすぎて、地元のことが見えにくくなっている。管理はしやすいのだろうが。 地方分権も進んできた。 アフリカの資源が人々の為に利用されていないこと。 どうして資源の富を人々の富に役立てられていないのか。 私達のマインドや視点が、サスティナブルでないことが重要。 一部しか見ないことが問題。 歴史を重要視すること。 過去の提言の結果を問う手から、これからの提言を考える。 大学、細分化された専門性は大きな問題を考えるときにかえって、邪魔、弊害になる。 問題の全体を捉えるときに弊害がでる。 どんな人も、国や人でシンプリフィケーションをすることはいいが、そのシンプリフィケーションを他の人のシンプリフィケーションと交換したり比較すること。 相互作用を促すこと。 自分のめがねを自覚する。他のめがねでみる。想像力を膨らませる。 ここに来た人に言うよりも、来ていない人に言うべきものだろう。 切り分けて細かく考える教育を受け、分析して分けて考えることを教えられてきたが、 最終的にいろいろなものは一つにつながっているという認識が重要。 問題の歴史に立ち返ることの重要性。 |




